29 ビストロおっさん
「ラララァ~♪ きっと私こそがナンバーワン~♪ オォーゥ♪ また野良犬の悲鳴~が♪ 心地よく耳に届くぅ~♪ ララララァ~♪」
ともに『蟻塚』に入った仲間たちが、みな大変な目に遭っているとも知らないライドボーイ・ランス。
獣じみた悲鳴はどれも、下水から入った野良犬のものだと勘違いしている。
仲間の叫号を伴奏とし、凱歌を高らかに響かせながら通路を進軍。
新たなる部屋へと侵攻した彼は、大きく目を見張った。
そこが、地下迷宮にいることを忘れてしまうほどの素敵空間だったからだ。
一流貴族の屋敷にある客間のような、贅を尽くした佇まい。
室内には立派な調度品が揃えられており、しかもよく磨き上げられ、ピカピカの光沢を放っている。
大きな暖炉やキングサイズのベッド、別室には広々としたトイレと、設備も完璧。
柱時計もあり、ちょうど夕方の6時を知らせる重厚な音色を響かせていた。
辿ってきた進路がそこで行き止まりだったこともあり、ランス一行はここで夜を明かすことにする。
「ラララァ~♪ やはり世界はこの私に微笑んでいるぅ~♪ 私のような高貴な人間にはぁ~野宿は似合わないぃ~♪ 今宵はここでぇ~♪ 夢のようなひとときをぉ~♪」
立派な休憩所に、ご機嫌のランスは声量あふれるアカペラを披露。
その美麗なる姿を、うっとりと見上げる聖女と魔導女。
ディナーショーのような素敵なシチュエーションに、ハートはすっかりトロトロ。
彼女たちの瞳にはもう、シャンデリアの光を星屑のようにまとう勇者サマだけしか映っていなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『我が君、18時をお知らせします』
『ぽっぽー、ぽっぽー、ぽっぽー、ぽっぽー、ぽっぽー、ぽっぽー、ぽっぽー、ぽっぽー、ぽっ……あれ? いま何回鳴いたっけ?』
『プル、わざわざ18回鳴かなくても、夕方の6時ですから、6回でいいんですよ。というか、鳴く必要もありませんが』
ゴルドウルフは目の前で飛蚊のように飛び交う妖精たちとともに、広々とした8角形の部屋へと足を踏み入れた。
「そろそろ夕方ですね。今日はここでキャンプをしましょう」
続いて入室した仲間たちに、振り返って提案する。
がらんとしていて、何もないその場所。
先の骸骨工場と同じく、壁に埋め込まれた輝石の光で床や壁、天井までもが氷室のように青かった。
部屋を繋ぐ通路は8箇所もあり、そのいくつかからは冷たい風が吹き込んでいる。
名実ともに寒々しい空間だった。
お嬢様はさっそく苦情を申し立てる。
「こんな所でキャンプするの? まわりから丸見えだし、寒いじゃないの」
「丸見えのほうが、こちらからの監視もしやすいですし、奇襲を受けても対処しやすいです。それにこの『蟻塚』は日が沈むと急激に暑くなる仕掛けがありますので、夜が明けるまでは風通しのよいこの部屋で過ごすのがいちばんなんです」
「ふーん。そういうもんなの?」
「そういうものです。では、食事にしましょうか。なにか食べたいものはありますか?」
「「卵焼き!」」
即座にハモったのは、ふたりの少女。
シャルルンロットとミッドナイトシュガーからのリクエストであった。
「昼食時は、山賊のような子供に邪魔されて、ろくに食べられなかったのん。従って、卵焼きを所望するのん」
「それはこっちのセリフよ! だいたいアンタ、部外者のクセして図々しいのよっ! 三杯目にはそっと出すって言葉を知らないの!?」
「ノン。むしろのんは、もてなされる立場だのん。そして、当然それも試験項目に入っているのん。昼食は合格点だったのん。でも夕食がマズかった場合は帳消しのん」
「試験にかっこつけて、もてなせだなんて……! 寄生虫みたいなヤツね、まったく……!」
「ノン。それも誤りのん。先の戦闘では、のんは誰よりも多くマジックスケルトンを倒したのん。そういう意味ではむしろ、ここにいる全員がのんに寄生しているのん」
「なるほど、その変な語尾は寄生虫で脳がやられてるからなのね、納得いったわ」
「ようやく寄生の事実を認めたのん」
「この……!」
ギリギリと歯噛みをするお嬢様をなだめながら、オッサンは話を戻す。
「私が食材の調達と料理をやりますから、みなさんはキャンプの準備をしてください」
シャルルンロットは脊髄反射のように、「焚き火なら、アタシにまかせて!」とビシッと挙手する。
かつてオッサンに教えてもらった火起こしを、実戦で試してみたくてたまらないのだ。
その隣で、控えめに手を挙げるプリムラ。
「あの、おじさま……わたしにお料理のお手伝いをさせていただけませんか? お屋敷でもお姉ちゃんのお手伝いをしていたので、お力になれると思います」
ゴルドウルフはふたりの少女に向かって頷く。
「わかりました。それではシャルルンロットさんは焚き火の用意を、プリムラさんはその火で調理をお願いします。私のリュックの中に調理器具と食材があります。食材はすでに切って味付けしてありますので、フライパンで炒めるだけで大丈夫です。ブレッドもありますので、焼き網で軽く炙ってください」
最後にグラスパリーンとミッドナイトシュガーに寝床の準備を指示したあと、彼は通路のひとつを選んで部屋から出ていった。
残された者たちは不安になったものの、与えられた仕事をこなす。
しばらくして戻ってきたゴルドウルフは、巨大な卵を手にしていた。
仲間たちの注目を集めるなか、ラグビーボールのような卵を石でガンガンと叩いてヒビを入れ、ボウルの中に割り入れる。
オッサンのまわりに集まっていた少女たちは、ザリガニの入ったバケツでも覗きこむように、興味津々で顔を寄せる。
洗面器のようなボウルをひたひたにしたそれは、透明な白身のなかにたくさんの黄身が浮いた、カエルの卵のような物体だった。
「これ……なんなの?」
とろりとした水面に映るお嬢様の顔が、苦虫になったようにしかむ。
「『アーミーバット』の卵です。バットという名が付いていますが、彼らは鳥類なんです。ひとつの卵の中から、30匹から50匹ほどが生まれるので、こんなに大きくて、黄身がたくさん詰まっているんですよ」
そう説明しながら、手にした泡立て器で中身をシャカシャカとかき混ぜはじめるオッサン。
プリムラは、リュックの食材を見た時に卵がなかったので、どうやってリクエストを叶えるのかと心配していた。
だが、これで合点がいった。
しかし、ボウルの中身が攪拌されるほど強くなっていく臭気に、新たな不安が芽生える。
「あの、おじさま……これ、お味のほうは……?」
「生のままだとイマイチなのですが、ハーブを入れて臭みを取り、熱を加えるとニワトリの卵よりずっと濃厚な味になって、おいしいんですよ。特に甘い卵焼きを作るのにピッタリです」
できあがった溶き卵を、ジュワーとフライパンに流し入れるオッサン。
いつの間にかフライパンには、ホットケーキの形を整えるような金属の輪っかが装着されていて、溢れないようになっていた。
「もうすぐできますから、食事の準備をお願いできますか?」
そう言われて少女たちは、心もとない気持ちを残しつつも、プリムラが調理した料理を配膳する。
少しして、オッサンが大きな皿を持ってやって来た。
……それは、サンタが街にやって来たような光景だった。
「うわぁ……! ゴルドウルフ先生! それは黄金のケーキですかっ!?」
「いや、違うわ! 大きな卵焼きよ!」
「すごい、すごいです、おじさま! こんな大きくて、綺麗な卵焼き……初めて見ました!」
あっという間に子供たちに囲まれるサンタクロース。
ホールケーキのように大きく、チーズケーキのようにしっとりなめらか。
黄金色に輝くそれは、ふうわりとした湯気をたてている。
そして、嗅ぐだけで自然と口の中に生唾がたまるような、なんともいえない芳醇な香りが……!
何事にも決して前のめりにならないミッドナイトシュガーも、この時ばかりには最前列に来て、喉をごくりと鳴らしていた。
「この卵焼きは、かつてこの『蟻塚』を作っていた時に、仲間から教えてもらったものです。彼は料理が大変上手で、過酷な作業のなかで数少ない癒しとなっていて……ずいぶん助けられたものです」
オッサンはその時のことを回想しているのか、思い出を瞼にちりばめるように目を閉じ、しみじみと語っている。
しかしそんな戦争体験のような話は、ごちそうを前にした子供たちにとってはどうでもよかった。
「アンタの思い出話はいいから! 早く! 早く食べましょうよ!」
オッサンはぐいぐいと引っ張られ、焚き火のそばの床敷きに座らされる。
もうみんな待ちきれない様子だったので、急いで切り分けて、小さい子から順番に手渡していった。
5等分しても、ひとりでは食べきれないほどの量。
これなら昼食時のような、奪い合いに発展することもない。
「いただきまぁーすっ!」
すでに我慢を限界突破していたシャルルンロットは、宣言と同時にフォークも使わずまるかぶりした。
果たして、そのお味は…?