人魚の入り江
レギュレーションを全年齢でお願いした人魚達は、とてもファンシーで、話しやすかった。
「美味しいフルーツはいかが?」
「いや、今はいらない。ありがとう。それで、彼は時計を探していたんだね?」
「ええ、そうよ。金色の時計なんだって。ミルクは飲む?」
「お気遣いなく。腕時計かな?それとも、もっと大きな時計?」
「片手で持てるくらいの、蓋のついた丸い時計だって言ってた。ねぇ、一緒に泳ぎましょうよ」
「水着持ってないから、止めておくよ。……懐中時計か」
「大事なものだけど、海で落としちゃったんだってさ」
「ふうん」
「お話ばかりじゃつまらないわ。遊びましょう」
今日は急いでいるから、と適当に言い訳して、川畑は人魚達に別れを告げた。
「また来てね!素敵なお兄さん」
人魚達はニコニコ笑って手を振ってくれた。
「いくらなんでも、対応が素っ気なさ過ぎじゃないですか」
「なに言ってるんだ。結局、ほとんどの聞き込み、俺に任せたくせに」
川畑が睨むと、帽子の男は吹けもしない口笛を吹いてごまかした。
「まぁ、翻訳さんのイケメン補正が効いてたみたいだから、彼女達、上機嫌でしたけどね」
「……翻訳さん補正って、双方向なのか」
「そりゃもちろん。会話って双方向ですから」
川畑は自分が人魚達にはどう見えていたのか考えると、頭が痛くなった。
「それであんなに、群がってきたのか」
「スキンシップ大好きみたいですよ」
そういえば人魚達は、やたらに触ったり抱きついてきた。人魚達のことを思い出して、川畑は翻訳さんにそっと感謝した。……補正がなければ地獄絵図だったろう。
「その点、私は触れないから、彼女達に受けが悪いんです」
「触らせないだけだろう」
そういえば男は、水辺に近付きもしなかった。
「ええ、むやみに物質的接触が起こらないように、世界への干渉率下げてるんです」
「は?」
男は川畑に手を差し出した。
「ほら、見えてるけど触れないでしょう」
川畑の手は、男の手をすり抜けた。
「翻訳システムの応用です。ただ、自然な挙動って、実は割と面倒で。例えば、話がしやすくなるように、顔の高さをあなたに揃えると……ほら、足が浮いちゃうでしょ」
川畑は目の前で浮き上がった男の顔を見て、地についていない足を見て、また顔を見た。
「あなた背が高くて、歩幅大きいから、話ながら隣を歩いて動きを合わせるのが、地味に難しいんです。もうこれからコレでもいいですか?」
男の下半身が、グラデーションがかかったように透けて、足が消えた。
いいですか?と聞かれても困る。しかし、そういえば、部屋に現れたときは、こんな感じだったのを思い出したので、川畑は、そういうものだと思うことにした。
「翻訳技術はすごいのに、使う奴が、雜過ぎる」
「あ!ちょっと高めの位置で後ろからついていくと、背後霊っぽくないですか!これ」
上機嫌で能天気にのたまった男を、叩いた川畑の手は、男の帽子と頭を、きれいにすり抜けた。
卓上の銀の燭台に火を灯す。白ワインは氷で冷やしてあるし、グラスもきちんと磨いてある。
キャプテンは、満足そうにうなずいて、ノックのあった扉の方に声をかけた。
「入りたまえ」
入ってきたノリコの姿を見て、キャプテンは意外そうに眼を見開いた。
「ボンドくん!レディの支度を手伝うようにと言っただろう!」
「あい!キャプテン。ただ、いらないといわれたので」
彼女は、キャプテンが見つけた時のままの服装だった。
「ドレスは、好みではなかったかね?なぁに、気に入らんもんは、着なくてよろしい。また今度好みのものをあつらえよう。ただし、その格好はいささか晩餐には、不向きだな」
キャプテンは、ノリコを眺めて、ふうむと唸った。
「ドレスなんぞなくても、お嬢さんは十分に美しい。よし!いっそこうしよう!」
パン!と手を打って、ノリコの前まで来ると、キャプテンは彼女の手首をつかんだ。
「ボンド、なにか縛れるものを持ってこい。なんでもいいが、できれば美しいお嬢さんに似合うものがいい。綺麗なリボンやサッシュをいくつか見繕ってきたまえ」
ノリコを見下ろしながら、キャプテンは彼女のシャツの襟をなどった。そのままゆっくりと、指先で長い髪をすく。
「淑女らしいドレスでの晩餐もいいが、ここは海賊風に行こう」
細い髭をピンと立てて、キャプテンはニヤリと笑った。
「とにかく!なんでもいいから、早く彼女を助けに行こう」
川畑は、帽子の男をせっついた。
「ちょっと待ってくださいよ。同じ時間の同じ場所に戻るのって、結構、難しいんですよ。しかもあの時空、監査局からアラーム出るくらい荒れてたし」
「がんばれ、プロ」
川畑は、切って捨てるように応援して、冷ややかにプレッシャーをかけた。帽子の男は恨めしげに愚痴った。
「簡単に言いますけど、時空転移って難しいんですよ。局とデバイスのサポートがあっても、決められた異界の座標を数ヶ所使う程度が普通です。かなりのベテランだって、任意の場所にはなかなかいけないんですから。自分が認識できる範囲への短距離転移ができて一人前。新人局員は"履歴で戻る"どころか.ショートカットメニューで"ひとつ前に戻る"のがせいぜいで……」
「それだ!」
川畑は男の眉間に指を突き立てた。
「どれです!?」
痛いわけでもなかろうに。男はおでこを押さえて、身を引いた。
「"履歴で戻る"ことができるなら、簡単じゃないか」
「残念ながら、僕は干渉率下げてるせいで、履歴がちゃんと残らないんです。戻れないわけでもないんですが、いつも大分ずれます」
帽子の男は、なぜかちょっと自慢そうに胸を張った。
「役に立たん奴だ。……だが、そういうことなら」
川畑は左手首を指して言った。
「俺なら履歴が残っているはずだ。それがデバイスの機能なら試してみよう」