部屋の完成へと
私がこの部屋をそうしようと思ったのは、倉庫に積まれた荷物の中から薔薇が施された装飾品を目にしたことがきっかけでした。その薔薇たちは一つ一つ丁寧に彫られており、とても綺麗に彩られておりました。私の故郷では、薔薇は愛する人に送る生涯1つだけの花だと言われています。この王都ではどう言い伝えられているか分かりませんが、アーサー様が奥様であるソフィー様に送られたのですから大切な思いが込められた贈り物であることは間違いありません。
「奥様の故郷では、随分ロマンチックに伝えられているんですね。私はあまり薔薇にはいい印象はありませんが…」
アンリが私の言葉に意外そうな顔で、薔薇の装飾品を眺めます。私はそうなの?とマオを見ますと、マオが頷きながら、口を開きました。
「薔薇にはその綺麗な見た目から花の妖精がいると言われているんです。その花の精は男性を虜にしてしまうということから、薔薇は贈り物としてあまり好まれないものとなっていて、その風習は今でもありますね」
「それは男性からの贈り物でも?」
私の問いに答えてくれたのはアンリでした。アンリは少し暗い顔をしながら、
「そうですね…。その場合は嫌味に取られてしまうでしょう。…この花の精より劣っていると…」
と言います。私はその話を聞いて、なんて勿体ないと思ってしまいました。私の故郷では、薔薇は綺麗の象徴でもありました。潮風からかあまり新たな植物が育ちにくい土地となっていましたが、それでも人々は根気強く植え続けた結果、今では薔薇の生産地となっているのです。
「ですから、大旦那様が大奥様に薔薇の装飾品を送られていたと知ったときは大変驚いたものです。その時、大奥様は大変戸惑われたそうで…」
なるほど。確かに、王都ではそのように言い伝えられていたのであれば、ソフィー様も驚かれたことでしょう。ユリの話によれば、その頃アーサー様は勉強のため他国へ留学続きだったそうで、こちらの情報に疎かったのだと。その道中などで私の故郷に立ち寄り、薔薇の言い伝えを聞いたのでしょう。同じ国ではありますが、こうも真逆に伝わるだなんて驚きですね。
「そう…。せっかく思い出の品々があるのだからそれを使おうと思っていたのだけれど…止めておいた方がいいかしら?」
また部屋のコンセプトについて悩みそうです。私が考えていると、ユリが首を振りました。
「私はとても良い考えだと思います。大奥様はわざわざお捨てにならないで、倉庫へと仕舞われたのですから。大奥様にとっても思い入れのあるものをだったのでしょう」
「んー…ただ持って行かれるのが大変だから置いていかれただけでは……」
アンリがそう言いかけましたが、突然思い出したように手を叩きました。
「あっ!? 持っていかなかったのではなく、持っていきたくても持っていけなかっただけかもしれません! 大奥様と大旦那様、大喧嘩なさった直後でしたから」
「えっ!? 大旦那様方、喧嘩されていらっしゃったのですか??」
その言葉を口にしたのは、私…ではなくマオでした。彼女は知らなかったのでしょうか? マオは私の視線を感じると、えへっと笑いました。
「私中級試験ために、母のところで学びに行っていて、ここに戻ってきたのはつい最近のことで。大旦那様方がここを発たれる直前にお会いし、その時は特に変わったご様子は無かったものですから、驚いてしまいました」
「私の記憶では、まだ仲直りはしていなかったはずです。貴方は感じなかったでしょうけど、もうピリピリしていらっしゃって…私達も気が気でなくて…」
その時を思い出したのか、ゲンナリとした表情のユリ。アンリも同じような顔をしているので、余程大変だったのでしょう。ユリは話を戻すとばかりに、私に微笑みました。
「…生涯の相手に送る花。確かに女性を口説くとき、男性は薔薇に例えたりしますもの。しかし、まさかそれが昔から伝わるものだとは思ってもみませんでした。大旦那様も奥様の故郷のお話をお耳にして、大奥様に送られたのです。そのとき大奥様がどう思われたのかは分かりませんが、それがお二人にとっての思い出ならば、嫌なお顔はされないと思います」
ユリの言葉に背中を押され、私は頷きました。部屋のコンセプトはこのままでいきましょう。しかし、問題がひとつあります。
「お二人の寝室にするんだもの。あの古びた絨毯じゃ合わないわよね…」
他にも、寝室にするならばベッドが必要ですし、棚やカーテンなどもいります。何が言いたいかと言うと、お金がいくらあっても足りないということ。
「……………私もここで雇ってもらおうかしら…」
「奥様!?」
「冗談よ」
半分はね…という言葉を胸に秘め、私は笑いました。私は表向き、公爵家夫人となっています。夫人を雇って働かせるだなんて……あまり考えられませんね、
「業者に来て頂くというのはどうでしょうか?」
ユリが私にそう提案しました。普通、業者がお屋敷を出入りし、入用の物を買っていくのだそう。2人はそれに賛同しますが、私は首を振りました。…いえ、ですからそれを買うお金をどうするかという話を…
「奥様が欲しいものは、ある程度の範囲でなら執事長も許していただけるはずなので、ご心配なさらないで大丈夫ですよ」
とアンリ。え…いやいやいや!!流石にそれは駄目でしょ。私は表向きの夫人だし…と渋る私に、ユリが大丈夫です奥様…と1枚の用紙を取り出しました。
「この部屋のことは執事長にお許しをもらっています。そのために必要な費用も予算を提出してサインも貰っています」
ユリの言葉に私はまじまじとその用紙を見ました。…いつの間にこのような物を!? 私が驚いてユリを見ると、ユリはふふっと笑います。
「部屋を改装するためにはお金が必ず入用になると思いまして。誠に勝手ながら、自由に動けるようにとその前に手を打たせていただきました」
ユリが…めちゃめちゃ優秀でした! 私がそう彼女を褒めると、ユリは嬉しそうに微笑みました。
「私は奥様のメイドなのですから、このくらい当然です」
と。そして、ある程度掃除が終わり、物ひとつないスッキリとした部屋を一通り見ていると、昼食の時間が近づいて参りました。私は今日のお昼は何かなとウキウキしながら、部屋をあとにするのでした。お金と家具の問題は解決しました。あとは、家具を揃えることができたならば、もう部屋は完成したも同然です。
☆
「んー!! 美味しい!!」
今日の昼食は、生クリームのチーズパスタ。ふんだんに使われたチーズが舌でとろけて、私はうっとりとため息をこぼします。
「今日も最高に美味しいわ!! 流石ルイスね!!!!」
「最高の褒め言葉をありがとうございます奥様」
金色の髪をサラッと上へかきあげ、嬉しそうに微笑むルイス。顔がいいのは狡いなと思いながら、私は彼に新しい料理を取ってくれと頼みます。
「あ…あの…ノイリ様……あ!! いえ、奥様!!」
何故、料理長であるルイスが給仕紛いのことをしているのかというと、恐らくこの新人くんにあるのでしょう。彼はあの後、かなり怒られたらしく、私を名前で呼ぶことはなくなりました。私は別に構わないのだけれど、フレッジ曰く私を名前で呼ぶのを許されるのはこの家ではウィリアム様だけなのだそう。この家の使用人…さらには新人如きに奥様の名を口にするなど言語道断…なのだと。その時のフレッジの静かに怒る様子が恐ろしくて私は口出しできないでいました。
「……まだここにいたのですか。貴方の仕事は厨房の掃除だと伝えたはずです」
いつもは温厚なルイスまでも、敵対心剥き出しで新人くんを睨みます。普段が軽い調子なので、そのギャップに私もビクッと体が震えてしまいます。
「はい奥様。この具材は尻尾から食べられてくださいね」
しかし、再び私と向き合うといつものルイスに戻っており、私は新人くんをちらりと見ながら何度も頷きます。新人くんは肩を落とし、とぼとぼという効果音が似合うような背中で、食堂から立ち去りました。
「…あの、ルイス? 少し当たりすぎじゃないかしら…? 私のためなのはとても嬉しいのだけれど…火傷は軽いものだったし、それに私の不注意でもあるから……その……」
なんとフォローを入れて良いのか分からず、私はしどろもどろで彼に訴えました。ルイスは私の言葉に首を振りながら答えました。
「いくら奥様のお言葉でもそれは聞くことが出来ません。彼はこの家の使用人です。その使用人が奥様に怪我をさせるだなんてこと、本来はあってはならないこと。今回は奥様の寛大なお心で彼は首が繋がりましたが、本来ならばクビにされても仕方の無いことなのです」
真面目な顔で淡々というルイスに私は何も言うことが出来ず、黙々と食事を取り続けました。そんな私にルイスはため息をひとつ。
「このようなことを貴方様にお伝えするのは少し憚れるのですが……奥様はご自分の価値をあまりよく分かられていらっしゃらないようです」
私はキョトンとし、ルイスの言葉を頭で反芻しました。私の…価値?
「…どういうこと?」
私の価値なんて私が1番分かっていますが…。私の反応にルイスは苦笑いを返します。
「奥様はご自身で思われている以上に、魅力的な方ということです」
そして、食べ終わった私の手の甲にそっとキスを落としました。ルイスの柔らかな唇が触れたところが熱くなります。火傷をした反対の手なのに。ルイスの唇が離れると、私はハッとして慌てて手を引き寄せます。
「まぁ、それが奥様の魅力のひとつなのですが…あまりにも分かられていないとこちらとしては少々心配なのです」
ルイスが私の椅子を下げようと後ろへ回ります。私は心臓がバクバクとするのを感じながら、ルイスを軽く睨みました。あまりからかわないでください!!
「あぁ、これは奥様と私の秘密ということでお願いいたします。マオにまた叱られてしまいますから」
しかし、私のそんな睨みをものともせず、ルイスはしーっと口元に手を当て、片目を瞑り私に軽くウィンクをします。…くっ…顔がいいって卑怯だ!!!!!!
「…ルイスは自分の価値を使いすぎだと思うけど」
苦し紛れにそう皮肉を言うと、ルイスは言われてしまったと豪快に笑います。
「これが私の数少ない長所だと思っておりますから」
「…でも、多用しすぎると娘からの信頼は地に落ちてしまうわね」
反省の色がないルイスに、私は厨房を見るように促します。そこには、何かあったのかと眉を顰めるマオの姿があったのでした。