聖人たちの箱庭
今回はちょっと狂った箱庭のお話
「シィル様、お聞きしたいことがあります」
「なんだい、ジャンヌ」
「聖人たちがすむ箱庭があるとお聞きしたのですが」
「聖人たち?」
「はい。その箱庭には聖人がたくさんいて、悪人はいないというお話を耳にしまして、本当にそんな箱庭があるのでしょうか?」
「・・・あぁ、あの箱庭のことか」
私の言葉にシィル様は少し考えて、思い当たる箱庭を思い出したようです。
ですが、シィル様の様子がなにか変です。
まるでそんな箱庭があったことを忘れていたような反応です。
「ジャンヌ、どうしてその箱庭の話を聞きたいんだい?」
「多くの箱庭を見てきましたが、聖者しかいない箱庭などというものは見たことがなかったのでちょっと気になったのです」
「なるほどねぇ」
やはりシィル様の様子が変です。
聞いてはいけないことを聞いたとういう感じではありませんが、なにか困ったいるような様子です。
シィル様の様子に困惑していると、苦笑しながらシィル様は問いかけてきました。
「ジャンヌ、君は聖者しかいない、悪人がいない箱庭というものを作れレると思うかい?」
「わかりません。すくなくとも、私にはそんな箱庭は生まれないと思います」
シィル様に仕えるようになって様々な箱庭を見てきました。
同じ眷属神をしているかつては創造神だったフィオナ様が作られた箱庭なども見てきましたが、悪人がいない世界は存在しませんでした。
そういう世界が作れないのかと実験で作られた箱庭が過去にあったそうでが、悪人が極端に少ない世界は作れても、悪人がまったくいない世界は作れなかったという話です。
「ジャンヌのいっている箱庭は確かに聖人しかない。でも、そこに悪人がいないというわけじゃないんだ」
「ですが、悪人はいないと」
「確かに悪人はいない。けれど、あの箱庭でも普通に犯罪と言われる行為は起こっている。それこそ日常的にね」
「意味がわからないです。日常的に犯罪が起こっているのになぜ悪人がいないのですか?」
「だって、その行為があそこでは犯罪じゃないのだから」
「・・・は?」
シィル様から説明された箱庭の話に私は絶句しました。
その箱庭では、犯罪行為も聖なる行為だと言われているのです。
被害者は自分に悪いところがあるために罰を受けていると思っている。
与えられる行為は罰によって汚れた自分の魂を浄化する行為だと受けれており、理不尽だとは思っていないという。
加害者は相手に罰を会えることで徳を積んでいる。
見津からの行為は魂をより昇華させるためのものであり、正しいことだと思っているのだという。
このため、箱庭の中において悪人はおらず、皆徳を積んでいる聖人だというのだ。
そんな狂った箱庭があるという事実に私は呆然としてしまいました。
「作った創造神もこんな結果になるとは思っていなかったそうだ。ただ、聖人だけの世界を作ろうとしていたら、気づいたときにはこんな世界になっていたらしい」
とにかく悪人を排除するようなシステムを作ったそうだが気づけば悪といえる存在がほとんどいなくなり、悪という概念そのものがなくなったらしい。
といっても、人がいる限り悪は再び生まれてくるものである。
生まれた悪はそのたびにすぐに排除されていきました。
そうするうちに、罰を与えることは徳を積むことであるという概念がだけが残っていきます。
そうしてみんなが徳を積もうとし始めるものの、悪を徹底的に排除したその世界では悪そのものが足りませんでした。
そこで、これまでは罰を与えるほどではなかったささやかな粗相などに対して罰を与えるものが現れました。
悪がないのであれば作り出せばいい。
そんな歪んだ概念が広まり出すのにそれほど時間はかかりませんでした。
気づけば、作り出された悪はどんどん拡大していき、気づけばこんな狂った世界なったというのです。
「おもしろいというと語弊があるけれど、この箱庭の住人は悪を作って相手を罰するけれど、罰した後は浄化されたと言うことで差別などは出ないらしい。次に罰を受けるのは自分かもしれないということを自覚しているのか、それともこの狂った行為が犯罪行為に対するいわゆるガス抜きになっているのかはわからないけどね」
そんな箱庭じゃなきゃ、とっくに終わってる箱庭だろうとシィル様はおっしゃります。
狂った箱庭には違いありませんが、存続していると言うことはなにがしかの理由があるのでしょう。
私はそんな世界を作りたいとは思いませんが。
「他の箱庭でも、そういう概念がある民族がいたという話は聞いたことがあるね」
善悪の概念が生まれたばかりの頃に形が違うけれど悪を作り出してすべての罪を作り出した悪のせいにしたらしい。
「善も悪も、極端に不利すぎると狂ってしまうんだ。きっと、善悪を判断する基準になるものがないから境界が曖昧になって狂うのかもしれない」
光が全くない闇の中では何も見えませんが、逆にすべての闇を塗りつぶす光のなかでもなにも見ることは出来ません。
善と悪。
光と闇。
それ以外の概念においても、表裏一体の概念とは両天秤に乗せて釣り合いがとれているような状態が好ましいのかもしれません。
しばらくして今度は悪人しかいない箱庭の話を聞くことになり、私が再び絶句することになるのでした。
書いているうちにとんでもない箱庭が生まれてしまった気がする。
どうしてこうなったのか・・・。