35 遅き開花
天使の黄金の翼が、凍りつくように燃え上がる。
それは地獄の業火より熱い、非情の炎であった。
爆発の衝撃によって、叩き落とされるように墜落するシャルルンロット。
地上の骸骨を巻き込んで共倒れになる。
聖女は惨状に叫びだしそうになっていたが、気を確かに保ち、念のためにと捧げていた祈りを終えた。
「浄化っ……!」
マジックスケルトンはバランスを崩しながらも、天使に凶刃を突き立てようともがいていたが、その思いが成就する前に天に召されていった。
ミッドナイトシュガーは赤いずきんを、いつもより深く俯かせている。
幸せの青い鳥が飛び去ったような火の粉が降り掛かっても、払おうともせず。
「……終わったのん」
地面に落ちたままの彼女の目は、天使の行く末を追わない。
ローブを振り乱しながら駆け寄っていく聖女の気配だけを感じていた。
……この青きファイアボールは、少女の父親からの直伝だった。
通常の赤いファイアボールとは違い、着弾するとナパーム弾のように燃え広がり、叩いても消えることはない。
火だるまになった被術者は、消そうと暴れまわる。
しかし決して消えないので、死ぬまで狂ったように踊り続けることになるのだ。
本来は、言うことを聞かない労働者を見せしめにする用途で、とある勇者が開発したもの。
暴徒のようになった彼らのなかに一発撃ち込んでやるだけで、地獄の盆踊り大会がはじまる……と父親は嬉しそうに語っていた。
その時の笑顔が忘れられなくて、少女は寝食を忘れるほどにファイアボールの体得に夢中になった。
自分もこの魔法が使えるようになれば、父親をもっともっと笑顔にできると。
そして……自分もきっと、笑顔になれると。
しかし……待ち望んでいた瞬間のはずなのに、少女は全身に鉛を詰められたように、動けなくなっていた。
立っているのもやっとだった。
「……シャルルンロットさん!? シャルルンロットさん!? 大丈夫ですか!? 今すぐ祈りを……!」
絹を裂くような悲痛な声が、少女の鼓膜を揺さぶる。
耳を塞ぎたかったが、その腕すらもあがらなかった。
そして違和感に気づく。
父の顔に泥を塗った少女の、悲鳴がないのだ。
いまごろは全身を炎に包まれ、肺を焼かれるのもかまわず叫びまわっているはずなのに。
まさか、即死……?
石膏で固められたように動かなかった視線を、砕くようにあげると、そこには……。
ただ躓いただけのような、膝小僧をすりむいただけの天使が立っていたのだ……!
「アタシはなんともないわ、コイツはダメになっちゃったみたいだけど」
そう言いながら天使が背中から降ろしたのは、背中のリュックサック……!
そこには、カートゥーンアニメのように黒焦げになったゴルドくんが……!
お嬢様の無事を知ったプリムラは、瞳の端に光る雫と、安堵の笑顔を浮かべている。
「ああっ……! ゴルドくんが、守ってくださったんですね……!」
まさに奇跡のような出来事であった……!
胸ポケットに入っていたコインが偶然、銃弾から守ってくれたような……!
しかし、これは偶然ではない……!
そう……!
あのオッサンが引き起こした、必然……!
少女たちに渡していた『ゴルドくんリュック』は、『スラムドッグマート』で売られている既成品とは大きく異なっていたのだ……!
強い『魔法耐性』素材で作られたもの……!
いわば、特別製……!
茫然自失となる赤いずきんの少女を、天使は矢を放ったような視線で射抜いた。
「……わざとやったわね?」
狼に魂を奪われたような赤ずきんは応えない。
光を失った瞳を、瞬きすらせず、虚空に向けていた。
しばらくそうしていたが、やがて……他人事のように、わずかに首を縦に振った。
そして血まで凍ってしまったような声で一言、
「気に入らないのん」
「ふざけんじゃ……ないわよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
爆発に背中を押されるような勢いで、挑みかかっていくシャルルンロット。
迎え撃とうとも、逃げようともしないミッドナイトシュガー。
しかしお嬢様のゲンコツは、振り下ろされることはなかった。
……パシィィィィィィーーーーーンッ!
乾いた音とともに、氷像のような少女の顔をふれさせたのは……、
「……私の大切な教え子に、なんてことをするんですかっ!!」
新米女教師、グラスパリーン・ショートサイトであった……!!
「た……たとえ試験官様であっても、ゆ……許しませんよっ!? 今すぐ……今すぐシャルルンロットさんに謝ってください!! でないと……でないと……!!」
「……でないと、どーするのぉー?」
震える声にかぶさったのは、思いもよらぬ方角からの、思いもよらぬ声だった。
一斉に振り返った4人の少女たちが、目にしたものは……!?
「じゃじゃーんっ! いーでしょぉー!?」
巨大な緑色の物体にまたがる、ライドボーイ・オクスタンであった……!
それはナメクジのように音もなく部屋に這いずってきて、腐り落ちた皮膚をボトボトと滴り落としている。
「コレ、ドラゴンゾンビっていうんだよぉ! まだ子供だからちっちゃいけど、すごいでしょー!? ゴッドスマイル様にいただいた轡が、まさかゾンビ、しかもドラゴンも操れるだなんて知らなかったぁ! オクスたん、サイッコー! 野良犬なんかで妥協しなくて、ホントによかったぁ!」
もはやどこから突っ込んでいいのかわからない少女たち。
あの『ライライ・ライト』の一員、オクスタンが実はただの小男だったという衝撃の事実すら、些細なことだった。
しかし……乱入者にとっては、大事なことのようだった。
「まさかこんな所でまた会っちゃうなんてねぇー! 運がわるぅーいっ! オクスたんの秘密を知っちゃったしぃ、オクスたんの新しい馬も試したいしぃ! ……よぉーし、オクスたん、がんばるぞぉーっ! えい、えい、おーっ!」
……ボコンッ!!
振り上げられた槍を合図に、辛うじて原形を留めている仔竜の腹が風船のように膨らんだ。
「ま、まさか……アシッドブレス……!?」
そう叫ぶお嬢様の身体を、女教師は抱き寄せた。
隣りにいた聖女も、赤ずきんちゃんも、枝のような細い腕をちぎれるほどに伸ばしてひとまとめにする。
空襲に備えるように、小さく身を寄せ合う少女たち。
「ピンポーンっ! 強力な酸のブレスで、みーんな骨も残らないほどに溶けちゃおうねぇ! でないとオクスたんの秘密がバレちゃうから! イヤだって言ってもダメだよぉ? でも、逃げるのはいいよぉ? このくらいの部屋なら、ぜーんぶブレスで埋め尽くせちゃうしね!」
ドラゴンのブレスについては、一般常識として学校で習う。
この世界では天災に遭ったときの対処と同じくらい、被害としてはありえることだからだ。
ドラゴンは様々な種類がいて、吐くブレスも千差万別。
だが総じて攻撃範囲が広く、かすっただけでも人間は甚大な被害を被る。
なのでドラゴン襲来の警報を受けたときは、真っ先に頑丈な遮蔽物に隠れるのが良いとされているのだ。
ブレスを一発しのげれば、再び吐くまでには時間を要するので、その間に逃げることができる……。
しかしこの部屋には、遮蔽物などひとつもない……!
あの爛れたワニ口から、吐瀉物のような汚液が撒き散らされるが最後……!
みんな一夜明けた雪だるまのように、ドロドロに溶けてしまう……!
もはや、絶望……!
少女たちが床のシミとなるかどうかは、あとはただ、目の前の小男の気分だけの問題……!
しかし彼女らは、誰も命乞いなどしなかった。
ちびっこたちは生きることをあきらめていない瞳で、邪悪なちびっこを睨み据えていたのだ。
「ええーっ!? なにその目ぇー!? せーっかくひとりくらいは見逃してあげようと思ったのにーぃ!?」
思わせぶりに言っても、少女たちの信念は揺るぎない。
本来であるならば、死の恐怖に押しつぶされていても、なんらおかしくない状況であるというのに。
いつもは防波堤のように守ってくれるオッサンは、今はいないはずなのに、なぜであろうか……?
「もぉーっ! つまんないつまんないつまんないつまんない、つまんなぁーいっ! さっきまで仲間割れしてたのに、なんでぇ!? 醜く争いなよ! 泣いて命乞いしなよ! 死ぬときはみんないっしょがいいのぉ!? オクスたん、そういうのだいっきらーい! いい子ぶっちゃってさー!」
「みんないい子ですっ!」
そう断言したのは、お嬢様でも、聖女でも、赤ずきんでもなかった。
「私の教え子は……みんなみんな、みぃぃぃぃぃーーーんな、いい子なんですっ!!」
こんな時、誰よりも先に頭を抱え、誰よりも先に泣き出していた、少女……。
否……! 今は少女ではない……!
「だから……だから何があっても……どんなことがあっても……私が……私が守るんですっ!!!」
ひび割れたレンズの向こうに、原石のような瞳を輝かせ……!
小さな腕で、子供たちを大樹のように包み込む……!
後に伝説となる女教師、グラスパリーン・ショートサイト……その人であった……!
次回、グラスパリーン先生のターン!?