品種改良された花々と、庭師 マリンの悩みごと
倉庫だった部屋をリフォームし始めてから経つこと数日。ようやく家具を扱う業者と連絡が取れたようで、早速今日の午後に来ていただくことになりました。
「今日も良いお天気ですね奥様!」
業者が来るまでまだ少し時間が会ったため、私たちは庭園へと足を運んでいました。珍しい植物が手に入ったというマリンの知らせを聞き、マオと珍しい植物について話しをします。
「私はやはり花だと思います! 育っていくにつれて色が変わっていく花や、気候によって花弁の形が変わる花でしたら、この庭園にはますます人が集まってくることでしょう!」
目をキラキラさせるマオ。確かにそのような花があったら面白そうです。
「そんな花があるならば見てみたいわ。でも、もうここには十分の花の種があるから、苗木じゃないかしら? 多くの実を付ける木だったら、いつでも果実が食べ放題よ」
「それもいいですねぇ! 食べ放題…なんて魅力的な響きでしょう」
などと言い合っていたら、マリンの待つ植物を栽培している小屋へと辿りつきました。マオがヒョコッと小屋を覗き込みます。
「マリン、来ましたよ…って、それは花ですか!?」
どうやらマオの考えが当たっていたようです。私は彼女の後ろからヒョコッと顔を覗かせました。最初笑っていたマリンでしたが、私がいると分かるとギョッとした表情を見せます。
「お…奥様!? 何故このようなところへ…執事長からお叱りを受けてしまいます!! それに…そのご格好は!?!?」
あまりに大きいマリンの動揺する声に、私は慌てて辺りを見渡しました。幸い、フレッジの姿は近くにはないようで、私はほっと胸を撫で下ろしました。まだ支度している時間なので、彼はまだいるはずでしたので、私はホッと息を吐きました。そして、小声で彼女に説明します。
「……というわけで、その部屋にある絨毯が必要なのだけど、私って業者と直接交渉することってできないらしくて……」
だからこっそりメイドさんに扮しているの、と私が笑うと、マリンは恐怖に怯えた顔をしました。
「し…執事長はこのことを………」
「知らないわ。他の人達も内緒にしてと頼んだし…それにね、わざわざ今日にしたものフレッジが留守にする日を狙ったからなの。計画は完璧よ」
今日は、月に1度訪れるフレッジが家を留守にする日。休みを取っているわけではないそうなのですが、どこで何をしているのかは謎。まぁ、私は知らないでいいことなのでそれはいいとして、今言いたいことはこの日のフレッジの帰宅は大体夕方頃だということです。
「…つ、つまり……執事長が帰宅される前に絨毯などの家具を揃え、奥様は何事も無かったかのようにその服を着替えられ、素知らぬ顔をされる……ということでしょうか?」
私は簡潔にまとめてくれたマリンの言葉に頷きました。
「だから、マリンもこのことは秘密でお願いね。さっ! 貴方が買ったという珍しい花ってマオが見ているこれかしら?」
どうやらお喋りなマオがこちらの会話に全く入ってこないほど、興味深い花のようです。マリンは私の切り替えの早さに付いて来られないようでアタフタとしながら頷きました。
「こちら、異国で品種改良された花となります。中々思い通りに色をつけないそうなので、贔屓にしていた商人から依頼を受けたのです。この花の原種はなんだと思われますか?」
私はまじまじと近くでその花々を見ました。花自体は紫色の花弁が集まって丁度手の平で包めそうな形をしています。確かに珍しい花のようで、この国では見られない品種のよう。異国で品種改良が行われたということは、この花は元々この国で咲いていたものでしょう。さて、一体どの花かと頭の中で候補を挙げますが、中々正解に当てはまりそうな花は浮かびません。
「…降参だわ。どの花を品種改良したものなの?」
植物にあまり詳しくない私は早々にお手上げでした。マオはしばらく渋い顔をして思考を凝らしていましたが、とうとう白旗を上げます。マリンは可愛くふふっと笑うと、ある花の名前を口にしました。
「正解は・・・紫陽花です」
「「紫陽花!?」」
私たちは意外な答えに思わず声を上げ、顔を見合わせます。紫陽花ならば結構見慣れたといってもいいほどこの国には群生しています。中心にある白い花を紫の花が囲っている…確かガクアジサイと言うのでしたっけ…それはよく雨の多い日に見られたように思います。さらに、紫色の花ということで、同じ色の瞳を持つ義母が好んでいた花でもあります。
「はい。これはホンアジサイと言いまして、こちらで見慣れた紫陽花が異国で品種改良の結果このような形になったと商人が言っておりました。ガクアジサイより形が愛らしいため、今人気の商品なのだと。さらに、驚くことがありまして…異国に持ち帰ったことにより、紫陽花のある特性が判明したのです」
珍しく興奮気味のマリン。饒舌な口調と目を輝かせて奥から何かを持って来ます。それは大きな鉢入れで、そこには同じくホンアジサイと思われるものが咲き誇っていました。私とマオはその紫陽花を見て、驚きの声を上げました。
「えっ!? 色が…!?」
マオが私とマリンの手の中にある紫陽花を見比べました。私はポカンッと口を開けます。なんと、その紫陽花は私の髪の色と同様の薄紅色をしていたのです。
「今はこれだけしか成功しなかったのですが、コツは掴みましたので思い通りの色を咲かせることができると思います。まさか紫陽花にこのような特性があったとは、想定外でした! まさか、土の状態により花弁の色を変えることがあるなんて・・・・・・!!」
そこからマリンは饒舌に、どのようにして紫陽花の特性を知ったのかを述べましたが、あまりにも専門的すぎて私もマオもポカンとします。
「…………ということから、降水量が紫陽花の色と関係しているのではと私は考えたんです。雨が多い地域では、土の中のある成分が流れてしまうことで……」
「マリン、ストップストップ!!」
マリンの考察の途中でしたが、限界に近かったマオがそれを制止しました。マリンは慌てた様子で再び口を開きました。
「…す、すみません!! またやってしまいました! 私…栽培のことになるとつい夢中になって……申し訳ありませんでした!!」
頭を下げるマリンに、私は恐る恐る口を開きました。
「マリン……貴方…学校に行っているの?」
私たちの国では、学校は2種類に分けられています。1つ目は、私やウィリアム様が通っていたような所で、貴族の子供ならば必ず1年以上行くことを義務付けられている学校です。そこでは花嫁修業や社交界など…言うなれば貴族の子供として生きていくための最低限、または生徒によっては最大限を学ばせる場となっております。そして、2つ目。そこは1つ目とは違い、特別行くことを義務付けられてはおりませんし、どのような生まれの子でも入ることを許されている学校です。ただし、入るためには条件があり、試験を受けそれが一定の基準を満たせないと入学することができません。そこを卒業した者は、将来国を支える学者や王都でのポスト、資格などが与えられ、職に困ることはないと言います。私はこれまでのマリンの言動から、もしかしたら…と思い、そう彼女に問いかけました。すると、私の予想通り彼女はコクンっと頷きました。
「は…はい」
とマリンは青白い顔でそう答えました。やっぱり!と思わず私は彼女の両手を握りました。
「凄いわマリン! そうじゃないかと思っていたのよ!! マオたちメイドさんの養成学校があることは知っていたけれど、庭師の養成学校があるだなんて私知らなかったわ!! やっぱり試験って難しいの? あの青い花を育てられたのも学校での知識? 色々教えて欲しいわ!!」
私の言葉に目を白黒させるマリン。私は自分で興奮しすぎたと悟り、握っていた手を離し謝りました。
「少しはしゃぎすぎてしまったわね。ごめんなさい…」
「庭師の養成学校なんて…ございません奥様」
気まずくなった私が目線を逸らした時のことでした。震える声でマリンは言うと、何故か俯きます。何故マリンがそのように震えるのか私には分かりません。マオを見れば、少し困った顔でマリンの背を撫でています。私は今度はそっとマリンの手に触れました。
「私は今の職に満足しております…給与を減らしていただいても構いません。ですから…どうか………クビだけは…」
急にそのようなことを言い出すマリンに私は慌てて首を振りました。
「突然どうしたの? 貴方をクビになんてしないわ」
そもそも私にそのような権限はありません。すると、マリンは黙って首を振りました。
「私…今以上に頑張りますから…だから………」
震える彼女に私の声は届きません。困惑する私の代わりに、マオが口を開きました。
「マリンは以前、お勤めしていたお屋敷を解雇されておりまして…。その理由が学校に通っていたことが雇い主に知られてしまったからなんです」
マオの説明によると、マリンは庭師の腕を磨く勉強をするために学校へと通い始めたらしいのですが、それを良く思わない雇い主たちに難癖をつけられて解雇されたのだそう。そのとき、とても傷つくことを言われたのか、未だ休暇を利用して学校に通っていることを旦那様に話せないのだそうです。
「も…申し訳ありません…」
と、もう何度目かになるか分からない謝罪を口にするマリン。私は彼女の頬をそっと撫でました。
「大丈夫よマリン。大丈夫・・・」
そう優しく声をかけると、マリンはゆっくりとですが顔を上げてくれます。目線が合うと、私はニコッと笑いました。
「貴方をクビになんてしないわ。こんなに優秀な庭師を誰がクビになんてするものですか。休暇を勉強のために費やすなんて、マリンは本当に勤勉家なのね。尊敬するわ」
「……奥様…」
私はマリンの頭をそっと撫でます。ふと、誰かが言っていたことを思い出しました。今この国では、後継者の学びの低度が問題視されているのだと。結局、義務化されている方の学校では試験などがないため、ただ無駄に時間を過ごしている生徒が大半を占めているのです。そのため、授業内容はあまり大差ない学校でも、学力が生徒たちにやる気の差と比例してしまうのが現状です。その結果、後継者が未熟なまま世に出てしまい、様々なトラブルを生んでしまうことも少なくないのだとか。
「きっと前の職場では嫉妬されてしまったのね。貴族たちは後継者を育てようと今必死になっているから。庭師の養成所がないってことは、将来王都の重要なポストにつけるような学校に貴方は通っているということよね?」
マリンがコクンッと頷くと、私は感嘆の声を上げました。毎年1000人程いる希望者の中から数十人しか入れないあの狭き門。それを潜り抜けるために、並ならぬ努力をしたのだと容易に想像できましたから。
「最初はただ土の勉強がしたいという一心だったんです。仕事に支障がでるならすぐ辞めようと思っていました。しかし、大金が必要になって…。…今までの給料だと全然足りなくて…。以前から学校で行っていた作物の改良が成功すれば孤児院の方に大きなお金を送れるんです。それが後もう少しで改良ができそうで…」
だから、マリンは学校を辞めることができず、職を転々とするしかなかった…。そっか…マリンは孤児院出身だったのか…。頼れる人もあまりおらず、1人でするしかなかったのでしょう。…こんなに小さな体なのに…。私は大丈夫ともう一度彼女に言い聞かせ、そして彼女の小さい体を抱きしめました。
「…黙っていて申し訳ありませんでした…」
「マリンが謝ることではないわ! ね、マオもそう思う……」
と、私はここで初めてマオの顔を見ると、マオはもう泣きそうになる手前。そのグッと堪える顔に私は思わず噴出してしまいます。
「お…奥様!? 何故お笑いになるのですか!?」
もう止まらない笑いに、マリンが振り向いてマオの顔を見ると彼女のまた私と同じく笑いが止まらなくなります。
「ちょっ!? マリンまで!! もー! 酷いですよ!!」
この後、ぷんすかと拗ねるマオに私たちはひたすら謝り、そして私はマリンにある提案をするのでした。