選択をする箱庭
虫の知らせというものは意外とあるものだと思っています。
「あら?」
それはいつものように箱庭を管理していたときのこと。
見ている箱庭の中で珍しい祈りが聞こえてきました。
正確には、祈りと言うよりは悩み事の相談という感じでしたが。
「ジャンヌ、どうしたのじゃ」
「フィオナ様。いえ、この箱庭なのですが」
箱庭を見ながら考え事をしていた私の様子にフィオナ様が声をかけてこられました。
困った風には見えなかったのでしょう、判断に困って話しかけてきたという感じです。
私は見ていた箱庭を見えるように差し出します。
「この箱庭の中で、子供たちの成長の兆しが見えたのでどうしようかと思いまして」
「ほう、よい兆候ではあるが・・・その様子からすると分岐しそうなのか?」
箱庭を見ながら私の言葉にそう返してきます。
箱庭の子供たちは時間とともに成長していくのですが、ときどき大きく成長する時があります。
そして、この時の成長の仕方が今後の成長の方向性を決定するのです。
「分岐、といえば分岐なのですがこちらから働きかけてよいものかどうか」
「ふむ。なるほど、儂たちにどうすればよいかをゆだねようとしておるのか。なるほど、判断が難しいところじゃな」
私が悩んでいる点がそこでした。
箱庭の成長について私たちが干渉することは好ましくはありません。
基本的に箱庭に住む子供たちが自ら選択して成長することが理想なのであって、私たちの意思が反映されることはよくないのことなのです。
これが選択を間違うと箱庭の子供たちが破滅するような事態であれば助言くらいはしてもいいと思いますが、今回はそういう話ではない様子。
「状況を考えれば神頼みと行きたいのだろうが・・・そうじゃな、子供たちが考えている選択を実行した場合どうなるのかを見せてやればよいのではないのか?」
「未来を見せる、ということでしょうか?」
「そうじゃ。選択によって訪れるであろう結末が明確になれば、子供たちも意見をまとめやすくなろう。あとは・・・そうじゃな、守りたいもの、大事なものとつまらない意地を秤にかけるのはおろかであると助言でもすればよかろう」
「なるほど、どちらがいいかを示すのではなく選択するための情報を与えるということですね」
「うむ、少なくともこれで破滅する選択はしなくなるじゃろう」
「わかりました、さっそく夢という形で見せてみましょう」
「ふぅ」
「お疲れのようですね。大丈夫ですか?」
思わずため息をつく私にコーヒーを出しながら心配そうに秘書が尋ねてくる。
「ありがとう。変な夢を見たのでね」
「夢、ですか」
それは、私たちの未来を暗示しているかような夢だった。
現在、私たちは大きな選択を迫られている。
この選択を誤れば私たちは滅んでしまうかもしれない。
しかし、その選択を決める会議は思うように進んでいなかった。
どの参加者も自分たちの利益を優先するあまり、話がまとまらないのだ。
もう時間もないというのに方針決定のめどが立たないことに頭を抱えていたところで、今朝の夢だ。
あれは、渡した提案している内容が通った場合に起こりうる予測そっくりの夢だ。
そして、その結末は最悪の事態こそ回避しているものの想定しているよりもよくないものだった。
知恵を絞ってできる限り被害を減らそうとしてきたつもりだったが、夢で出てきたような状況は考えていなかった。
夢は起きているときの記憶を整理する過程で見るものだという話だが、考えすぎるあまり見落としていたものに気づけたのは僥倖だ。
なにより、夢で失ったものは私が助けたいと思っていたものだ。
時間はそれほど残されていないが、ほかに見落としているものがないかを見直すとしよう。
大事なものを失わないように、今はできることをしなければ。
そうして臨んだ会議だったが、始まりから雰囲気が違っていた。
これまで強硬に自分の意見を推し進めようとしてかみ合わなかった議論が急にかみ合うようになっていたのだ。
その状況に参加した者たちも戸惑っていた様子だったが、しかし会議は進んでいく。
ところどころ意見の対立はあったもののほかの参加者が仲裁したりすることでなんとか方針が決定した。
あれほど進まなかった会議がスムーズに進んだことにも驚いたが、決定した方針はこれまでの意見をうまくまとめられたことが最大の驚きだった。
この方針で進めるのであれば、被害はかなり抑えられるはずだ。
会議の結果に安心した私はふと思った。
「あの時の夢はなにかの啓示だったのだろうか」
「無事まとまったようですね」
「のようじゃな」
箱庭の様子を確認すると、どうやら選択はなされたようでした。
「夢を夢で終わらせずにちゃんと考えてくれたようでなによりです」
「なに、それができるくらいには成長しているということじゃ」
知識や技術だけでなく、それを受け止める精神的な成長が不完全であればよい選択はできないものです。
そういう意味ではこの箱庭の子供たちはうまく育っているということでしょう。
「あとは子供たち次第じゃ。儂らは見守るとしようか」
「はい、フィオナ様」
神様は答えをくれません。
可能性を示してくれるだけです。
人がそれに気づくかどうかはまた別のお話ですけど。