31 夜の青のなかで
食後そのまま眠ってしまったシャルルンロットは、ふと目覚めた。
あたりはほのかに薄暗い。
寝転んだまま見回してみると、壁の輝石のいくつかは粘土によって塞がれていた。
きっと、部屋が明るくては眠れないだろうと、ゴルドウルフが暗くしてくれたのだろう。
常夜灯だけをともしたような室内。
少し離れた所では、小さくなった焚き火がちらちらと揺らめいている。
お嬢様はもうひと眠りしようと、何度か寝返りをうってみたものの……睡魔は訪れなかった。
パッチリと冴えてしまった瞳。
グラスパリーンとプリムラのやすらか寝息に挟まれ、ますます眠れなくなってしまう。
彼女はプラネタリウムのように天井を見上げたまま、心の中でつぶやいた。
夜になったら『ヌメリビル』が出てくるって言ってたけど……ぜんぜんいないわね。
これも、忌避剤のおかげ?
……そういえば、ゴルドウルフはどこにいるのかしら?
あっ、そうだ! せっかくだから、一緒に寝ようっと!
あの時のキャンプみたいに……!
名案をさっそく実行しようと、ツインテールを振り乱す勢いで飛び起きる少女。
しかし直後に視界に飛び込んできたモノに、ぎょっとなる。
焚き火を挟んだ対面に、赤いずきんの少女が幽霊のように座っていたからだ。
「……なんだ、ミッドナイトシュガーか……。アンタも起きてたのね」
しかし、呼びかけても反応はない。
紫水晶のような瞳に、焚き火にかけられたままの鍋をただただ映すのみだった。
シャルルンロットは火のそばまで這っていき、あたりを見回してゴルドウルフを探す。
キャンプの付近にはいないようだった。
「ねぇ、ゴルドウルフはどこへ行ったの? アンタ知らない?」
しかし、またしても無反応。
かわりに青い静寂がささやいた。
「ここにいますよ」
そして闇の中からゆっくりと姿を表す、件のオッサン。
音もなく歩いてきて、焚き火の前でしゃがみこんだ。
「おふたりとも眠れないのですね。ホットココアでもいかがですか?」
彼は、火にかけていた鍋の取っ手を掴み、中であたためていたチョコレート色の液体をコップに注いだ。
ふたりの少女に手渡すと、再び立ち上がり、
「私は見張りを続けます。どうぞ、ごゆっくり」
そう言い残して、森の番人のようにどこかへ消えてしまった。
オッサンが不在になると、コップをふうふうと吹く音と、ときおり焚き火が弾ける音のみが残される。
鈍く照り返す金髪を持ち上げて、「そういえば」と少女は言った。
「……ルタンベスタ選抜の剣術大会で、アンタそっくりの語尾をしたヤツがいたわ。いま思えば、アイツがミッドナイトシャッフラーだったのね。もしかしてアンタ……この『蟻塚』のオーナーである、ミッドナイトシャッフラーの娘かなにか?」
ずっとうつむいていた赤いずきんが、初めて持ち上がる。
「試験とは関係ない質問には、答えられないのん」
「相変わらず、杓子定規ねぇ……あの気持ちの悪いオヤジそっくりだわ」
「父上を愚弄することは許さないのん。減点10のん」
「やっぱり娘なんじゃないの。……でも、ま、いいんじゃない? どんなダメ親子でも、お互い近くにいられるってことは幸せなことだわ」
「そうのん。父親に見放された娘とは違うのん」
普段であれば、こんなことを言われて黙っているお嬢様ではない。
しかし今は不思議と、怒る気にはならなかった。
むしろ自分でも驚くほど、気持ちは落ち着いている。
海の底にいるような穏やかな暗さと、ひと口ごとに心がほどけていくようなホットココアのせいだろうか。
「じゃあアンタは、その父上とやらのお気に入りってわけね」
「……わからないのん」
ほのかな闇と炎。そして生命が充填されるような、あたたかいココアは人を素直にする。
それは機械のような少女であっても、例外ではなかった。
「……のんは、父上に認めていただけるためなら、なんでもしてきたのん。父上のような導勇者になりたくて、一生懸命がんばってきたのん。でも……わからなくなってきたのん」
「わからないって、なにが?」
「……のんは毎晩、夢をみるのん。寝室に父上がやってきて、いっしょにベッドに入る夢のん。この夢のおかげで、のんは父上と離れていても、幸せな気持ちで眠ることができたのん」
コップを包み込んでいた両手に、きゅっと力がこもる。
「でも……さっきみた夢に現れた父上は、なんだか怖かったのん。でも……父上は、無理矢理……」
死人の心電図のように、常に平坦なトーンを保っていた声。
しかしそれが息を吹き返したかのように、波打ちはじめた。
「……父上には、決して逆らってはいけないのん。父上のしてくださることは、のんにとってはすべて、幸せなことなのん。怖いだなんて感じるのは、いけないことなのん……」
冬の街路に捨てられた子供のように、赤いずきんを深くかぶりなおす少女。
しかしその寂寥感はすぐに、夏休みに遊びの誘いに来た友達のような、能天気な声によって打ち破られる。
「なぁーに言ってんのよアンタ! 父親に認められたいのと、言いなりになることは別でしょうが! だっていくら立派な親だって、神様じゃないでしょ!? 家族という、同じ人間なんだから!」
「同じ、人間……」
「フフン、いいでしょうこの言葉! ゴルドウルフが教えてくれたのよ! アタシも悩んでたんだけど、この言葉を聞いて、もっともっとパパに逆らおうって決めたの! だってそのほうが、パパをもっともっと喜ばせられると思ったから!」
「……喜ばせるのに、逆らう……? どういうことだのん?」
「アタシがパパの言うとおりに聖女になったらそれまでだけど、アタシが姫騎士になれば『ナイツ・オブ・ザ・ラウンド』での地位がさらにあがるのよ! だからパパに言われても、アタシは逆らい続けることにしたの! だってそのほうが、結果的にパパに喜んでもらえると思ったもん!」
お嬢様はもはや、眠る気などさらさらなさそうだった。
むしろ目覚めたように、金糸のツインテールをかきあげる。
「それにそうやってねぇ、減点されるのをクヨクヨ気にしてちゃ、なーんにもできないわよ!? 最後の最後で1億点取れば勝ちなんだから、嫌なことは嫌! ダメなことはダメ! ってハッキリ言ってやればいいのよ! アンタ自身、父親に逆らってでもやりたいことはないの!? ひとつくらいあるでしょう!? 言ってみなさいよ!」
「そ、それは……」
「ああもう、じれったいわねぇ!」
答えを待ちきれずに立ち上がったお嬢様は、焚き火をまたぎ越えた。
戸惑う赤ずきんちゃんの隣にドッカリと居座って、「ほらほら、早く白状しなさいよ!」と揺さぶりはじめる。
……そんな少女たちのやりとりを、風景に溶けるように佇む森の番人は、静かに見守っていた。
次回、ライドボーイふたたび…!