指切り
編集により追加していく予定
日記を付ける趣味がいつかこの美術界隈を動かすと信じ、ここに記そう。
人間が美しいと思う基準はなんだろうか?
大体、人というものは視覚情報でその対象の印象をほとんど決めつけてしまう。匂いや音ではなく、目で見たものだ。
美しいと思う基準というものは決定づけられて言える。それは黄金比だ。日本人の有名な浮世絵や土器は海外でも高く評価され、特にフランスではジャポニズムと呼ばれ、高級花瓶としても扱われた。
世界にも共通し、数々の名画や世界遺産などに取り入れられている物。それは黄金比だ。
1対1.618といった比率で組まれる長方形だ。しかし、ただの長方形ではない。この形にのっとり設計し、掘った石像は美しいと称賛され、この形にのっとり描かれた壁画は神の創造物だと好評の嵐を呼んだ。
つまり、僕、リデェール・アルスの見解から言うと、美しさとは黄金比をまとった黄金長方形であり、それに沿ったものは人間が無意識のうちに美しいと思ってしまう。これが答えだ。
だから、僕が女性に対し恋を示し、たとえそれが両手両足のない四肢欠損の少女だとしても、誰も文句を言わないだろ。
ここ、イタリアの都市、ベネツァアで売れない画家を営んでいる21歳の私からしてみればもはや女性は顔や性格や体形は関係ない。必要なのは黄金比ただ一つ。それが僕の中での美を滾らせ、そして創作意欲を加速させるのだ。
いつもの日課である喫茶店で酸味のあるコーヒーを飲み、新聞を読んではアトリエへと足を運び、いつものように黄金比を基準とした絵を描く。しかしここ最近調子がおかしい。油でパレットを磨き、インクを乗せるのだが、桜の木のパレットがあまりなじまなくなっている。
年季の入ったパレットを使っているせいか、なんだか名残惜しい。しかし、創作のためならば致し方ない。
そう思うと、カバンに最低限の所持金と二か月後に公開する映画の前売り券ペアチケットを青色の縫い目だらけのカバンに入れ、画材屋へと向かった。
木造建築の軋む床を踏みながら、ところどころシロアリに食われたのか欠けた柱に手をかけサンダルに足を通す。玄関を開けると無駄にまぶしい日差しが肌を刺し、二階建てのアパートから錆びた螺旋階段に手をかけテンポよく降りていく。
歩道に出ると今日は何かの祭りらしく、やけに人が多い。汗ばんだ手を繋ぎ、輪になっては踊りだす人々。上に上がるバルーンに、上から垂れ下がる布には「終戦記念日」と書かれており、まったくと言っていいほど僕とは関係あがないことだ。そんなことをよそに画材屋へと足を向け、順調な足取りで目的地へと向かう。
巻煙草の吸いすぎか肺がんになってしまい。肺を片方だけ摘出したせいか呼吸が荒く、額には若干の汗と、腹の奥には耳障りなパレードの音で煮えたぎった怒りがある。平穏を望む身からしたら実に迷惑極まりないことだ。
様々な感情を殺し足を止めたのは画材屋で、新しいキャンバスと桜の木を使用したパレットを注文する。
「あいよ、桜のパレットとこれ」
「ん.....?」
「常連さんだからおまけで」
そう言って渡されたのはかの有名な建築家であり画家であり、彫刻家でもあるミケランジェロの作品展覧会であった。
画材を袋に入れると愛想悪く展覧会のチケットだけ受け取ると、その足で展覧会の会場へと向かう。
画材屋から徒歩五分程度の美術館で展示されているらしく、興味自体は十分にあったため心を躍らせながら向かう。自然と早くなる足取りその感情を表現していた。
急ぎ足で到着した美術館で展覧会のチケットを渡すと、外とは比べ物にならないぐらい冷え切った館内へと案内され、そこには息を飲むほど美しく人間を無意識に魅了するそれがあった。
足が止まっていると後ろからくる客とぶつかり冷静さを取り戻した。
ペースをもとに戻し、冷静さを欠かぬよう大きく深呼吸をし、館内へと足を進める。
そこには大々的にチケットにも乗っていたダビデ像が想像たる毛魂姿を見せながら、燦然と輝いていた。
あっけに取られる僕は自然と自分の親指と人差し指を垂直に立て、それを両手で行い調整し、黄金の長方形を作ってはダビデ像へと当てはめる。
当然ピッタリと収まり、思わず納得の意を込め頷いてしまった。
やはり、僕の見解はあっている。人間が美に対する根本的な観点は視覚、それも黄金の長方形からなる黄金比がすべて。
様々な芸術作品に含まれているこの技法はやっぱり歴史とその魅力にすべてが詰まっている。そう再度確信してしまった。
ちょうどそこへまた後ろから客とぶつかり、慌てた拍子にカバンを落とし、中からは先ほど買った画材が大理石の床を滑り落ちていった。それはぶつかった客の足元で止まり、自然と視線をそちらに寄せる。
そこには車椅子に乗った少女がこちらに向かった愛想笑いをし、反応に困った彼女は手をこちらへと振るのだった。それも上腕二頭筋あたりで切断された腕でだ。
体のパーツがほとんどない少女だ。両手は上腕二頭筋から、両足は股関節の大腿骨あたりからないのだ。しかし、少女の背筋はとても良く、顔だちもそうだがバランスの良い体とその異様な光景に自然と先ほどと同じ長方形を指で作り、調整し、当てはめる。
片目をつぶり、その長方形に少女を通す。困ったような顔をする少女をよそに、僕は気の抜けた声でこう言ってしまった。
「黄金比だ・・・・・」
っと。
当然少女は首をかしげるのだが、それをよそに後ろにいる父親らしき男性に向かい、
「私は油絵で自画像や裸婦画を描いているものです。良ければですが、娘さんをモデルに作品を仕上げてもいいですか?」
「残念ながら、娘は余命2か月の重い病気なんだ。だから今日もこの子が期待と言っていた展覧会に来たんだ。最後の日まで、私は娘のために人生を楽しんでほしんだ」
そう涙ながらに語る父は息を詰まらせながら少女の車椅子の持ち手へと手を掛けた。
「お父様は、私はこの方のお話に興味がわきました。とても面白そうですし、何より誰かの作品に携われるのは光栄なことです」
そういうとどこか僕に似たような異形な好奇心を掻き立て、ないはずの両手を膝に添えた。
少女の父親は何か言いたげな顔をしていたが、少女の好奇心に押され、唾を飲み込むと、車椅子の持ち手を私側に向けると、
「よろしくお願いします」
どこか心苦しそうに言う少女の父親に対し、
「こちらこそ」
っとまたもや愛想なく答えた。
正直なところ、僕はこの父親にはまったくと言っていいほど興味がない。興味の矛先はたった一人、この少女だ。
美しい足に美しい手、ないはずのものが自然と想像力で養われ見えてしまう。職業柄、彼女はきっといいモデルになり、僕の作品をより良いリアリティのあるものへとするだろう。
そう思うといてもたってもいられなくなり、足早に美術館を出ると、少女の車椅子を引き、徒歩15分のアトリエと向かった。道中、少女が「何歳ですか?」や「なんで私を選んだんですか?」など欠伸が出るほど退屈な質問を繰り返すため、沈黙を貫き向かっていた。それでも少女は喋るのをやめず、15分の道中内で一人話をし続けた。
父親には申し訳ないが、今はこんな少女のくだらない質問に対応する必要性は皆無だ。
アトリエにつくと、駐車場近くの倉庫へと車椅子を入れ、少女を背中に抱え、そのまま錆びた螺旋階段を上り、アトリエへと向かった。
ドアノブを音を立てて回すと、勢いよくドアを開け、作業部屋のデッサン用の机に置いてある資料や、果物を乱暴に払いのけると、少女をそこに座らせ、さきほど買った桜の木のパレットを使い絵を描いた。油絵はまずは下地を作り、そこに明るい色を乗せるため、最初は一番暗い色からだ。そのため敢えて照明は付けずに着実に下地を完成させていく。
「いつまでこのポーズでいればいいですか?」
「下地は完成した。あと3日か4日間乾くのを待てばいい」
「それからまた作業ですか?」
「あぁ、当たり前だ」
僕はできるだけ愛想悪く話、作品を乾かすために台の上へと乗せ、油のついたパレットをティッシュペーパーで拭き取った。
「じゃあ、乾くのを待っている間は何をするんですか?」
「作品の創作意欲を駆り立てるために行きつけの喫茶店に行って、コーヒーを飲み、店内の音楽を聴きながら新聞を読む」
「それでそうさくいよく?が深まるんですか?」
「凡人の君には理解できないだろうが、世界というものは我々の想像を超えるぐらい広くて深いんだ。だから世界のことを瞬時に目で見てわかる新聞は素晴らしい。それに音楽だってコーヒーだって、僕には必要不可欠なんだよ」
「そうなんですか!」
いちいち甲高い声を上げる少女を睨むと、腕で手を叩いているように見えた。これもまた不思議なことだ。やはり、少女の肩の関節の動きと発言がそうさせるのだろう。とても不思議な光景だ。
その日はアトリエの冷蔵庫に入っているサンドイッチをお互いに食べ、ここから徒歩二分のアトリエの裏にある教会のシャワー室で風呂を済ませた。その後は近くの自宅へと戻り、少女は床、自分はソファーで一晩過ごした。
少女は固い地べたに頬を付けたままそれに対し文句を言うわけでもなく、ため息をつくわけでもなく、ただ「おやすみなさい」と憎も悪も感じられない一言で一日が終わった。
次の日から少女を喫茶店へと連れていき、そこでお互いにとって何の得にもならない、言わば無駄話とやらで時間を潰し続けた。他愛もない話は作品が乾くまでの間毎度行われ、アトリエへ行き作品を制作し、乾くまでの三日間少女と喫茶店へと籠り、無駄話に花を咲かせた。
会話の内容としては「黄金比とはなんですか?」「油絵は難しんですか?」「私は上手くやれていますか?」など、特にこれといって聞くに堪えないないようではあったが、なぜか自然と彼女の質問には答えてしまっていた。
二週間が過ぎたあたりからだ。少女との距離がだいぶ縮まった。人間自体に心を開くどころか、路上を歩いている人間が自分より劣って見えて仕方がなく、関わろうともしなかった自分が四肢がない少女を愛でているのは至極奇怪な様子ではあっただろう。
しかし、この黄金比の持ち主はやはり素晴らしい。モデルとしても一級品であった。スラっとした背筋とふっくらした肉付きのいい太もも。それも中途半端に途切れており、それにより想像力が三倍、いや五倍ほどは過剰に働くだろう。何にそんな魅力があるかわからないが少女の愛想のよさと見た目に動かされ、筆は勢いを増し、ついに最終工程の一番明るい白色を置く時が来たようだ。
ここまで来るのに約一か月と四週間かかってしまった。しかし、素晴らしい全体図で見れば尚いいのだが、やはり少女の物寂しそうな表情とその目鼻立ちがより一層美術的感情を刺激するのだろう。
少女の瞳に入る太陽の光を美しく、潤いを意識し色を置いていく。
「完成した」
そう一言残すとそのキャンバスを少女に見せる。
「お疲れ様です。とても美しく仕上がっておりますよ」
と笑顔で返す。少女はまたしてもないはずの腕で拍手をした。
「わざわざ制作に携わってくれたんだ。何かお礼をするよ」
自分らしくはないが、この少女には感謝をしている。
「それでは」
そういうと少女は縫い目だらけのカバンに指を指し、そこからはみ出している映画のペアチケットを指さした。
「映画を見たいです」
「これでよければ明日にでも行こう。きっとこの監督の最新作は素晴らしい。演出もそうだが音楽が素晴らしんだよ」
暗くなるアトリエで初めて照明を付けると外で大きな花火がなった。あの終戦んのカーニバルはまだ続いており、少女の話によると二か月間続いていたらしい。それにしてもこの一か月間過ぎるのが異様に早かった。
制作もそうだが、少女と過ごす時間がなんせ早く時間を過ぎたと思わせるのだ。やはり会話というものはお互いに考えながら受け答えを考えるためか、時間の進みが普段より早く感じた。
それは置いておき、いつもの日課のようにアトリエの冷蔵庫にあるサンドイッチを食し、近くの教会のシャワー室を借り、自宅で就寝した。
翌朝、少女を映画へと連れて行こうと起こしに向かうと少女は床で呼吸を荒くさせており、顔は青ざめていた。
慌てて固定電話で救急車を呼び、そのわずか五分後に少女は助けに来た救急隊員により病院へと連れていかれ、緊急治療室へ入院した。
僕は落ちていた映画のペアチケットをポケットへと雑に突っ込み、病院へと向かった。
カーニバルは終焉が近いらしく、盛大な音楽と観客たちの叫び声や歓声で鼓膜が酷く刺激され不愉快極まりないが、今は少女の安否が気になる。
病院へとつくと少女の父親が椅子に座っていた。その顔はどこか寂しげで、それでも涙は流さず悔しげな顔であった。
「どうなったんですか」
「今運ばれていったよ。っということはあと三日か四日ぐらいだな。本当に私は最悪の父親だよ。あの子の四肢は生まれつきで、産んだあと妻は他界してしまったから私が娘の責任感を感じ育ててきたが、あんなに笑っている娘を見たことがなかった。私は今まで何をしてきたんだろう」
「なぜ彼女は寿命が短いんだ?」
「末期の肺がんだよ。娘が咳き込んでなかったかい?」
しかし、僕の前で少女は咳き込んでいる素振りはおろか、眉間に皺を寄せたことすらなかった。もしかしたら死ぬほど痛かったはずなのにそれを我慢しモデル務めてくれていたのかもしれない。そう思うとどこか自分の中で引っかかるものがあり、自然と飲み込める状況ではなかった、
この父親は十分に頑張っていると思う。
しかし、少女が死んでしまうということは黄金比が消えてしまうこと。それは非常に心惜しい。生きた少女がいることにより、私の筆は生を捉えそれを事細かに描きたいと思える。
どうするべきが悩んだが、作品のこと以外考えたことのない僕が思いつく方法なんてたかが知れているものではある。
病院の外ではカーニバルはより一層盛り上がりを増しており、騒がしさが倍になっている。ついには花火なんかも上がり始め、もうフィナーレに近い。
「僕でよければドナーになります」
父親は何も言わなかった。聞こえるのはパレードの花火の音だけだ。
僕がなぜ少女を助けようと思ったのかあのたった二か月で何に動かされたのか。
それを模索し噛み締めながら手術台へと乗り、目を閉じ、回る麻酔の中で深い暗がりへと落ちていった。
数か月後、少女は無事に退院した。少女の車椅子を押す父親の顔はやけに強い意志を感じ、その顔を見ると少女は久しく見せなかった笑顔を見せた。
少女と父親はある男のアトリエへと向かうと、一つの作品が机の上で乾かされていた。ひらひら揺れるカーテンのその部屋は少女が長らくモデルを務めた部屋であった。そこには使いたての桜の木のパレットがその独特の匂いを放っており、懐かしさを感じなが置かれた作品を手に取ると、それを膝の上に乗せ、少女を乗せた車椅子はアトリエを後にした。
結局のところ黄金比というものは美しさを象る一つの技法でしかない。少女が男に見せた二か月間の記憶は美しくそして寂しいものだった。
あの日々の中、少女にない手足は男の目には確かに映っており、そこで感じた形のない美は確かに黄金の長方形ではなかったという。形のない美であったと記述されていた。