海賊の晩餐
金の刺繍がはいった赤いサッシュベルト、手触りのいい紫色のリボン。
「腕輪は重いから止めておくか」
キャプテンは、リボンを蝶結びにすると、ノリコの姿を上から下まで眺めた。
「袖はもう一段捲っておこう」
白シャツの袖口を、両方きれいに折る。
「これでよし。よく似合うぞ。お嬢さん」
あっという間だった。
ボンド少年が、大きな姿見を持ってきた。
白シャツは胸元を大きく開けられ、ウエスト部分は幅広のサッシュでぎゅっと絞り、余った裾はスカートのようにふわりと垂らされていた。髪はすっきりとひとつに纏められ、リボンで留められている。
甚だ不本意だったが、ちょっと映画の女海賊風に格好良くて、ノリコに似合っていた。……髪のサイドが軽く編み込み風になっているのが、器用過ぎてドン引きするレベルである。
「ロングブーツを用意したいところだが、ひとまず下はそのままだな……まぁ、部屋のスリッパは気に入ってもらえたようで何より」
キャプテンは、ノリコが猫柄の室内履きを履いているのを見て、満足そうに笑った。
「どうぞお席へ、マドモアゼル」
2つしかない席の一方を薦めて、キャプテンはもう一方に座った。
席についたノリコは、椅子とテーブルを見た。キャプテンの椅子は、使い込まれていて、背もたれや肘掛けがすり減っているのに、ノリコの椅子には、傷も汚れも無い。別の部屋から新しそうなものを持ってきたみたいだ。部屋のすみに追いやられている座面の高い椅子が、いつもはこの位置に置いてあったのかもしれない。床の傷が椅子の脚の形と似ていた。
綺麗にセットされたテーブルの上には、美味しそうなご馳走がならんでいる。
「上品に前菜から順に出したいところだが、すまんな。海賊流だ。肉でも魚でも、好きなものから食べてくれ。今日のお薦めはビーフシチューだが、チキンも悪くはない。スズキのパイ包みも結構いけるぞ。パンは、ライ麦が苦手なら、白いのもちゃんとある。おお、そうだ!飲み物はなにがいい?ワインは水や果汁で割ると飲みやすいらしいが、いかがかね。ライムジュースは、ワシは酸っぱいので苦手だが、健康にはいいらしいぞ」
上機嫌で喋るキャプテンに、ノリコは言いにくそうに告げた。
「あの……せっかくですが、私、食欲がなくて。こんなには……」
はしゃいでいたキャプテンは、急に真面目な顔になって大袈裟に心配した。
「それはいかん。熱は無さそうだが、少しは食べられそうかね。無理は禁物だが、まいっているときは少しでもマシなメシを腹にいれた方がいい。」
キャプテンの言葉に、少年も頷いた。
「ゴハンは大事です。"寒い、ひもじい、もう死にたい。不幸はこの順番でやってくる"と、おばあちゃんが言ってました」
ボンド少年は、給仕役を務めさせられているらしい。ノリコのグラスに飲み物を注いでくれた。
「では、少しだけいただきます。ごめんなさい。料理人には素敵な料理をありがとうと伝えてください」
キャプテンは、身を乗り出した。
「そいつはどうも。作った奴は、貴女のためなら、これくらいなんでもないと言っている」
ノリコは目の前でニヤニヤしているキャプテンと、テーブルの料理を、改めて見比べた。
「キャプテン、3時間頑張って作ったから、ちょっとでも食べてくれたら、すごく嬉しいって、素直に言えばいいじゃないですか~」
キャプテンの髭がピクリと震えた。
「ボ~ンドくん!」
「あい!キャプテン!」
「本日の皿洗いを命ずる」
「みぎゃ!?」
ノリコは思わず、クスリと笑った。
キャプテンの髭がピンと跳ねた
「ボンド、自分の椅子を持ってこい。みんなで喰うぞ!お前も皿の上のものを片付けるのを手伝え!」
「あい!」
ボンド少年はいそいそと、部屋のすみにあった椅子を持ってきた。
食べ過ぎた。
「私、これ以上は流石に無理です」
「キャプテン……頑張って作りすぎです」
「うむ、ワシもそう思う」
追加のデザートに、チーズケーキとチョコレートケーキは、重かった。しかも、コクのあるバニラアイスクリームと生クリームを添えたのは、明らかに悪魔の所業だった。
「あんなの最後に出てきたら、お腹一杯でも、食べちゃう~」
あれのせいで、ノリコとボンドは、キャプテンの前で、おしゃれなサッシュを緩めるという屈辱を味わわされたのだ。
「片付けは後にしよう」
キャプテンは立ち上がりかけて、めんどくさそうにもう一度座った。
「お嬢さんも、今宵はゆっくり休みたまえ。食事の後で大事な話をしようと思ったが、そういう気分でもなくなった」
キャプテンは座ったまま眼を閉じた。
彼の強い眼力から解放されて、ノリコは自分も話さないといけないことがあったのを思い出した。
「キャプテン」
「なにかね。お嬢さん」
キャプテンは眼を閉じたまま、鷹揚に頷いた。
「私……うちに帰りたいんです」
キャプテンは深い蒼緑色の眼でノリコを見て、静かに答えた。
「お嬢さんがいたところは、世界の果てまで人っこ一人いないところだった。世界の狭間に落っこちた迷子が、うちを見つけるのは大変だよ。そこの坊主も、ずいぶん前に迷子になったが、未だに根なし草の海賊だ。探し回ってやってもいいが、帰るうちなんぞ見つかりゃあせん」
「そんな……」
ノリコはうつむいた。
キャプテンは急に笑顔を作ると、はしゃいだ声で言った。
「大丈夫。これで結構この暮らしも悪いもんじゃないぞ。なぁ、ボンド」
「あい!キャプテン!」
ノリコはうつむいたまま返事ができなかった。
キャプテンは、また椅子にだらりと行儀悪く座り、億劫そうに片手を上げた。
「拐った美少女に綺麗なおべべを着せて、ご馳走を並べてやるのは、悪役の甲斐性だと、昔。エライ人が言っていたが、娘っ子が本当に欲しいのはそんなもんじゃないってのも、まぁ、お約束だ。……部屋に戻りたまえ」
キャプテンがなにかを払い除けるように手を降ると、燭台の灯が一斉に消えた。
「ボンド、彼女をお部屋までお送りしろ」
「あい!キャプテン!」
薄暗くなった部屋で、キャプテンは一人ポツリと呟いた。
「そうだ。時計を探さねば」
天井を見つめる彼の眼は、緑色に爛々と光っていた。