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36 女教師の本気

 分厚いレンズごしの瞳を、ワナワナと揺らすグラスパリーン。

 そして全身はもっと震えていた。激震といってもよかった。


 武者震いなどという立派なものではない。

 心の底からの恐怖によるものだというのは、誰の目から見ても明らかだった。


 しかし彼女は、決して縮こまることはなかった。

 

 一匹なら真っ先に丸くなるアルマジロの親が、我が子を守るように……!


 腐った馬に跨る小男は、腹話術の人形のようにケタケタと笑っていた。



「うわぁーっ! すっごいガクガクブルブルしてるぅー! ゼンマイ仕掛けで歩くオモチャみたいでおもしろーいっ! でも、それもそうだよねぇー! だっていくら口で守るっていっても、ドラゴンのブレスから身を守る方法なんて、どこにもないからねぇー! バレバレの強がりって、オクスたん、だぁーいすきっ!」



「いいえっ! 守れますっ! だって、ゴルドウルフ先生とずっと特訓してきたから……!!」



「ゴルドウルフせんせぇ? ひょっとして、あの野良犬クンのことぉ? ああっ、わかった! 野良犬に教わった身を守る方法って、もしかして……服従のポーズでゴロンゴロンしながら、オシッコすることぉ!? やだ、きちゃな~い! オクスたんはおトイレに行かないから、よく知らないけどぉ~! でも、そんなの見たくもないから、オシッコはあの世でするといいよぉ! ……ええーいっ!!」



 ……スパァーン!!



 徒競走のスタートの合図のように、手綱が乾いた音をたて、濡れ光る緑色の肌を打つ。


 瞬間、ドラゴンゾンビの溶けそうなほどにうなだれていた首が持ち上がり、威嚇するコブラのように広がったかと思うと、



 ……カァァァーーーーーッ!!



 食虫植物のような口が、幾重にも糸引きながら開披(かいひ)……!



 ……ドグヴァァァァァァァァァァァアァァーーーーーーーーーーーーーーッ!!



 えもいわれぬ濁液が噴出するっ……!!


 この世の終わりのような色をしたそれは、消防車の放水のような勢いで少女たちを飲み込む。

 勢いあまってしぶきを撒き散らし、死の虹を描いていた。



「うわぁ~! きちゃなぁーい! くさーい! でも、きもちいいーーーっ! オクスたん、ごっきげーんっ!!」



 少女たちに襲いかかった粘液……アシッドブレス。


 それを人間が浴びた場合、通常であればまず、できたての石膏像のように全身ドロドロになる。

 そしてそのあと、波にさらわれる砂の塔のように……足元からグシャグシャに崩れるのだ。


 しかし……彼女たちは人型をしていなかった。

 まるでマヨネーズを塗りたくられた卵のように、楕円形のシルエットを作り上げていたのだ。


 不審に思ったオクスタンは、眉根を寄せながら前傾姿勢になった。

 ドラゴンゾンビの首が邪魔だったので、手にした槍で乱暴に払いのける。


 アシッドブレスは陸上に棲息するドラゴンがあまり持ち合わせていない、粘液のブレスである。

 液状なので吐いたあとも足元にたまり、ダメージを与え続けるという特徴がある。


 しかし子供のドラゴンが吐くそれは、気化するのが早い。

 汚液は濃霧となり、太陽にかき消される雲のように、すぐに霧散していく。


 そして……青空が現れた。



「う……うそうそうそうそ!? うっそぉぉぉぉーーーっ!?!? なにそれなにそれなにそれ、なにそれぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーっ!?!? ずるいずるいずるい!! ずるいずるいずるい!! ずるいよぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?!?」



 オクスタンは叫びをあげる絵画のように、頬を押しつぶしながら喚き散らす。

 そしてそのポーズのまま、電池が切れたように固まってしまった。


 それは……彼をそこまで追い込んでしまうほどに、信じがたい光景だったのだ……!


 女教師が『守れる』と断言した、その方法……!

 それは、彼女が唯一使うことのできる魔法……!


 目を剥いていたのは、勇者だけではなかった。


 狼の胃袋の中にいるかのように、すでに死を覚悟していた赤ずきんちゃんも……!

 まるで開腹されて助け出された瞬間のように、蒼き光壁を見つめていた……!


 晴天の霹靂のように……!

 いや、霹靂の晴天のごとく……!



 こ……! これは……!?

 この、マナシールドは……!?


 マナシールドは張ったばかりの頃は、青い色をしているのん……!

 でも、その青色は魔力の流れの淀みによって、曇った青色になるはずのん……!


 しかしこのマナシールドは、一切の濁りがないのん……!?

 雲ひとつない青空のような、澄み切った青のん……!


 と、いうことは……!

 シールドに供給されている魔力が、一切の無駄なく防御に使われているということだのん……!


 これは……! これはもしかして……!?

 すべての攻撃を完全防御できるという、究極のマナシールド……!


 またの名を、『クリアスカイ』……!!


 なぜ……!? なぜなんだのんっ……!?

 魔導を極めた者でも、使えるのはほんの僅か……今では幻とも呼ばれるマナシールドを……!?


 なぜ、なぜ下級職学校の新米教師が、使えるんだのんっ……!?



「すごいじゃない! ドラゴンのブレスを防ぐだなんて! グラスパリーン、あんたこんなすごい技、いつのまに身につけたのよっ!?」



 振り返り、宝石のように輝く瞳をぱちぱちさせるシャルルンロット。

 しかし、一世一代の活躍を見せた遅咲きの花は、すでに枯れたようにしおしおになっていた。


 ともに晴天も消え失せている。



「ふ……ふにゃあ……剣術大会が終わったあと……ゴルドウルフ先生に……特訓してもらったんですぅ……。でもまだ……10秒しかもたなくて……」



「でかしたわ! グラスパリーン! あとはアタシたちに任せなさいっ! いくわよっ! ミッドナイトシュガー!」



 急に名前を呼ばれた赤ずきんは、毛づくろいの最中に舌をしまい忘れた猫のように、わずかに見開いたままの瞳を向けた。



「なにボーッとしてんのよ!? 大型アンデッドの倒し方、忘れたの!? アタシが突っ込んで斬りまくるから、アンタはじゃんじゃんファイアボールを撃ち込みなさい!」



 それは、死の淵を前にしても表情を変えない少女がキョトンとなるほどの、意外な提案だった。

 つい先刻、故意にファイアボールをぶつけた相手に「じゃんじゃん撃ってこい」などと言うのだ。



「アタシもアンタは気に入らないけど、もっともっと気に入らないヤツが現れたからね! でも、それはアンタも同じでしょう!? それに、アンタのへなちょこファイアボールなんて、アタシは二度とくらわないわよ! いいわねっ!? 遠慮なんてしたら、今度こそブッ飛ばすわよっ!」



 言うだけ言って飛び出そうとするシャルルンロット。

 しかしその肩に、白魚のような指が乗せられた。



「お待ちください、シャルルンロットさん。これを」



 差し出された白樺のような指に乗っていたのは、灰色の液体が揺れる小瓶だった。

 ラベルには『シャルルンロットさん専用 ピンチの時に飲んでください 効果は5分間です』とある。



「あっ!? これは、もしかして……!」



「はい、おじさまがくださったリュックの中に入っておりました。これはおそらく、おじさまが新商品として計画されている『オーダーメイドポーション』です。きっとシャルルンロットさんの騎士としての能力を、最大限に高めてくれる配合になっているはずです。灰色の薬液はスペシャルブレンドの証ですので、かなり強力です。そのかわり効果は短くて、5分間のようですが……」



 急に店員のような口調になる聖女。

 勧められたものを、爆買いするようにひったくるお嬢様。



「5分あればじゅうぶんよっ! いただくわ!」



 薬局に飛び込んだ働き盛りのサラリーマンのごとく、すぐさま封を切る。


 プリムラの営業は続く。



「はい、ミッドナイトシュガーさんの分もありますよ、どうぞ」



「のんの分……?」



「はい。ラベルをご覧になってください。『ミッドナイトシュガーさん専用』と書いてあります。きっと昨晩、わたしたちが眠っている間に、おじさまが調合してくださったんだと思います」



 姉を思わせる聖母の微笑みで、薬瓶を手渡すプリムラ。

 これはもちろん無料(タダ)であるが、聖女姉妹はこの清らかな罪深き笑顔で、在庫を一掃したこともあるのだ。



「そしてこちらはわたしの分です。ありがとうございます、おじさま……! グラスパリーン先生の分もありますけど、先生はお疲れのようですので……あら?」



 『グラスパリーン先生専用 落ち込んだときや、疲れたときに飲んでください』



 ラベルに目を通したプリムラはポーションを開封し、ぐったりしている女教師に手渡した。

 仲間たち全員に薬瓶が行き渡ったことを確認すると、明るい声で音頭をとる。



「それではみなさん、ご一緒に……!」



 これは彼女の姉が店でよくやっている、『ポーション飲みっこ』だ。

 クエストに向かうため、景気づけにポーションを飲んでいく客を集め、みんなで達成を祈願しつつ、一斉に(あお)るのだ。



 ……ぐびり……!



 腰に手をあてて背筋を反らし、めいめいの小瓶を流し込む少女たち。

 そして店の大人たちがしていたように、やる気のポーズを取る。



「「「野良犬印のポーションで、元気百倍っ……! さあっ……! 夢叶えるぞぉーーーっ!!」」」



 その勝鬨のような歓声と奇天烈な構えは、幽体離脱するほどに自我を失っていたオクスタンを元に戻すのに、じゅうぶんな衝撃を与えた。



「はわわっ!? なんだったの!? なんだったのぉ!? オクスたん、なにがなんだかゼンゼンわかなんないよぉ!? んもぉぉぉぉぉーーーっ!? アシッドブレスを受けても無事だなんて、どういうトリックを使ったのぉ!?」



 それに応えるは我らがお嬢様。

 飲み干した空瓶を、床にパリンと叩きつける。



「フンッ! アンタみたいな便所虫にはいくら教えたってわからないわよ!」



 オッサン特製ポーションの力を得た彼女は、もはや天使という形容すら役不足……!

 戦いの女神のような輝きに満ち、民を導くように巨悪へと立ち向かっていく……!



「だから、その醜い身体に思い知らせてあげるわっ! 野良犬のすごさをっ……!! ……うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーっ!!!」



「野良犬ぅ!? そんなの、このドラゴンゾンビの前にはぜーんぶペチャンコだよぉ!!」



 そして開け放たれる、戦いの幕……!

 しかしそのステージに立っていたのは、3人の少女のみであった……!



「……ゆめ、かなえる……」



 赤ずきんは舞台袖でひとり、つぶやいていた。

次回、さらなる『本気』が炸裂する…!

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― 新着の感想 ―
[良い点] ・・・すっかり忘れていましたよ・・・先生のこの切り札を・・・!(マジで振り返り感想してよかった・・・) そしてプリムラさんのダンジョン内営業!! ・・・何気に大した度胸やなあプリムラさん…
[一言] ポーションはあくまで、身体能力をあげるだけなのかな? 技量は変わらず?
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