39 ダイヤモンドは砕け散る
ゴルドウルフとルクは、スイッチを押すために別れたプルの帰りを待っていた。
「プル、遅いですね……」
天使風の少女は真珠を溶かし込んだような毛先を弄びながら、しっとりとつぶやいた。
「仕掛けが作動して先に進めるようになっていますから、スイッチは押されたようです。あとはここに戻ってくるだけのはずなのですが……」
くぐもった声で応じるオッサン。
かぶりものを被ったままなので、その丁寧な受け答えは彼の不気味さをより一層引引き立てていた。
「きっとふざけているんだと思います。我が君、ルクが見てまいりますね」
「いえ、私も行きましょう」
そして連れ立って歩き出す、ゴルドウルフとルク。
小悪魔的少女のプルが向かった通路を進んでいくと、
「ピスピスぅ! お嬢ちゃん、もう声も出ないみたいだねぇ! 怖いねぇ! 恐ろしいねぇ! じゃあ、恐怖のピースいってみようか! ほらほらぁ、ピースピースぅ!」
曲がり角の向こうから、軽薄な声がした。
近寄って覗き込んでみると、腐ったザクロのような肌をした赤黒い小男が、プルの首筋に槍の穂先を押し当てているところだった。
「おじさん、ピースってなあに?」
褐色の肌に刃先がめりこんでも、少女は声が出ないどころか、無邪気に尋ね返している。
「ピースピ……ええっ、ピースを知らねぇーのかよ!? おおっと! そう言ってスキを作ろうったって、そうはいかねぇなぁ~! 賢い俺に、そんな子供だましの手が通用すると思ってんのかよぉ!? ピスピスぅ!」
「スキ? プルが好きなのはねぇ、ココナッツ! 本当は人間の頭が齧りたいんだけど、かわりにこれを齧りなさいって、我が君が教えてくれたんだ!」
主人を思い出し、ニコッと笑う。
口からこぼれた八重歯が、場違いなほどに愛らしかった。
「ピッ……!? 人間の、頭……!? おおっとぉ! そう言ってこの俺をビビらそうったって、そうはいかねぇなぁ~! ライドボーイいちの肝っ玉野郎のこの俺に、そんなチャチな脅しが通用すると思ってんのかよぉ!? ピスピスぅ!」
「ところでおじさん、プルに何の用? 我が君が待ってるから、そろそろ戻らなきゃ! 『食べ放題』に連れてってもらうんだ!」
「じゃあこの俺が、お嬢ちゃんを『食べ放題』よりもイイところに連れてってやるよ! 思わずダブルピースをしたくなるような所にな! ピスピスぅ!」
すると肝っ玉野郎は、少女の背後にすばやく回り込み、子泣き爺のように飛びついた。
彼女がよろめいているうちに、口に鉄製のマスクをあてがう。
まるで囚人のような扱いであるが、ボンテージ姿の少女は抵抗らしい抵抗もしない。
黒飴のような瞳をまんまるにして、されるがままになっていた。
「ふにゃ? おじさん、なにこれ?」
「ピースゥ……これが何か、知りたいかい……!?」
極悪な看守は、耳元で嫌らしくささやく。
と、同時に、
……ジャキィィィィィィーーーーーーーンッ!!
マスクの頬のあたりから、鋭い音とともに何かが飛び出した。
アザラシの牙のようなそれは透明で、しかし細く、先端は悪魔の手のように爪先の尖ったアーム状になっていた。
看守の粘りつく声が、収監が決定した少女の耳にまとわりつく。
「ピースゥ……これは、ゴッドスマイル様がくださった『支配の轡』……! 本来はこのダイヤでできたアームが、口の中に伸びて喉を突き破り、頚椎を掴むんだ……! すると、その者は激痛のあまり正気を失い……俺の馬になる……! いくら意識で拒絶しても、頚椎で身体を操られちまう……! そう、ピースを知らないお嬢ちゃんにも、ピースをさせられる程に、俺の思いのままになるんだ……!」
「えっ!? ダイヤが口の中に!? プル、ダイヤ大好き! だったら早くして! 早く口の中に入れてよ!」
「ピースピースぅぅぅ……恐怖のあまり、ついにおかしくなっちまったか……! でも、いいぜぇ……!? どのみちこの轡に支配された者は、マトモじゃいらねぇんだから……! こんな仔馬に乗るのは名折れだが……今はしょうがねぇ……! いくぜぇ……!? ピースピースぅぅぅぅぅーーーっ!!」
……ジャキィィィィィィーーーーーーーンッ!!
「……ふにゃんっ!?」
口内でマグナム弾が炸裂したかのように、少女の身体がビクンと跳ねた。
初めての歯科治療を受けた子供のように、衝撃に目を白黒させている。
おぶさったままの小男は、ニヤリ……! と殺人医師のような邪悪な笑みを浮かべていた。
こんな人間じみたリアクションができるのも、これで最後……!
この直後には今まで味わったことのない、最凶の激痛が全身を貫く……!
暴れたくても、できない……! 気を失いたくても、できない……!
ショック死すらも、許さない……!
身体の制御が一切効かなくなり、できることといえば、穴という穴から体液を垂れ流すのみ……!
そしてデトックスが済んだあとは感情すらも抜け落ち、忠実なる義肢となるのだ……!
使い捨て同然に扱われる、勇者の半身としての人生まで、あとわずか……!
ボーイッシュなこの少女が、人間性を失う第一段階である、アヘ顔になるのもあと数秒……!
サディスティックな笑みを禁じ得ない、勇者ライドボーイ・スピア……!
しかしその醜い笑顔は、耳元で鳴り続ける不穏な音によってかき消された。
……ボリッ! ボリッ! ボリッ! ボリッ!
馬になったはずの少女の口が、小刻みに動いている。
もはや自分の意思では、眼球すらも動かすのは無理な段階のはずなのに。
それどころか、
「うみゃ、うみゃ、うみゃ、うみゃ……!」
まるでごちそうを食べている子猫のような、嬉し鳴きが漏れているではないか……!
しかもそれだけではない……!
鋼鉄製のマスクが、みるみるうちに……! バリバリと少女の歯によって噛み砕かれ、咀嚼され……!
……ごっくん……!
爽快な喉越し音を、響かせているではないか……!
「ぴっ……!? ぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
ライドボーイ・スピアは度肝を抜かれ、猿が木から落ちるように、プルの身体から落下してしまった。
「ぷはぁーっ! ああ、おいしかったぁー!」
その満足げな感想すらも、到底信じられない……!
「ぴっ……!? ぴっ……!? ぴぃぃ……!?!?」
慌てて這い逃げようとした彼は、ようやく気づく。
通路の曲がり角から、ふたつの顔が家政婦のように覗き見ていることに……!
高いところにいる家政婦は、変な犬のかぶりもの……!
低いところにいる家政婦は、褐色の悪魔とよく似た、白皙の天使……!
まるで白昼夢のような、世にも奇妙なコンビであった……!
「ぴっ……!? ぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーっ!?!?」
言葉を失った彼に向かって、お人形さんのように愛らしい天使が言った。
「ダイヤモンドは魔界においては、焼き菓子と同じくらいの硬度といわれています。そんな柔らかいものを口に入れるだなんて、それは食べられてしまってもしょうがないと思いますが……?」
「あっ! ルク! このおじさん、いい人だよ! プルの好物のダイヤモンドをくれたんだ!」
「これ、プル。知らない人から食べ物をもらってはいけないと、何度も言っているではないですか」
「たまにはいいーじゃん! でも、まだ食べたりないなぁ……あっ、おじさん、急にハゲ散らかしちゃってどうしたの? 頭がなんだかココナッツみたいになってるよ!」
「ぴっ……ぴぃぃぃ……!」
パラパラと抜け毛を散らしながら、後ずさる小男。
覗き込む少女の黒い瞳と白い八重歯は、もはや彼には人喰鮫のソレにしか見えなかった。
その視線が逸れ、ホッとしたのも束の間、
「ねぇ我が君! ついでに食べてもいい?」
とんでもないおねだりがなされた。
「もう、プルったら……。『煉獄』にいるときに、我が君と約束したではないですか、決して人間の頭は食べないって……」
犬のかぶりものは無表情。
かぶりものなので当然ではあるが、少女たちのやりとりに黙って耳を傾けていた。
しかしここで、初めて口を挟んだ。
地下迷宮が作り出した陰影で、顔に深い影をたたえながら。
「……かまいませんよ」
そのシリアルキラーのような表情と声は、追い詰められたネズミのようなスピアの恐怖を、極限まで煽る。
「ぴっ……ぴぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーっ!?!?」
おもらしの筋をあちらこちらに残しながら、狂ったように逃げ惑う。
しかし袋小路なので、ピンボールの球のように壁にぶつかるばかり。
オッサンと少女たちは眺めているだけなのに、ひとりで追い詰められ、ひとりでボロボロになっていく勇者。
「ぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?!?!?」
臨界点に達した彼は、同じ壁に向かってひたすらガンガンと頭を打ち付けはじめる。
しかしその頃には、周囲に誰の姿もなかった。
次回、久々に例のナスビが登場…!
そして物語はいよいよ、クライマックスに…!