隣家の花
咆哮のように激しく口から放たれた空気の奔流に飛ばされ、川畑は吐き出されて転がった。
「なんだ。ホントに弱点なのか。自分でやっといてなんだが安直だな」
主が苦しそうに身をよじる。川畑は巻き込まれないように急いで距離をとった。
「なんてことするんですか」
帽子の男があわてて駆け寄ってきた。
「むちゃくちゃじゃないですか」
主が暴れるのにあわせて世界が軋む。
「なんだこれ。何が起こっている?」
「主が力を失ったせいで、世界が崩れるんです」
「は?」
「世界を支えて成立させているのは、主の力です。ここはあの主が単体で作っていた小さな世界ですから」
「やばいじゃないか」
「やばいんですよ」
伸び上がった主の身体が4つに裂けて、端から黒い塵になって崩壊していく。
「いやホントに、自分でやっといてなんだが、世界の創造主がカッターナイフで死ぬなよ~」
「神殺しのカッターナイフ……あ、そこに落ちましたね。ちゃんと拾っておいてください」
「常識が崩壊する音がする」
「音がしているとしたら、世界が崩壊する音です。脱出しましょう」
川畑がカッターナイフを拾い上げると、帽子の男はそれが落ちていた場所に手をかざした。
「あなたに因果のある世界に繋げます。穴が開いたら飛び込んでください」
見覚えのある穴が開く。
川畑は男と一緒に穴に飛び込んだ。
「それにしても、時空監査官の目の前で、主殺しの異界崩壊とは」
帽子の男は川畑の前で顔を覆ってさめざめと嘆いた。電線にとまった雀がチュンチュン鳴いているのがのどかだ。
「とりあえず俺は何に巻き込まれているんだ。お前は誰なんだよ」
「あれだけやっておいて、巻き込まれただけの立場に立とうとする根性が凄いですが。あー、私は……」
男は隣の庭先の木に視線をさ迷わせた。
「……百日紅三十郎です」
「ほう。さるって呼べばいいか?」
「いや、待ってください!じゃあ、デンドロビウム三十郎で。デンちゃんと気軽に呼んでください」
「デンドロビウム?どこにある?」
「ほら、あそこの温室の植木鉢に」
男と川畑は隣の庭をしばらく見つめてから、無言で顔を見合わせた。
「ネーミング、雑過ぎるだろう。三十郎はあっているのか?」
「流石に四十郞までいってないとは思うんですが、二十郞ってゴロ悪いし」
「いろいろ酷い」
電線にとまった雀がチュンチュン鳴いているのが腹立たしかった。
「とにかく、私は一度戻ります。いろいろ後始末をしないと。ああ、憂鬱だなぁ。説明は後でします。そのための準備もしてきますよ、ヤマトさん」
「……なんで俺の名がヤマトだと?」
男は川畑の顔をみてなにやら得意そうな笑顔を浮かべた。
「履き物に名前が書いてありますよ。私の観察力と洞察力を見くびらないでください」
川畑は自分の足元を見た。
引っ越し屋のダンボールで作ったサンダルだ。
川畑は男の洞察力をあわれんだ。訂正しようかとも思ったが、相手がデンドロビウム三十郎と名乗ったことを思いだしたので、名前の件は軽く流すことにした。
「それで、俺はどうすればいいんだ」
「まず手を出してください」
男は、川畑が差し出した左の手の上で、軽く手を降った。左の手首の周りに細い帯状の靄が現れ、そのまま手首に吸い込まれる。
「なんだ!?今のなんだ」
「変なものじゃないですよ。監査官用のデバイスで私の予備装備です。待っている間、マーカーがわりに着けておいてください。私が戻って来るための目印ですから」
「いやお前、待ってろって、どれくらいだよ」
「すぐですよ。ちゃんとマーカーがあれば1時間以上ずれません」
「1時間!そんなにここで待つのはイヤだぞ」
川畑は足元の"屋根瓦"を指差した。
「俺は部屋に戻りたいんだ。ちゃんと屋内に送ってくれ」
男は川畑と自分がいる屋根の上から、辺りを見回して、ろくに降りれそうなところがないことを確認した。
男はため息をついて、しょうがないですねぇと、また例の穴を出現させた。
「部屋で待っていてください。くれぐれも変なことをしてまた穴を開けたりしないでくださいよ」
「するか!そんなこと」
帽子の男は疑わしげに眉根を寄せた。が、それ以上は何も言わずに姿を消した。川畑はぼやきながら、それでもサンダルを脱いで、穴に足を踏み入れた。
そして川畑は、花柄のシーツが掛かったベットの上に落っこちた。ベットサイドには……。
着替え中の女の子がいた。
川畑が自分の部屋に戻るまでには、まだまだかかるようだった。