30 ランス、燃える…!
ある者はガブリ、ある者はパクリ、ある者はお上品にそっと唇を寄せた、特製の卵焼き。
少女たちはほぼ同時に飲み下すと、身体じゅうに電流を流されたように、ぞくぞくっとのけぞった。
震えはどんどん大きくなっていき、ついには幼い肢体を限界まで反らしたかと思うと、
「おっ……おいしいいいいいいいーーーーーーーーっ!?!?」
オッサンを中心に、開花する花びらのような体勢のまま、口々に叫んだ。
瞬転、
「おいしいおいしいおいしいいいっ!? こんな美味しい卵焼き、初めて食べたわ! まるでケーキみたい! ううん、アタシがいつも食べているケーキより、ずっとずっとおいしいわっ!」
フォークを放りなげ、手づかみでガツガツと頬張るシャルルンロット。
「ああっ……! 手、手が……頂く手が止まりません……! こ、こんなにお行儀の悪い頂き方、してはいけないというのに……! わたし、はしたないです……! お味はこんなにお上品だというのに、口にしているわたしはお下品だなんて……!」
己の罪深さに涙ぐみながらも、抗えない背徳に屈してしまうプリムラ。
食べ盛りの子供のように口のまわりを汚しながら、一心不乱に卵焼きを切り崩している。
「うわぁぁぁん! やめらせませぇぇぇん! とまりませぇぇぇぇぇん!!」
グラスパリーンに至っては、もはや号泣していた。
そして、何事に対しても無味乾燥なはずの、あの少女はというと……。
長い刑期を終えて出所し、久しぶりにカツ丼を食べた、不器用で寡黙な前科者のように……ひとり静かな感動に打ち震えていた。
水面のように揺らぐ瞳で、輝く卵焼きを見据えながら……。
まるで宝物のように、大切に大切に口に運んでいる。
いくら無表情な彼女でも、心を動かされたことが容易に見てとれた。
ゴルドウルフは微笑む。
「おいしいでしょう? いまの世の中は、モンスターからとれる素材を武器や道具に利用する文化はあっても、食べる文化は全くといっていいほどありません。モンスターの食材は見た目と匂いは悪いですが、ちゃんと調理すれば、栄養も豊富で味も良い料理になるんです」
しかしその言葉は、四者四様に鯨食する少女たちの耳には、全く届いていなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
小一時間後、すべてを綺麗に平らげ、力尽きたようにグッタリとしている少女たち。
「うう……こんなに食べたの……初めてだわ……」
苦しそうに息を吐きながら、『ぽんぽこりん』という表現がしっくりくるお腹を、撫でさするシャルルンロット。
「わたくしも……こんなにお食事を頂いたのは……初めてです……! ああっ、暴食はいけないことなのに……! わたしはなんと恥知らずなのでしょう……!」
ぽっこりしたお腹を目の当たりにして、今更ながらに羞恥に震えるプリムラ。
耳まで赤くした顔を両手で覆い、イヤイヤをしている。
「うううっ……ごんなにおいじいものがあっだだなんて……いぎででよがっだぁ~……」
安月給のためいつも粗食のグラスパリーンは、随喜の嗚咽を漏らしていた。
「ねぇ、ミッドナイトシュガー。こんなにおいしい夕食を食べさせてあげたんだから、1万点くらいよこしないさいよね」
カエルのように膨らんだ腹を上下させながら、お嬢様はチラ見する。
すると例のちびっこ試験官は、アザラシのように這って寝床へと向かっていた。
「……気分が悪くなったのん。寝るのん」
とだけ言い残して。
ゴルドウルフは気にする様子もなく立ち上がると、皆に向かって言った。
「資材の節約のため、後片付けは明日の朝食後にまとめてやりましょう。そして、これからは自由時間です。でも、この部屋からは決して離れず、なるべく早めに休んでください」
「「「ふわぁ~い」」」と夢見心地の返事をするアザラシたち。
オッサンは飼育員のように、テキパキと次の作業にとりかかる。
リュックの中から粘土のようなものを取り出すと、部屋の中を歩きまわり、天井に向かって投げつけていた。
「おじさま、それは何をされているんですか? 私も、お手伝いを……」
プリムラはそう申し出ながら立ち上がろうとするも、いつもより重い身体に尻もちをついてしまう。
「この『蟻塚』は夜になると気温が上がると言いましたが、そうなると天井から『ヌメリビル』が現れ、落ちてくるようになります。この粘土のようなものを貼り付けておくと、ヒルを忌避できるんです。もう終わりましたから、手伝いは結構ですよ」
「ヌメリビル? 知ってる、学校で習ったわ。人間の血が大好きなヒルでしょ? 身体から出す油でヌメヌメしてて、よく燃えるって……」
大の字に寝そべって、天井を仰ぐお嬢様。
「そうですね。ヌメリビルが出る所では、忌避剤がないとキャンプするのは非常に危険なんです。落ちてきたヒルが焚き火に入ると、火事になってしまいますからね」
「そういえば……なんか、暑くなってきたわねぇ……。でも、ここだと……風が通って……気持ち……い……い……」
そのままスヤスヤと、幸せな眠りにつく少女たち。
今日一日の疲れと満腹があわさり、一気に睡魔が襲ってきたのだろう。
こんな所で眠っては、さらに罪を重ねてしまうと懸命に戦っていた聖女も、すぐに極上の寝顔を見せていた。
ゴルドウルフは少女たちをひとりづつ抱え、寝床に移す。
真夏の夜、自然の涼風に身を任せているような、野宿とは思えない快適な空間。
ふと、サイレンのような悲鳴が鳴りわたり、静寂を破る。
すでに夢の中にいる少女たちは、誰ひとりとして気づかない。
その緊急度を聞き届けられたのは、オッサンだけであった。
しかし彼にとって、それは対岸の火事。
それどころか地球の裏側の出来事のように、どうでもいい事だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ゴルドウルフたちよりも数倍豪華で、数倍まずいディナーを終えたライドボーイ・ランス。
尖兵であるカル・ボンコスを見張りに立たせ、自分はふたりのファンの少女たちと床を共にしていた。
そして、悲劇は起こる。
日付が変わった瞬間に、この休憩所に仕掛けられていた時限式の罠が作動。
ただひとつの出入り口が閉ざされてしまったのだ。
カル・ボンコスはその時、ついソファでウトウトしていて気づかず……。
暖炉にも火が入りっぱなしだったので、室内は蒸し風呂のように暑くなっていった。
それだけならまだしも、水滴のように天井から染み出してくる、小さな吸血鬼たち。
ランスは尋常ならざる寝苦しさに目を覚ました。
ベッドから上体を起こすと、そこには……!
少女たちの身体じゅうにびっしりとへばりつく、悪魔のウミウシ……!
そう、ヌメリビルが……!
「うっ……! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?!?」
あまりのグロテスクさに、勇者の勇気どころか、正気すらも吹き飛んでしまう。
悲鳴に飛び起きた少女たちも、彼の変容ぶりを目撃したとたん、
「「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?!?」」
気が触れたように大絶叫のハーモニーを轟かせた。
彼らは全身を洗濯バサミで挟まれているような、肌がつっぱる違和感に気づく。
全身に寄生した小さな吸血鬼に気づき、狂ったように暴れて引き剥がそうとする。
その間にも、室内の温度は天井知らずに上昇していく。
ただならぬ熱気に、滝を浴びたように吹き出す汗。
蜃気楼のように歪む視界のなかで、彼らは見た。
暖炉の口から、舌のような炎が舐めずっていることに……!
足の踏み場もないほどに這いまわっているヌメリビルに、引火したのだ……!
……ゴオオオオオッ……!!
炎は一気に燃え広がり、豪華な調度品は業火に包まれる。
サウナはついに、灼熱地獄の域に達した。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!! 暑いっす! 熱いっすぅぅぅぅーーーっ!?!?」
「ガガガガァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーンッ!! このままでは、血を吸い付くされる以前に、蒸し焼きになってしまぁぁぁううううのだぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
「あああっ……なんという暑さでしょう……! まるで天火の中に閉じ込められたかのようです……! このような形で、天に召されるなど……! ああああっ! いやです、いやですっ……! 女神ルナリリスよ、どうか、どうかご加護を……!」
「ラララァ~~~~~~!♪ 私はぁぁ~♪ さらなる高みを目指すものぉぉぉ~♪ 悪い夢ならばぁぁぁ~~今すぐ覚めよぉぉぉ~~~!♪ 目の前にある光こそが、我らの希望ぉぉぉぉ~~~~~~っ!♪」
「あっ!? ランス様っ! 火に近づいてはいけません! ヌメリビルは、強い引火性があって……! きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
夢遊病にかかったように、フラつく憧れの君。
しかし魔導女が止める間もなく、火だるまとなった。
りりちゃん様からゴルドウルフのファンアートを頂きました、ありがとうございます!
それに伴い、第1章と第2章の間に紹介ページを設けました!