急な縁談は、政略結婚への道
「…速報です。またもや、市民による感情の暴走が発生しました。被害者は押し潰された状態で発見され、病院に搬送後、死亡が確認されました。容疑者の男は『彼女への愛が重すぎた』と証言しており、今月に入って3度目の……」
真下から吹き上げる突風に、私は思わず目を瞑りました。私の真上には飛行船が飛んでおり、普段どおり起こった出来事が耳に流れています。こんなにもこの場所は普段どおりなのに……そう思いましたが、高所にいる私の足元に届きそうな荒波が普段どおりということはなく…まるで今の私の心境を表しているようでした。不意に、気配もなく人が現れます。
「こちらにおられましたか、ノイリ様」
…流石、公爵家の執事…もう見つかってしまいましたか。私はふぅーっと息を吐きました。この場所は、人に見つからないからお気に入りの場所でしたのに…。ですが、もう私はこの場所に足を踏み入れることはないのでしょう。潮の香りを鼻いっぱいに吸い込みながら、私はもう一度目の前に広がる青色を眺めた後、貼り付けたような笑みを浮かべながら振り返りました。
☆
「お前に縁談が来た。相手はコーネリアス公爵のご子息、ウィリアム様だ」
あれは…そう3日前のことです。滅多に呼ばれることのない父の書斎で、発せられた一言がそれでした。何の前置きもなく父はそう言うと、机に文を置き、話は以上だというように書類に目を戻しました。
「……え…縁談…ですか?」
当然、私は戸惑いました。ただでさえ父の書斎はあまりいい思い出がないのに、私は何度も吐きそうになるのを堪えてこの部屋へと足を踏み入れたのです。…正直、お話が頭に入らないことなんて覚悟の上でした。そんな私にまさか縁談の話をされるだなんて……。しかし、私の戸惑いは、顔を上げた父の目を見て一掃させられました。
「も…申し訳ございません。縁談のお話、謹んでお受けいたします」
しまった…忙しい父が私を呼び出した時点で気づくべきでした。私は鈍感な自分を呪い、彼の苛立ちが自分に向くことに震え上がりましたが、父は稀に見る顔を私に向けていました。
「見目の良い姉でなく、まさかお前が公爵家に行くとは…人生何があるか分かったものではないな。……だが、これで公爵家にパイプができる。あそこは頭が固い連中ばかりだからな」
父の言葉で、1年前に伯爵家に嫁いで行った姉のことが頭を過ぎりました。柔らかい肌、桃色の唇、整った顔立ち…それになんと言っても世の女性の憧れである腰までかかった金髪は、老若男女問わず虜にしました。男性から求婚が絶えなかった姉をなんとか公爵家に嫁がせたかった父は、色々な手を尽くしました。それこそ汚い手も惜しみなく使って。父の必死なアプローチにも応じなかった公爵家でしたが、今回とうとう根負けしたということでしょう。…それにしても運がありませんね。姉とは違い、秀でたもののない私を嫁にもらうだなんて…。私は上機嫌な父の気分を損なわないよう、早々に部屋を出ました。
「………やっぱり…期待するだけ無駄な言葉か…」
扉を閉める音と共に洩れ出た言葉は、静かな廊下に響き渡りました。ほんの数分前に胃の中のものをぶちまけないようにと、奮い立たせていたものが消えてしまい、私はため息をつきました。
「……今日は私の誕生日だよ…お父さん」
…まぁ、自分でもこの日がいい日だとは思えませんけどね。でも、この日に父に呼び出されたとなれば、少しの期待をしてしまうのはしょうがないと思いません?…全く、姉がいなくなってから、すっかり独り言が増えてしまったようです。私は自分の部屋に戻ると、思いっきりベッドにダイブしました。ふと、隣にある机を見ますと、一枚の文がありました。私がそっとその文を開けると、一枚のメッセージカードが。
「誕生日おめでとう! 貴方にとって幸せな日になることを祈って。ジュリア」
最後に今流行の紫色のキスマークがついており、私は思わずクスリと笑いましたが、縁談のことを考えると心が沈んでいくのが分かります。学校はあまり好きな方ではありませんでしたが、この友人にもう会えなくなるのは少し寂しい気がしますね。私はそのメッセージカードを仕舞おうと起き上がったとき、ふと先ほど父から受け取った文を思い出しました。
「…これって、返事するべき?」
しかし、縁談の話なら、父を通せば済むはずです。何故私なんかに…?首をかしげながら、私がその文に目を通すと、自分の心がさらに沈むのが分かりました。そこには、早速3日後に私をお屋敷に迎えると書いてあったからです。早い…いくらなんでも早すぎます。休暇中の友人に、直接別れを告げることもできません。私は勝手に進んでいく結婚話に思わずため息を零しました。しかし、淡々と綴ってあった文の最後を見て、思わず目を凝らしてしまったのです。
「…ん?」
そこには、こう締めくくられていました。
「…16の御誕生日おめでとうございます。来年は共に祝えることを心待ちにしております」
と。ですから、この時私は性懲りも無く少しの期待を持ってしまったのです。もしかしたら、この結婚は私の人生を変えてくれるものになるのではないのか…というシンデレラストーリー的な期待を。しかし、私はこの縁談のお相手がウィリアム・コーネリアス様だということをすぐに思い出し、その期待は儚いものだということを思い知りました。
「いや、だってあの人婚約者いるじゃん」