♯11 トルトニスの神
「昔から、お前の周りの恋愛関係は、本っっっっ当に面倒くさいな」
お茶をしながらカルロ・ヴァンについて情報共有をしていると、クルツが心の底から出したような声でそう言った。
「失礼な。私は昔からずっとイスカ一途だよ」
「そうですね。リブロ様はとても誠実な方ですよ」
「そう思って貰えるように頑張ったからね。嬉しいな……」
ふふ、とリブロははにかむ。
するとクルツが深くため息を吐いた。
「ああ、そうだよ。お前は一途だよ。それは本当に良い事だと思うぜ。……なのに何でこうなるんだろうなぁ。お前、相手の心を魅了する加護か何かあるんじゃないの?」
「ないよ。調べて貰ったけどまったくない。そんな加護を与えるのはトルトニスの神くらいだろう?」
「そうだけどさぁ。……って、待て、何で調べているんだ?」
「そんなものでイスカに私を好きになって貰いたくなかったから」
「お前は本当にそういうところはすごいな……」
きりっとした顔で答えるリブロに、クルツはハハハと乾いた笑みを浮かべた。
ふふ、とイスカは微笑む。
「ですがまぁ私にその類の魔術は効かないので、あったところで意味がないですねぇ」
魔術に秀でたブルーム家の中で、イスカは魔術が使えない。
魔術を使うために必要な魔力がないからだ。
しかしその反対に、精神に作用する系の魔術が効かないという特徴も持っている。
理由は前述の通りイスカは魔力を持っていないからだ。
精神に作用する魔術は、対象の身体の中に流れる魔力に悪さをする事で効果が出るタイプのものである。
だから魔力を持たない人間に対しては作用しない。
この辺りもイスカがリブロの婚約者に選ばれた理由の一つだった。
ちなみに魔術は使えない事は周知の事実だが、魔力がない事は家族や親しい人間以外には秘密にしている。
(……うん?)
そこでふとイスカは思った。
そう言えば先ほどカルロ・ヴァンに手を握られた時に感じた、あのぞわわとした感覚。
イスカは単純に嫌悪感と思っていたが、もしかして。
「トルトニスの神って確か、恋の神でしたよね」
「うん、そうだよ。どうかした?」
「……いえ、アンジェリカさんを少し、調べて貰った方が良いかもと」
そう言いながらイスカは先ほどカルロに握られた方の手を持ち上げる。
恋の神はわりと気軽に加護を与える事で有名だ。悪趣味だが、人間の色恋沙汰が大好きらしい。
先ほどリブロが言った通り、その加護の中に相手を魅了する力を持つ加護も含まれていた。そうでなくても恋の神の加護持ちが魅了の魔術を使えば、相手に効くやすくなる。
「手を握られた時に悪寒がしたんです。ただ不快だったからかなとも思ったんですが……そう言えば一瞬、カルロさんの目の色が変わったような気がして」
「色? どんな色だった?」
「記憶違いかもしれませんがピンク色」
「なるほど……恋の神の色だね」
ふむ、とリブロが顎に手を当てて思案する。
その横顔を見たイスカは、
「色々と確定する前に沈めてはダメですよ」
と釘を刺した。リブロの肩がぎくりと跳ねる。
どうやらやる気だったようだ。
本当にイスカが絡む事に関してリブロは手を出すのが早い。
この事件が片付くまでは、しばらく一緒に行動する時間を増やした方が良いかもしれないなとイスカは思った。
「アンジェリカさんの様子を見ると、思い込みが激しいのはもともとでしょうから、もし魅了の魔術が使われていたとしても薄めかなと」
精神に作用する魔術は取り扱いが難しい。
加減を間違うと相手を廃人や狂戦士にする事だって出来るのだ。
いわゆる毒にも薬にもなるという奴だ。
だからもし魅了の魔術が使われていたとしても、そうの効果はほんの僅か。術者の言葉を信じやすくする程度だろう。そうなるとだいぶ魔術の扱いが上手いという事になるが。
「仮定として魅了の魔術か……。基本的にアレも耐性に個人差があるからなぁ」
「と言うと?」
「魔術を使わなくても、実際にチョロい奴はあっさりかかる」
「それは魔術すらいらないのでは?」
「いらないんだよね。あと魔術の使用に手順があるから、簡単に使える奴じゃないし。……そう言えば、その時の状態をもう少し詳しく聞いても良い?」
「はい。……うん、実践した方が早いですね。リブロ様、失礼します」
「えっ」
イスカは立ち上がるとリブロの手を握る。
それからその目をじっと見つめた。
だんだんとリブロの頬が赤くなる。
「あの、えっと、イスカ……その、積極的だね……」
「その顔も良いですね、リブロ様」
「おいバカップル、話を進めてくれ」
「失礼。……まぁこんな感じですね」
イスカはそう言うと手を離した。リブロは残念そうな顔をしている。
しかし、直ぐに彼は小さく頷いた。
「相手の手を握って目を見る、か。確かに魅了の魔術の例にそういうのがあったね」
「本当に魅了の魔術なんてもんが使われていたら、後始末がすげぇ面倒だなぁ……」
「クルツの家はそういうの専門だもんね」
「そうなんだよ。加減してくれよ、まったく。……だけどオーケー、分かった。親父達にも話しておくよ」
「ああ。僕も報告しておくよ。ありがとう」
(うちの家族にも伝えておこうかな)
二人の会話を聞きながらイスカはそう思った。
もしイスカに魅了の魔術を使おうとしていた場合、さすがに問題になるのである。
イスカは第三王子リブロの婚約者だ。例え魅了の魔術が効かなくても「効かなかったから良かったね」という話にはならない。
これはリブロの身の安全を守るためだ。
イスカに魅了の魔術をかけた場合、その理由には必ずリブロが絡んで来る。
カルロ・ヴァンが何もしていないならそれで良い。
瞳の色の変化もイスカの見間違いかもしれない。
けれども状況的に疑う必要が出てしまった。
(効いたフリをして少し様子を見てみるか)
そんな事を考えながら、レモンパイを口に入れた。




