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経緯通(いきさつストリート)  作者: さかがみ そぼろ
7/25

いきさつストリート#7


◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇


 敢渡(かんと)「ヒトが猿から進化した、という進化論と言うのが未だに信じられないのですが。先生はどう思われますか?」

 

 銅印(どういん)「突然変異、と考える学者もいるが、実際にはどうなのだろうな。猿の祖先、といっても1頭1頭個性もある事だろう。背の高い猿もいれば体毛が極端に薄い猿も生まれたりするのではないか?極めて長期的な視点で観察を行なうと、そのちょっとした個体の特異性が取捨選択の結果、遺伝的に残る要因となったと考えられないだろうか?キリンとて最初から首が長かった、とは考えづらい。何種類ものごく稀に生まれた首の長い個体同士が引き寄せ合い、更に長い首の個体を生み、その繰り返しの結果、今の首の長さに落ち着いた、とも見てとれるのではないだろうか。ヒトが猿から急激に変貌を遂げた、というのは実は誤りで、世代交代を利用して極めて緩やかに身体を変化させていった、と見るのが妥当とも思われるが。ミッシングリンクと言われる進化途中の類人猿の化石が発見されていない、つまり決め手となる確証が得られていない、というだけで何分手掛かりも少なく、憶測も限定的になってしまうのは否めないがな。」

 

 敢渡「チンパンジーやオランウータンなどと我々人間を見比べると、やはり疑わしく思うのですよ。霊長類と名付けられてはいますが、本当に共通の祖先から分岐したのか、と。認めたくない、といってしまえばそれまでなのですが。」

 

 銅印「だから、人間にだって勿論身長差もあれば筋肉質の者もおり、逆に華奢で棒のように手足が極端に細い者だっているだろう?個体差、というのはどうしても生じるのだよ。型枠に嵌め込んだフィギュアのように全て共通とはいかないのだ。極めて長いスパンで観察可能であれば環境や思想の些細な違いなどが目に見えて身体の変化に顕著に現される結果ともなるだろう、という話を論じているのだよ。微妙な差であっても数千年数万年のスパンで観察を行なうと変化の度合は大きく異なってくるのではないか、という話だ。」

 

 敢渡「それは言えてますね。毎回両親にそっくりなこどもが生まれるというのも考えづらいですからね。」

 

 銅印「そこでひとつ気になっているケースがあるんだ。君は『首長族』と呼ばれる民族を知っているか?タイとミャンマーの国境付近の山間部にいる奇妙な風習を持つ民族なのだが、幼少の頃から彼女等の内、選ばれた者は首に真鍮のリングをはめられ、成長と共に首を長く伸ばしていくという奇妙な風習を実践している種族なのだ。嘆かわしい事に現在では単なる観光客目的のパフォーマー扱いとなっていづれ廃れゆく風習となってしまうとは予想されるが、もし仮に何世代にも渡ってその風習が民族間で受け継がれ、その彼女等を長期的なスパンで観察し、彼女等の子孫が生まれながらにして首が長い状態で誕生し、次第に生まれつき首の長い子孫が誕生する種族となった場合、それは意思のチカラが身体の形態に変化を及ぼしたと見なされる良い証明となる、と私は考えている。逆に言えばいくら首が伸びる工夫をしても子孫には何ら変化が見られない、とすれば彼女等が首に真鍮のリングをはめて首を伸ばすのは無為な努力をしている、という事にも繋がる。ただしそれを証明する為には今後何千年何万年という長い期間に渡っての観察記録が必要となってくるだろう。」

 

 敢渡「それは面白い観察実験ですね。」

 

 銅印「そう。そしてもしも彼等が極めて長期間に渡る観察の結果、次第に首が長い種族に変貌を遂げたとした場合、そこで重要な事がひとつ言えるのだ。それは進化論とは多少異なる意見でもあるが、猿の共通の祖先の中に極端に体毛が薄い者同士の配偶や手先の器用な者同士が配偶した場合、その子孫がその特徴を遺伝子に情報として残す事が出来るのかどうか、の疑問の答えがひとつ解決する。生物がそれぞれ持つ意思のチカラが形態の変化に影響を及ぼすのではないか、というひとつの良い事例となると思われるのだ。」

 

 敢渡「つまり猿の祖先の一部の個体群が『こう在りたい』という願望や祈りに似た意思のチカラが身体の組成に影響を及ぼした結果、我々人間のような個体群に変貌を遂げたのではないか?という事でしょうか?」

 

 銅印「そういう事になるな。しかしそれは1世代や10世代の話ではなく、悠久の長い期間をかけて極めて緩やかに変貌を遂げていったのではないか?との疑問だ。鳥は単純な必要性に応じて今のような鳥の姿になっただけではなく『こう在りたい』という何世代に渡っての願いの結果、翼を持つに至ったのではないか?そう思わずには居られないのだよ。」

 

 敢渡「大半の学者は身体の形態が類似しているという事実から、猿の共通の祖先から人間という亜種が突然変異として偶然に近似した確率の元に派生したのではないか、との見解を示していますよね。しかしそれは偶然の産物などではなく、生物が持つ明確な意思のチカラによってある程度操作され、人間の姿を形状を望んだといういわば必然、そういった事でしょうか?」

 

 銅印「断言は出来ぬがな。多少乱暴ではあるが生物は生まれ持った自分で操作可能な身体の条件を元に、絶え間なく変化する自然環境に適した形態をある程度自分の意思で取捨選択して現在に至ったのではないか、との仮説だ。極論を言えば推測するに生物が誕生する遥か以前から自然とは存在していた物であり、まず地球という土台の発生が先であり、そこへ生物発生の条件が揃い、生物が次々とその環境に応じて発生したとするならば、ともすれば『地球そのものの意思』が生物を発生させるに至ったのではないか?との見方もある。いわば我々は進化というよりも生物発生の謎を解く為に知性という手段をみずから選択して現在に至るのかも知れないのだ。しかもそれは現在進行形の未解明な最重要事項のひとつでもあり、過去を鑑みればそれが地球(ガイア)の末裔でもある我々人間に課された指命でもあり、地球という1個の生命体が望んだ希望的観測の結果の顕れなのかも知れない、という仮説だよ。」

 

 敢渡「まるで聖書の創世記の冒頭に書かれた、主の『斯く在るべし』という願いの大元が地球そのものの意思ではないか、との疑問符ですか。つまり我々は理論(ロジック)に基づいて謎を探究すべく生まれた地球という巨大な生命体の末裔、と言う事ですか?未来は夢とロマンに満ち溢れていますね?」

 

 銅印「知的探求心、即ち我々は何を知っていて、何を知らないかを知っている。今はそれで良いのではないか?その場にとどまっているばかりで他に手段を見失なうより、1ミリでも前に進めたのであればそれで良しとせねばな。」










◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇


 唖幌(あほろ)「息子に言われたのですが、学校の教師と言う者は教科や継続年数にもよるのでしょうけど、何故あんなにつまらなそうに淡々と授業を進めるのでしょうか?息子が言うにはわざと興味を持たせないように何の感情もなく教えてるんじゃないか?と疑っているようなのです。」

 

 勇悟(ゆうご)「それな。オレも経験あるよ。若い先生のほうがまだ教える気があったような記憶があるな。定年間近の先生なんか生徒に全く無関心だった記憶あるなあ。そりゃ何10年も入れ替わり生徒が変わってたらひとりひとりなど余程個性が強くなきゃ覚えられないだろ?」

 

 唖幌「実は私も歴史や古文の先生などは本当に教える気があるのか?と疑った事があります。授業中も机に突っ伏して寝ている生徒が何人も居ましたよ。しかも全然注意もされない。」

 

 勇悟「まあな。オレもラリホーの呪文モロに喰らって大事な話を聞き逃した事何度もあったな。あれってワザとだよな?呪文に屈する事なく堪えきって授業内容を記憶した者だけが試験に打ち勝てる一種の試練としか思えないよな。」

 

 唖幌「私も単位ギリギリでしたね。まるで先生が自分のようにはならないでくれ、だから覚えないでくれ、と無言で訴えていたのではないか?と思える程に教える意欲が感じられなかったのですよ。やはりそうなのでしょうか?」

 

 勇悟「確かに猛勉強して成績上げても、ああ、覚えちゃったの?こんなのいくら覚えても無駄なのに、といった心の声が聞こえてきたような錯覚を覚えたもんだ。実用性の面から見ても実際に社会に出ても何ら使い道のない勉強をさせられていた、と鑑みるとあながちその直感も不正解とも思えないフシがあるんだよな。」

 

 唖幌「与作さんも言っていたのですが、たくさん知識があるに越した事はない、とは言っていましたけど、何時どこでその知識を発揮すればいいのかその辺は全然教えてはもらえないのですよね。」

 

 勇悟「人によっては一生使い道がない知識を猛勉強させられていた訳だろう?その疑問は誰に聞けばいいのか、オレ達はいったい何をさせられていたんだろうな?無事に学校を卒業したからこそ、今こうしてここに居る訳なんだが、まるで狐か狸にでも鼻をつままれた気分は拭えずにいるな。」

 

 唖幌「思えば学校の教師と言う職業もルーティン・ワークですからね。毎日というか年単位とかで同じ事の繰り返し。パターンを限定されてしまうと人はあんな風になってしまうのですかね?息子に何て説明すればいいのか?先生という職業はそういうものなんだ、って何の説明にもなっていないのですけど。」

 

 勇悟「極論言えば教えるのが人間じゃなくても全然構わない訳だからな。それ以前に義務教育というのがさっぱり意図が読めない。高校からは教育にもカネがかかるって話だろう?つまり知識というものはカネを支払って購入するものなのか?という疑問だよ。」

 

 唖幌「言われてみればその通りですよね。裏を返せば貧乏な人は知識を購入出来ない、と堂々と公言しているようなものですよね。そう考えるとオカシイ世界に生まれてきたものですよね。」

 

 勇悟「いったい誰が決めたルールなんだろうな?例えば船1隻造るのに歴史の年表とか覚える必要性があるのか?と聞かれれば何と答えていいものやら。全く無関係な知識が思いもよらない場面で役に立つとでも言いたいんだろうか?しかも今の社会ではひとつの職業に従事してしまえば特に不都合や特別な理由でもない限りずっと同じ職業に地縛霊のように居続けるような固定キャラが重宝がられて居る訳なんだろう?何年も同じルーティン・ワークに従事していた者が唐突に全く別の職種に転職を余儀なくされると全然対応出来ない。それは当然の結果だと思われるけどな。」

 

 唖幌「私なども同じですよ。親に言われるがままに勉強してきましたけど、今の職種で使う知識なんて大学で学んだ事なんてほぼ不要ですからね。試験を通過する為に必死で暗記した大半の知識なんてとうの昔に忘れてしまいましたよ。本当に何のための勉強だったのか今にして思えば実用性に欠ける勉強ほど身に付かない気がしてならないんですよね。まるで家に常備してある一生使われる事がない工具をいつまでも捨てずにとっておいて、やはり結局使われる事なく置いてある事すら忘れてしまう、そんな事を必死で学ばされていたような気がしてならないのですよね。」

 

 勇悟「結論としては、結局は心の声に従え、って事か?誰が決めたルールなのか分からないが、早々にそのルールを変更しとかないとあとあと取り返しのつかない事態に陥るような気がしてならないんだよな。まず手始めに知識をカネ払って購入する、ってルールを変更しといてくれないとな。誰だって率先して興味も何もない勉強なんてしたがらないんだからせめてそのくらいは自由に選ばせてもらえないと。つくづく理に叶ってない世の中に生まれてきたモンだよな。」

 

 唖幌「そうですよね。あとは試験の結果とか順位を公開して競争意欲をあおるのも問題あると思うのですよね。ゲームと一緒ですよねそれだと。高得点さえ出せばクリア、それ以外はゲームオーバーみたいなやり方だとクリア出来ない生徒は永久にクリアしようとしなさそうですからね。そこはマイペースでもいいと思いますけどね。興味がわいたらいつでも自由に学べればその方が確実に身に付くような気もしますが。期間限定でタイムリミット中にクリア出来なければ全員ゲームオーバーだったら最初からゲームに挑まないほうが時間的にロスを防げるんじゃないか、という疑問は常にありましたよ。試験が高得点を取るゲームだとしたら私は常にギリギリで通過した側に居ましたから。競争は競争でも全然公平性に欠ける競争に意味があるのかどうか。」

 

 勇悟「で、結局息子には何て答えるんだ?ワザと興味を持たせないように教えてるんだったなら、その悪意の逆を進んでその教科を集中的に覚えるようにしろ、とか言うのか?姑息な手段に出るのだったならそれに屈せずに突き進めとでも?」

 

 唖幌「いえ、興味がないのだったら無理に覚える必要はない、と言っておきますよ。だって、私のようになって欲しくはないですから。」










◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇


 弟刈兎(でかると)「殺人が認められていないのはどうしてなのでしょうかね?この人はどちらかと言えばこの世から消えてもらったほうが世の中平和になるんじゃないか?って人が無数にいるのですけど。」

 

 勇悟(ゆうご)「まあな。でもダメなものはダメなんだよ。オレとてこいつは生かしておくとロクな事をしそうもないな、という奴を何人も見てきているが、やはりなるべく殺さずに済めばそれに越した事はない、と自分を諌めてきたのだ。岩野のヤツだったら冗談抜きで殺りそうだからあんまりヤツの前ではそういう話はしないほうがいいぞ。正義感が強すぎる、ってのも考えものだよな。」

 

 弟刈兎「特に企業のお偉いさんとかは人間的に見て最悪ですよね。カネを持つと人格が変わってしまうのか、それとも元々ゲスの素質があったのかいっぺん全財産強制的に没収したらどうなるのか実験してみたい気もするんですよ。」

 

 勇悟「お前も因果な仕事をしてるよな。お前自身は薄給だとしてもお前の組織のトップなど腐敗どころか国そのものを食い物にしてるとしか思えないからな。かといって個人的にそいつらを始末してこの世から消したところで自分の溜飲が多少下がるだけで本来の問題解決には至らないからな。」

 

 弟刈兎「おそろしい事言わないで下さいよ。でもルールというのは何処の世界でもありますでしょう?将棋だって歩兵が桂馬の動きしたり金とか銀みたいにバックされたらまともな勝負にならないでしょう?僕としてはそれと同じような事だと考えてますけどね。」

 

 勇悟「現実は将棋みたいに単純には行かないんだよ。でも人殺しは絶対ダメ!なんて言ってるけどニュース見れば当たり前のように毎日殺人事件が起きてんだよな。要は当事者自身の判断に全部委ねられてんだよ。建前上は人を殺しちゃダメとは言ってるけど殺っちまったものは仕方ないから罰しますよ、って事だろ?で、死刑制度がある、って事は良く良く考えてみたら堂々と殺人はOKですよ、って言ってんのと変わらないんじゃねぇの?」

 

 弟刈兎「(………将棋もそんなに単純ではないですけどね。)そう、そこなんですよ。法律決める人達が制度も決めてますからね。でも裁判所もそうなんですけど人が人を裁く、なんて考えれば考えるほど烏滸(おこ)がましいにも程があると思うんですよ。」

 

 勇悟「それな。欺瞞にも程があるよな。んで正当防衛とかあるだろ?あれだって基準が曖昧過ぎるんだよな。たとえば乱暴な運転してるヤツがいて下手すると間一髪で自分が轢き殺されてた、とするだろ?それに腹を立てて運転してた馬鹿を殺した、とするだろ?たぶんだけどそういうケースは正当防衛なんて成立しないような気がするんだよ。警察の言い分だと実際に轢き殺されてから復讐した、ってんだったら正当防衛が通用するんだろうが未遂だと単なる人殺し扱いにしかならない。結局は最初から馬鹿を駆逐しとくしかないんじゃないのか?」

 

 弟刈兎「それって状況にもよりますからね。でも人が人を裁く、って考え自体が殺人に繋がってるんじゃないんですか?そりゃ何の理由もなく無差別殺人じゃ何かの手違いでこの世に生まれてきたんだろうな、だから無かった事にして秘密裏に抹殺しちゃおう、って考えは分かるんですけど、やっぱりこれって多数決なんでしょうかね?」

 

 勇悟「それもあるな。んで結論としては、人が人を殺しちゃいけません、とは誰も堂々とは言ってない、でも表向き法律上ではタブーとされている行為であり、殺人を犯してしまった者は理由如何によっては死刑、もしくは奪った命に相当する代償を支払う、と。何ともいい加減なルールだこと。こんなんじゃ馬鹿有利だろ。逮捕されようが死刑になろうが殺っちまってから考えよう、て馬鹿ばっかりになっちまったらこの世はもうおしまいだろうよ。」

 

 弟刈兎「本当にそう思います。僕も犯罪は犯した者勝ち!って言うルール自体なんとかしたほうがいいと思うのですよね。で、ですね、どうしてこんな事を勇悟さんに相談したかというと、実はこないだ脱税している方々から滞っていた税金を徴収したのですが、それ以来普通に道を歩いているとマンションのベランダから突然植木鉢が落下してきたり、休みの日に外食したりすると居眠り運転の車が突っ込んできたりと、今の処さいわい怪我とかはしてないんですけど、とにかく不自然な不幸が身近で頻繁に起きるようになりまして。」

 

 勇悟「お、お前!良く見ると、なんとなく死相が出てるぞ!?オレってお前の知り合いだったっけ?赤の他人だよな?単なるすれ違いの通行人だよな?じゃあオレはもう行くが、特に背後には気をつけろよ!」










◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇


 岩野(いわの)「………おまえが俺のそばから居なくなってもう2年か。時の流れというのは実に早いものだな。」

 

 偉影逸(いえいいつ)「亡くなった配偶者の供養ですか。御冥福をお祈り致します。大切な人を亡くしたのですね?」

 

 岩野「ああ、貴方か。そうだ。病死でな。こればかりはチカラ技ではどうしようもないからな。せめてこどもでも残してから逝ってくれればな。」

 

 偉影逸「私が各地を何のアテもなく旅をしている間にも、いろいろな事があったのですね。再婚はしないのですか?」

 

 岩野「人はヌイグルミや人形ではない。紛失したから、ボロボロになったからといって次に代わりの人形を探す、とはいかないものなのだよ。」

 

 偉影逸「人とは、不思議なものですね。お互い見知らぬ者同士、出逢っては別れ、また次の出逢いを探す。亡くなったかたは二度とは生き返らない。遺された者が、ただ旅立った者を悼むのみ。」

 

 岩野「俺はもう結婚などせぬよ。嫁はただホンのちょっとひと足先に旅立ってしまっただけだ。俺の嫁はこの世にたったひとりだけだ。」

 

 偉影逸「………」

 

 偉影逸「私にも、決して(うし)ないたくない人が居ました。兄です。私の身代わりになってこの世を去ったのですよ。」

 

 岩野「その話は今はじめて聞いたな。貴方に兄が居たとは知らなかった。」

 

 偉影逸「父の仕事の都合でね。私はこどもの頃、しばらくアイルランドに住んでいたのですよ。そこで兄は亡くなった。」

 

 偉影逸「両親を除いてはたったひとりの肉親でした。本当なら、あの時私が命を落とすべきだった。しかし兄は私の手を引き、代わりに谷底へと転落して逝った。」

 

 岩野「山での事故か。しかしそれは悔やんでも仕方あるまい。」

 

 偉影逸「ひとり生き残った私は、自分のせいで兄を亡くした、自分が兄を殺したようなものだ、とずっと自分を責め続けました。そのせいで両親は酷く私を叱りつけたのですよ。せっかく兄からもらった命を粗末にするな、と。何度も何度も。」

 

 岩野「………」

 

 偉影逸「いっそ私も共に兄の元へ逝ければ、どれほど気が楽になっていた事か。しかし時の流れは無慈悲にも心にぽっかり空いたままの喪失感を薄め、亡くなった兄の分まで私は生き延びねばならない、そういった使命感が私を絶望の淵からこの世に呼び戻したのですよ。」

 

 岩野「そうだったのか。お互い、かけがえのない人を亡くしたという事が果たしてどれほど心に深い翳りを落とす事か。時の流れとは実に無情なものだな。」

 

 偉影逸「しかし、決して忘れる事などありません。あの時、兄を亡くしたからこそ、今の私がここにいる。」

 

 岩野「そう、だな。もし嫁が生きていてくれれば、今とは違う俺が何処かに居た筈なのだからな。」

 

 偉影逸「………」

 

 偉影逸「Nor dread nor hope attend

     A dying animal;

     A man awaits his end

     Dreading and hoping all;

     Many times he died,

     Many times rose again.


     A great man in his pride

     Confronting murderous men

     Casts derision upon

     Supersession of breath;

     He knows death to the bone

     Man has created death. 」

 

 岩野「???」

 

 岩野「悪いな。俺は英語は全くダメなんだ。」

 

 偉影逸「何でもありません。今のは忘れて下さい。死を畏れずに生きる、それがどれほど困難な道のりである事か。」

 

 岩野「さて、俺はもう行くよ。貴方はもう村には住まないのか?故郷がある、帰る場所がある、ってのはわりかしいいものだぞ。」

 

 偉影逸「ええ。私は空を自由に舞う渡り鳥のように、死が私を迎えにくるまで世界を飛び続けますよ。では、貴方が選びとった運命に祝福が舞い降りますように。」









◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇


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