32 オクスたん、ふたたび…!
赤ずきんの少女がぼんやりと瞼を開くと、お嬢様の幸せそうな寝顔が間近にあった。
グワーといういびきとともに大きくなっていく鼻ちょうちんが、彼女の鼻先に触れてパチンと弾ける。
ミッドナイトシュガーは深酒をした朝のような、深い後悔の念にとらわれていた。
……なぜこの女と、一緒になって寝てるのん。
昨日の夜……のんはなぜ、あんなことをしてしまったのん。
いつもは素敵な夢なのに、急に父上を怖く感じてしまうだなんて、ありえないのん。
しかも、それを赤の他人に話すだなんて……
馴れ馴れしいこの女に、すっかりペースを乱されてしまったのん。
いや……違うのん。
この女は一端ではあるものの、根本の原因ではないのん。
あの……あの男のせいだのん。
あの男が、のんの心を、かき乱したのん。
父上がお作りになられた、偉大なる『蟻塚』の宝を奪い……モンスターをあっさりと退け……。
のんが仕掛けた妨害も、ものともせず……。
そして極めつけが、あの卵焼き……!
あのへんな卵焼きを食べてから、のんは気分が悪くなってしまったのん……!
あの男のことだから、卵焼きの中になにか入れていたに違いないのん……!
それで、それで、父上が怖いだなんていう、普段とは真逆の夢をみてしまったのん……!
もう、のんは油断しないのん……!
決して心は許さないと、決めたのん……!
このペースだと、今日中に最下層である『王の間』にたどり着かれてしまうのん……!
勇者でもない者たちにこんなに早く『蟻塚』を踏破されてしまっては、父上の名折れ……!
それだけはなんとしても、阻止しなくてはならないのん……!
のん……! がんばるのん……!
父上のために……!
ミッドナイトシュガーは意思の固さを表明するように、寝ぼけ眼をじっと据える。
眼前で二個目の鼻ちょうちんをこしらえているシャルルンロットを、ドンと突き飛ばした。
ゴロンと転がって背中を向けるお嬢様を尻目に、むっくりと起き上がる。
すると、
……ジュワァァァァーーーッ!
ベーコンの油が弾ける音と、
「おはようございます、ミッドナイトシュガーさん。昨晩は眠れましたか?」
焚き火の上でフライパンを振るう笑顔が迎えてくれた。
「もうすぐ朝食ができますからね。手水はそこに汲んでありますから、顔を洗う場合は使ってください」
むっつりとしたミッドナイトシュガーにも気にせず、てきぱきと朝食の準備を進めていくオッサン。
やがてベーコンの焦げるいい香りに、少女たちが次々と目を覚ました。
「おはようゴルドウルフ! おなかすいた! おなかがすいたわ!」
ガバッと起きるなり、雛鳥のように空腹を訴えるお嬢様。
「お、おはようございます、おじさま! あ、あの……昨日はお恥ずかしいところをお見せしてしまって……! そのうえ寝坊だなんて、本当にすみません! お手伝いさせていただきます!」
聖女は昨日、卵焼きをがっついたあとそのまま眠ってしまうという、彼女にとってはあるまじき行為を猛省していた。
起きるなり皿で顔を覆い隠しながら、ひたすら恥じらっている。
「……」
女教師は低血圧なのか、起きてもぐったりしたまま。
そしてできあがったメニューは、焼いたブレッドにベーコンエッグ、野菜スープに牛乳。
地下迷宮での朝食にしてはかなり立派なものだったが、ミッドナイトシュガーは手を付けようとはしなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
食事を終えた一行は、『蟻塚』の探索を再開する。
どこも似たような構造で迷路のようだったが、ゴルドウルフの案内は昨日と同じ。
達人の一筆書きのように淀みがなかった。
宝箱を回収しながら、ときおり仕掛けや戦闘に挑む。
オッサンの盤石なフォローもあってか、少女たちはまるでアトラクションでも巡るように迷宮探索を楽しんでいた。
そして……ついに邂逅する。
「わぁーっ! いたいたぁ!」
わざとらしい声が、遠くからした。
ブリッ子のオカマのような声の方角には、曲がり角から顔を出す何者かが。
チャームポイントの巻き毛と赤ら顔がボロボロに黒ずんでいたので、一瞬誰かわからなかった。
だが彼こそは『ライライ・ライト』のベビーフェイス、ライドボーイ・オクスタンである。
いつもなら彼を見つけた女性たちは放おっておかないのだが、今はアイドルの面影は皆無……地下迷宮に巣食う野盗のようであった。
シャルルンロット以外の少女たちは、ゴルドウルフの背後にサッと隠れる。
「やっと会えたね! ボクの尖兵クン! さあ、オクスたんと一緒に冒険しようよ! ね! きーまり! さぁ、こっちにおいでよ!」
曲がり角から顔だけ出したまま、手招きしているオクスタン。
オッサンが答えるより早く、お嬢様が割って入った。
「残念ね! ゴルドウルフはアタシの尖兵なの! それに人に頼み事をするんだったら、近くに来るのが筋ってもんでしょうが!」
そう言われても、オクスタンは悪びれる様子もない。
「ええーっ、みんなオクスたんのまわりに集まってくるのがフツーだよぉ?」
……などと当然のようにのたまわっているが、実際は近くに行きたくてもいけないのだ。
『アーミーバット』に襲われて、穴に没シュートになった彼。
高所落下による衝撃を、『下の人』をクッションがわりにして生き延びた。
しかし仲間たちともはぐれてしまい、完全にひとりぼっちになってしまう。
モンスターたちから襲われ、罠に引っかかり、食事も睡眠もとらず死にものぐるいで逃げ惑っていたのだ。
そんな折……かつての馬を見つける。
本来ならば駆け寄って無理矢理にでも跨るところなのだが、それでは自分の低身長がまわりの少女たちにバレてしまう。
こんな所でアイドル生命を絶たれるわけにはいかないので、曲がり角の壁にへばりついて高身長を演出しつつ、ゴルドウルフを呼び寄せるしかなかったのだ。
「あっ、もしかして、あの時のことをまだ気にしてるのぉ? もうキレイサッパリ忘れてあげるから、またオクスたんと冒険しようよ! ねっ!?」
「ハァ!? 何言ってるのアンタ!?」と声を荒げるお嬢様の隣に、ゴルドウルフは並んだ。
「……私はもう、飼い主は持たないと決めたのです」
それだけを口にして、彼は背を向ける。
かつての仕打ちを考えると、通常の人間ならば怒りに燃え、即座に小男を引きずり出していただろう。
しかしオッサンはそうしなかった。
歯を食いしばることも、密かに握りこぶしを固めることもせず……静かに踵を返したのだ。
その姿は、いつもと変わりない様子だった。
しかしあの少女だけは、わずかな変化に気づいていた。
……初めて、この男が引き返したのん……!?
行き止まりにある宝箱を取ったあと以外では、決して引き返さなかった、この男が……!
さすがのこの男も、勇者を前にしては尻尾を巻いて逃げるしかないようだのん……!
しかしそれは、大きな見当違いだった。
オクスタンはゴルドウルフたちを先回りして、引き返した先々で、性懲りもなくチョッカイをかけてきたのだ。
「オクスたんが怒ってるって思ってるぅ!? そんなに気にしないでいーのにぃー!」
「あーあ、せっかくライドボーイの尖兵に戻れるチャンスなのになー! それを断っちゃうわけぇ?」
「今やライドボーイは勇者一族のなかでも大きな派閥だよ!? それにアイドルデビューもしてるし……ボクの尖兵になれば、キミもステージに立てるんだよ!?」
「すごくない!? 一気に人気者になれるんだよ! そんなガキんちょたちのお守りより、ずっと楽しいよ!」
「もーっ、いい加減にする! ワガママばっかり言ってると、オクスたん、怒っちゃうぞぉ! プンプン!」
「なーんて、冗談! 怒ってないってば! ビックリしたぁ!? でもオクスたん、本気で怒ると、とーっても怖いって、知ってるよねぇ?」
不自然な高さから見下ろす、かつてのベビーフェイス。
表情も言動も、だんだんと脅迫めいてくる。
しかしオッサンはそんな押し売りにも、「私はもう、飼い主は持たないと決めたのです」とだけを繰り返した。
そして、ついにその瞬間がやってくる。
「ウキィィィィィィーーーッ!! こんなにオクスたんが譲歩してあげてるのに、なんでわからないのかなぁ!? そんな分からず屋は、オクスたんが潰しちゃうぞぉー!?」
声を荒げるあまり、ライドボーイ・オクスタンは気づかなかった。
地響きのように迫りくる、存在に……!
「もぉぉぉーっ!? ホントにいいのぉー!? あの時みたいになってもぉー!? あーあ、いまさら後悔しても、もう遅いよぉ!? やだやだって泣いても、もう遅……やっ!? やだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
……グシャッ!
通路を塞ぐほどの巨大な鉄球が、少女たちの目の前を高速で横切っていった。
潰された虫のような小男がへばりついていたが、ほんの一瞬の出来事だったので気づかない。
「やだっ! やだっ!! やだぁ!!! やだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?!?」
尾を引くような絶叫のあと、
……ドゴォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
どこかに激突したような、轟音と地響き。
衝撃のあまり、天井からパラパラと砂が降る。
「……ちょっと寄り道してしまいましたが、これで静かになりましたね。では、探索を続けましょうか」
オッサンは事もなげに言うと、また身体を翻した。
次回、更なるスカウトが…!