♯14 雷虎の遊び相手
イスカ・ブルームは魔術が使えない。
けれども、だからと言って、身を守る術がないわけではない。
魔術が使えないならば武術を学べばいい。
――という事をイスカは八歳頃に唐突に思いついた。
魔術が使えない事で色々言われるならば、物理で黙らせれば良い。
わりと単純で物騒な思考でイスカはそう決意した。
そもそも自分は第三王子の婚約者なのだ。いざという時にリブロを守れなくてどうする。
というわけでイスカは騎士団の訓練に混ざってみたり、街で出会った腕の立ちそうな人に弟子入りしたり。
大人達に頭を抱えられながら、せっせと鍛錬に励んだ。
その結果、そんじょそこらの騎士には負けない程度に、イスカは成長したのだった。
学園の校庭。
その中央に小屋ほどある大きさの白い虎が鎮座していた。
身体から雷をバチバチと迸らせたそれは、雷虎と呼ばれる古い時代から生き続けている魔獣だ。
大層な暴れん坊で、あちこちを破壊して回るため、その度にノービリス王立学園の地下に封じられている厄介な生き物である。
「あ、来た来た。イスカ~」
その雷虎を刺激しない程度に離れた位置から、リブロがイスカに向かって手を振っている。
先ほどクルツには頼んだが、イスカもリブロはこちらへ来るかなと思っていたので、あらまぁと呟きながら駆け寄る。
「リブロ様、来ちゃいましたか」
「来ちゃいましたよ。対処出来る人間が隠れているわけにはいかないでしょう。それにイスカも来ると思ったからね」
そう言ってリブロはウィンクをする。
本来であれば優先的に守られる人物だが、リブロはあまりそれを良しとしない。
足手まといになるなら下がるけれども、そうでなければ前に出るタイプだ。
自分の立場を弁えた上で、出るところは出る人物である。
「今はどんな状況ですか?」
「生徒達は避難済み、先生達が校舎に被害が出ないように結界を張ってくれているよ。騎士団も呼びに行っている」
「なるほど、ありがとうございます」
イスカは軽く頷くと、制服ポケットから筒を取り出した。
長さはノートを取る時に使うペンより短いくらい。太さは親指より少し大きめだ。
イスカが愛用している護身杖だ。
右手でそれを持って、
ブン、
と振り下ろすと、カッカッ、と音を立てて伸びた。
四十センチほどになったそれをイスカは握りしめる。
「それでは、ちょっと行ってきます」
「うん。フォローするからよろしくね」
「頼りにしています、リブロ様」
「まかせて」
お互いに笑い合うと、イスカは雷虎に向かって歩き出す。
すると雷虎がイスカに気が付き、尻尾をふあさ、と動かした。
『久しぶりではないか、イスカ。元気そうで何よりだ』
雷虎はバチバチと雷を迸らせながらニヤ、と口を開く。隙間から鋭い牙が見える。
「そうだね、半年ぶりくらいかな。元気そうで何よりだよ、雷虎」
『ハッハッハ。我を封じ込めておいて、元気そうも何もないものだ。狭い場所に押し込められておったから、肩が凝ってなぁ』
「雷虎が暴れなければ押し込める事はないんだけどね」
『うーむ、そうしたいのは山々だが、この雷のせいで身体が疼いて仕方がないからの。いやはやしかし――――出て来て早々に、貴様と遊べるのは嬉しいものだなぁっ!』
そう言い放った瞬間、雷虎の身体からけたたましい音を立てて雷撃が放たれる。
真っ直ぐに向かってくるそれをイスカは冷静に躱し、地を蹴る。
『ハッハッハ。避ける避ける!』
雷虎は楽しそうに笑い雷撃を放ち続ける。
「相変わらず激しいね」
そんな雷虎に向かって、リブロがそう呟きながら魔術を使う。
リブロの手のひらの前に魔術陣が展開され、そこから無数の氷の矢が雷虎に向かって飛ぶ。
雷虎が雷撃を氷の矢に集中させたタイミングでイスカは急接近し、護身杖を雷虎の足に叩きつける。
『ぐうっ』
雷虎が痛みに顔を顰める。
イスカはそこで止まらず、右足を軸に身体を回転させて勢いをつけ、さらに雷虎の身体を護身杖で叩きつけた。
『女子にしては相変わらず一撃が重いのぉ。刃物だったら足が飛んでおったかもしれんな』
「刃物はあまり好みではないので。無力化出来ればそれで良いかな」
『ハッハッハ。甘い、甘い、甘いなぁ。そんな事を抜かしておると、いつか命を落とすぞ!』
そう言い放つと、くわ、と雷虎が牙を剥いて、イスカに襲い掛かる。
(食いちぎる気か)
イスカは冷静にそう判断すると、護身杖の長さを縮め雷虎の口に立てに押し込む。
雷虎はニィと笑って、力づくで口を閉じ杖を折ろうとする。その顎に、イスカは下から掌底を当てた。
ごり、と護身杖の先が雷虎に食い込む音が聞こえる。
たまらず雷虎は口を大きく開けて護身杖を吐き出した。
「今」
それに合わせてリブロが目を狙って氷の矢を放った。
寸でのところで雷虎は顔を逸らしたが、氷の矢が頬を抉る。
雷虎は数歩後ろに跳んで、口の中に血をペッ、と地面に吐き出した。
『むう……半年でまた育ったものだなぁ』
「本気を出していないのによく言うよ。体調悪い?」
『まぁ封印されておったからなぁ』
「そっか。ごめんね」
『貴様、そういうところだぞ』
雷虎は楽しそうにくつくつ笑う。
『それにしても見ない内に、この中も随分と神の気配が強くなったものだ。気が散って仕方がない』
「神様?」
『宣誓神はもともとあったが、この気配は恋の神か。甘ったるくてかなわん。それに加護持ちが増えると争いも増えるぞ。特に人間はなぁ』
イスカが軽く目を見開く。
恋の神――やはりトルトニスの神の加護持ちいる。
イスカの頭にカルロ・ヴァンの顔が浮かんだ。
「雷虎、それは」
イスカが聞き返そうとした瞬間。
チリ、
と何か嫌な気配を頭上から感じた。
ハッとして見上げると、先ほどまで何もなかった空中に、大きな魔術陣が展開される。
「イスカッ!」
リブロの声が聞こえると同時に、イスカは地を蹴ってその場から跳躍する。
――次の瞬間、
『ぐうっ!』
凄まじい音を立てて魔法陣から炎の柱が現れ、雷虎の身体を覆い尽くす。
熱い。辺りに肉を焼く嫌な臭いが充満してイスカは服の袖で鼻を覆った。
『――――ッ!』
炎の中で雷虎の叫びが響く。
雷虎は敵だ。
けれどもそこそこ付き合いは長い。
イスカは学園に入る前から、騎士団と一緒に雷虎を封じる手伝いをしていて、そのたびに雷虎はイスカを見て楽し気に笑うのだ。
早くもっと強くなって遊んでくれ、と。
昔はもっと狂暴で凶悪だったらしいが、三十年ほど前に当時の人間とある約束を交わして以来、魔力を発散させる程度に暴れているくらいだ。
(雷虎……)
これは友情ではい。
そして同情でもない。
――けれども雷虎の今の遊び相手は自分だ。
「リブロ様、火を消しましょう!」
「大丈夫だよ、イスカ。私がやる!」
何か炎を払う方法を考えていると、リブロがそう言って魔術陣を展開した。
とたんに雷虎はその身体を焼く炎ごと氷漬けになる。
じゅわ、
と内と外の炎の熱で氷が解ける音が響く。
炎の勢いは多少緩和されているが、さすが魔術で出した炎だ。消え辛い。
「……ッ」
リブロの顔が歪む。
額から汗が伝った。魔術を強めているのが分かる。
それほどまでに炎の勢いが強いのだ。
(このレベルの使い手は、学園内でも――)
『――クッ、フフ……ハッハッハ! ああ、やりおるやりおる!』
誰がこれをと考えた瞬間、雷虎の笑い声が響いた。
だがそれは楽しんでいる声ではない。
怒りと苛立ちが滲んでいる。
『誰がは知らんが、よくも、我の楽しみの邪魔をしてくれたなぁッ!』
そう怒鳴った瞬間、雷虎の身体から目が眩むほどの雷撃が放たれ、頭上の魔法陣を貫く。
パァン、
と音を立てて魔法陣が弾けると、雷虎を襲っていた炎はスウと消えた。
しゅうしゅうと白い煙の中に立つ雷虎。
その巨躯が、ぐらり、と揺れて地面に倒れた。
「ッ!」
イスカとリブロは雷虎に駆け寄る。
『……我も耄碌したものだ。貴様らと……だけ、遊んでおれば良いと……思い込んでおった』
「獣医の手配をする。まだ死ぬんじゃない」
『フ……いつもボコボコにしてくれておるのは、貴様らだが……なぁ』
「それは雷虎もでしょう。君と遊んだ後は、いつもこちらもボロボロだよ」
『ハハハ。……まぁ、彼女とそういう約束をしておったからなぁ』
雷虎は小さく笑う。
そして蒼い瞳でイスカとリブロを見上げた。
『そう心配するな』
「遊び相手が死にそうなんだ。心配するよ」
『……そうか。ならもう少し頑張らねばならんなぁ』
そう言うと雷虎は目を閉じる。
すると彼の身体がキラキラと光り始め、
「えっ?」
雷虎の身体がみるみる縮んでいき、
――ほどなくして子猫ほどの大きさになったのだった。
◇ ◇ ◇
同時刻。
校舎の三階からカルロ・ヴァンは楽し気にそれを眺めていた。
「へぇ、雷虎ってあんなに小さくなれるのか。こりゃ面白ぇもん見たわぁ」
普段の口調はどこへやら。軽薄そうな言葉遣いでそう言うと、彼はひょいと窓から離れる。
「……だがまぁ、これだけすればさすがに察する、かねぇ」
そして頭の後ろで手を組みながら、その場を後にした。




