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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第1章 はじめましても何もなく
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帽子の男

「こんにちは」


その男はいつの間にか押入れの前にいた。

軽く帽子を持ち上げ、気安げに挨拶する様子は、腹立たしいほど能天気だった。

中肉中背、年齢不詳。10代後半と言われても、30代半ばと言われても、ああそうかと流せそうな特徴のない容貌に、型の古いスーツ姿。個性はあるのにとらえどころのない男は、部屋のなかで、そこだけセピア色の写真のように現実感がなかった。あまりに存在感が薄くて、足先にいたっては……透けていた。


「………勘弁してくれよ」

部屋の主、川畑は、引っ越し業者のダンボールを持ったまま、ようやくそれだけ言った。

がちがちの理性派で現実家。寡黙で動じない事から、大柄な体格と相まって、"ぬりかべのような安定感"、"定礎"と称されたことのある彼も、流石にこれにはいささか動揺した。


地縛霊が出るって交渉したら、家賃は安くなるんだろうか?


現実逃避ぎみに益体もないことを考えている川畑をよそに、男はキョロキョロと辺りを見回した。

「えーっと、キャプテン来てませんか?」

「知らん。誰も来てないし、いれる気もない。お前もさっさと出ていけ」

馴れ馴れしく話しかけてくるので、つっけんどんな返事を返すが、男は特に気にした様子もなく続けた。

「あれ?おかしいな。なんかミスったかも。お忙しいところお邪魔しました」

悪意も誠意もない笑顔でさらりと謝ると、男はそれはそれとして、と部屋を見回して首をかしげた。

「なんでこんなダンボールだらけなんです?この部屋」

「今日、引っ越しだからだよ」

「引っ越し!大変ですね。手伝いましょうか?あ、私、荷物持てないから手伝えませんね。じゃぁ、こっちはこっちで先に探しに行ってますので、用事がすんだら後から来て手伝ってください」

不条理な男はひらひらと手を振るとひどいことを言った。

「穴、開けときますから」


そして、男は消え、部屋の床には黒々とした穴が残った。


敷金、礼金の話をするときに、大家にこの穴を説明したくない。

川畑はじんわりと頭痛のするこめかみを揉みながら、穴を見下ろした。

穴の中は黒々と闇が滲んでいた。


普通なら、えぐれた畳のヘリやコンクリートが見えそうなものだが、床面から丸く切り取られたその範囲は、不自然に黒く抜け落ちている。目を凝らすと、穴と床の境界が微かに揺らいでいるようなのが不安感を煽る。

「押入れの前に穴が開いてると、モノの出し入れに困るんだが」

さしあたっていい案も浮かばないので、穴の中に向かって「おーい」と呼びかけたあと、川畑は片付けを再開した。




「吸い込み型の当たり判定が球状に付いているのは穴として間違っているんじゃないか?」

穴に転がり落ちた川畑は、頭上を恨めしげに見上げた。辺りは灰色に霞んでおり、彼を吐き出したはずの穴の出口は見えなかった。


いつまでも消えない穴に業を煮やして、うっかり近づいたら吸い込まれたのだが、たたんだダンボールとガムテープを持ったまま落ちたせいで、ろくに受け身がとれなかった。幸い酷い怪我はしなかったようだが、どこからどう放り出されたのやら見当が付かなくなったのには閉口した。


濃い霧でもでているのか、周囲は見通しが悪い。明らかに部屋の階下ではない。立っている自分の足先どころか、伸ばした手の先も曖昧にぼやける。暗がりではないものの光源のわからない薄ぼんやりとした中にいると、南北どころか上下の感覚さえ怪しくなってくる。音という概念がないみたいになにも聞こえないので、聴覚の存在を忘れそうになる。


さっきの愚痴は、独り言として口から出たのやら、思っただけで終わったのかすら曖昧になったところで、川畑は、これはまずいと判断した。


「あー、あー……よし。身体は正常だ」

骨は折れていないし、腹も異常なし。耳に手をあてれば、血流の音はするし、声を出せば体内にこもった音はちゃんと聞こえる。指先を顔に近づければ爪まで見えるし、ダンボールの端を齧れば不味かった。


川畑はその場に膝をついて、足元を確認した。

「平らだが舗装という感じじゃないな。硬い土?いや岩かな?」

砂利も小石も雑草もない。

砂岩か泥岩か、ざらりとした表面は灰色だ。これだけ濃い霧がでているわりには濡れている様子もないし、風化した割れ目もない。

コンクリートの打ちっぱなしの方が、もうちょっと表面に風合いがあるというぐらいなんにもない、ただの地面だった。


念のため地面に耳をあててみるが、地鳴りも足音も何も聞こえない。辺りには大きな音をたてるようなものは誰もいないらしい。熱くも冷たくもないのはありがたいが、不自然だ。

「なんとか穴か奴を見つけないと、大家や警察が助けに来てくれる場所では無さそうだ」

川畑はまず自分のいる位置に、ガムテープをバツ印型に貼り付けた。


バツ印を起点に周囲を探る。

川畑は未成年だが、成人男性の平均を悠々越える身長なので、バツ印に足を置いたままでも、それなりの範囲を探れた。が、何もない。


今度はバツ印から1方向に一定歩数歩いて、戻る。それを何度か繰り返したが、やはり何もない。川畑は、もう少し歩くことを覚悟して、ダンボールの端切れとガムテープでサンダルもどきを作った。


辺りを調べている間にやや視界が晴れてきたので、今度は一定歩数歩いたところで印をつけて、そのまま同じ方向に進むことを繰り返してみる。印10個分進んだところで、元のバツ印まで戻れることを確認する。

バツ印の四方を確認した結果、相当の範囲で何もないことがわかり、川畑は落胆した。


その頃になるとかなり視界は良好になっていたが、相変わらず空は灰色で日がどちらから射しているかもわからない。空と似たような色の灰色の地面は、だらだらと広がった挙げ句に曇った地平で空と混ざりあっていた。


「日本じゃない景色だ」

ある程度覚悟はしていたが、状況は悪い。空腹感も尿意もまだなかったが、ここまで何もないのは想定外だった。やむなく、川畑は起点のバツ印に戻れなくなるリスクをのんで、1方向に歩き出した。


小休止を挟みながら、黙々と歩く。

体力はある方なので疲労はそれほど感じないが、代わり映えのない風景の中をあてどなく歩き続けるのは、精神的に辛かった。

歩数を数えながら歩き、一定数毎にカッターナイフの先で地面に傷をつけて、また歩く。カウントが大台にのったら、ガムテープを貼って数字を刻む。

「砂丘の砂漠じゃないだけましか」

休憩がてら、サンダルもどきを補強していると、ずっと代わり映えのなかった地表が、少しざらざらしているのに気がついた。

砂だ。

「言ったそばからこれかよ」

少し進んだ先からは、延々と砂丘が広がっていた。


「これは流石に外れだろう。戻るか?」

元来た道のりを戻るか、90度曲がって進むか考えていると、不意に背後から声をかけられた。

「何をやってるんです!?」

振り向くと、帽子の男がいた。

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― 新着の感想 ―
歩く定礎でフフっとなる等
[良い点] 初っ端から定礎呼ばわりされてる主人公はなかなか類を見ませんね…… やっぱ言葉選びが好きですね ちゃんと初期地点決めて四方探索してから進めるのも性格感じてよきです
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