26 スピア、終了…!
もはや馬ではない。インド象のような突進で、部屋の床を踏み荒らすライドボーイ・スピア。
しかし、最初の一歩こそすべてを蹴散らすほどの勢いがあったものの、パイルバンカーのような勢いで床下から撃ち出された剣によって、すぐにストップ……!
普段はマシーンのように頑丈な巨体も、たまらずよろめく。
『下の人』は声帯が破壊されているので、下肢を切り裂かれても声をあげられないのだ。
そのかわりを務めるように、スピアの先に吊り下げられたままのエルの悲鳴は止まない。
「ぎゃああっ!? あぶっ!? あぶっ!? あぶぅぅぅっ!? 危ないっす! 危ないっすよぉ! 落ちたら死ぬっす! 落ちたらしぬっすぅぅぅ!?」
「うるせぇよっ、エル! 黙って俺の活躍を見てろって! さぁ、唸れ俺の身体! ……って、俺の身体はこんなんじゃビクともしねぇよ! こんな剣ぐらい、楽勝でふみつぶしてやるぜっ! フラついてねぇで、とっとと宝箱を目指すぜ! いけぇーいっ! ピスピスぅ!」
下からは剣山、上からは蹴り上げをくらい、満身創痍の『下の人』。
しかし薬物実験を受けるウサギのように、物言わずに耐えている。
血溜まりを残しながら、石像が動くように一歩、一歩と近づいていき……ついには膝を折ってしまった。
「おおい! あとちょっとだってのに、休んでんじゃねぇーよ! 俺の身体っ! でもあきらめねぇぜ! たとえ肉が削げ、骨が砕け散っても辿り着いて見せるぜ! あの宝箱にっ! 栄光のピースを決めるためにっ!」
自分は痛くも痒くもないので、ここぞとばかりに大見得を切るスピア。
体勢が崩れた拍子に、飛び出してきた剣先で尻を突かれ、エルはさらにパニックに陷っていた。
「ぎゃっ!? ぎゃあっ! ぎゃぁぁぁぁーーーっ!? 刺された、刺されたっすぅーーーっ!? 死ぬっ!? 死ぬっ!? 死ぬぅ!? もう死ぬっすぅぅぅぅぅーーーっ!?」
「がんばって! スピア様ぁ! エル! ウザいからちょっと黙ってて!」
「あんなにお怪我をされても心折れないだなんて……スピア様、なんという剛健なるお方なんでしょう! それに比べて、エルの情けないことといったら……!」
そこはもはや、天国と地獄が同居する、異常なる空間と化していた。
神のような絶対権力の勇者と、それに盲従する、天にも昇るような気持ちの少女たち。
意に沿わぬふたりの男は、責め苦を受け続ける……!
そんな目に遭わされてもなお、下半身は下半身であり続けようとした。
ぬかるみから這い上がるように立ち上がると、ついに力尽き……ぐらりと揺らいだ。
スピアの視界に、お待ちかねの宝箱がぐんぐんと迫ってくる。
想像以上のスピードで。
そう……!
『下の人』は、自分が地面を踏みしめるのに必要な機能を、すでに失っていることを悟っていた。
だが、残った力をすべて振り絞って、前のめりに倒れることで……少しでも主の望みを叶えようとしたのだ……!
「いぇぇーーーいっ! ……えっ!? ちょ、おま、待てって!? ぶつかるぶつかるぶつかるっ!? うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
……グシャッ!
ライドボーイ・スピアの顔面が、鉄の箱に叩きつけられて潰れる。
2in1の実情を知らぬ者からすれば、言葉では嫌がりつつも率先して宝箱に頭突きをしたような、奇妙な光景だった。
直後、振動を感知したそれは容赦なく、
……ドォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!
バックドラフトのような大火を吹き出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その頃、グラスパリーンは戦慄していた。
火災現場から届いたような、痛ましい悲鳴を耳にしたからではない。
ゴルドウルフが偶然っぽく壁を押すと、横にスライドして現れる小部屋。
お部屋訪問のように入っていき、サックリと中身を回収して戻ってくる。
「また隠し部屋だったようです。はいどうぞ、先生」
もはや数えるのをあきらめてしまった証票の束。
その新たなる1ページが女教師に渡される。
10回くらい輪廻転生しても貯められないほどの金が、すでに彼女の手中にはあった。
ゴルドウルフはこの地下迷宮に入った当初は、『早解きモード』だった。
しかし宝箱の取得が加点になるとわかってからは、『完全攻略モード』に切り替わっていた。
まるで国税庁のガサ入れのような、容赦のなさで次々と宝箱を発見。
すでに億ほどの金を手に入れていたのだ。
……地下迷宮に億単位の金を置くなど、労働者の報酬すらケチったミッドナイトシャッフラーからは想像もつかないほどの大盤振る舞いである。
だが、名作として語り継がれる地下迷宮には、『ハイリスク&ハイリターン』という要素が必ず含まれている。
『高難易度の地下迷宮』という美しい花弁だけでは、誰も近寄らない。
その中に『莫大なお宝』という甘い蜜を内包してこそ、飛び込んでくる昆虫があとをたたないのだ。
己の地下迷宮を持つのは勇者にとってはステータスだが、閑古鳥が鳴くような物件では逆に笑いものとなってしまう。
なのでドケチと言われるあのナスビでも、否応なしに身銭を切るしかないのだ。
……そんな父親の苦労を、娘は知っていた。
しかし例のオッサンは、その想いを知ってか知らずか……。
彼女の目の前で、『闇金ゴルドくん』ばりに根こそぎ持って行こうとしているのだ。
ナスビっ子は表情にこそ出さないものの、色白の顔を紙のように真っ白にしていた。
……どういうことだのん……!?
見える位置にある宝箱だけならまだしも、なんで隠し部屋まで……!?
このままだと、この『蟻塚』の宝箱は、この男にぜんぶ持って行かれてしまうのん……!
そうなると父上は、大損どころではすまないのん……!
そしてついに、彼女は改めざるをえなかった。
特になにもしなくても、自滅するだろうという考えを。
父上が破産する前に、なんとしても食い止めなくてはいけないのん……!
のんが直接、手を下してでも……!
分かれ道にさしかかったところで、ゴルドウルフが向かおうとする先とは逆を指さす。
「……ここは、右の道を行くのん」
初めて試験官から注文を付けられたので、ゴルドウルフは立ち止まった。
「なぜですか? そちらの道にはモンスターがいますよ」
ミッドナイトシュガーは、クッと唇を噛む。
……この男……!
やっぱり、モンスターのいる道を避けて通っていたのん……!
「だからこそだのん。探索能力だけでなく、戦闘能力もこの試験においては重要な要素のひとつだのん」
「モンスターですって!? いいわね! 宝箱にも飽きてきたころよ! 行きましょうよ、ゴルドウルフ!」
血の気の多いお嬢様が、すかさず乗ってくる。
ゴルドウルフは少し考えたあと、ゆっくりと首肯した。
「わかりました。では、右の道に行きましょう。この先で待ち構えているモンスターは、おそらくマジックスケルトンです。グラスパリーン先生、マジックスケルトンについての特性を教えてください」
「はっ、はひっ!? え、えっと……えっとえっと……ええっと……ほっ……骨?」
「……そうですね。マジックスケルトンは骨でできたモンスターです。不死である『アンデッド』と、魔法で動く『ゴーレム』の両方の特性を併せ持っています。武器や装具などを身に着けていて、それが魔力供給源となっています。それが身体から離れるまでは何度でも再生しますので、骨の身体ではなく身につけているものを狙ってください」
オッサンはここで一息ついて、仲間たちを眺めまわし、表情を確認する。
急遽モンスターと戦闘することになったので、プリムラとグラスパリーンの顔は強張っていた。
シャルルンロットは遊園地にでも行くかのようにワクワクと、ミッドナイトシュガーはいつものぼんやりとした表情で虚空を見つめている。
少女たちの反応は、緊張と興奮が半々のようだった。
しかしいずれにせよ、戦う前に心の準備ができるというのは、不意の遭遇が当たり前である地下迷宮においては有り難いことだった。
これも当然、オッサンの知識と索敵能力がなせる業である。
「作戦としては、私が敵のターゲットを集めます。1体だけ外しますので、それをシャルルンロットさんが相手をしてください。シャルルンロットさん、スケルトンとの戦闘において、いちばん注意することは何ですか?」
教師のように尋ねるゴルドウルフ。
普段の戦いであれば、彼は全モンスターのターゲットを集めるのだが、あえて一体外すと宣言した。
これは、少女たちに実戦経験をしてもらおうという配慮からである。
当てられたお嬢様は、ビシッ! と元気よく手を挙げた。
「はいはーいっ! スケルトンは目がないうえに筋肉もないから、人間の振るう剣とは大きく違うんでしょう!? 視線や身体の動きで太刀筋を予測できないから、対人セオリーは使わないこと! 未知のモンスターと同じつもりで戦えばいいのよね!?」
「その通りです。初めての戦闘で逸る気持ちはあるでしょうが、攻撃したい気持ちを抑えて、まずは防御に専念してください。そして相手の動きのクセを掴むのです。いいですね? ……では次にグラスパリーン先生。先生はシャルルンロットさんにマナシールドをかけて、援護してあげてください」
「はっ……はひっ!」と直立不動になる女教師。
「次にプリムラさんは、『大浄化』を準備していてください。戦いが始まったらすぐにお願いします」
『浄化』というのは『癒し』とならぶ聖女の祈りのひとつで、不死のモンスターを消滅させる力がある。
『大浄化』というのは、高レベルモンスターを天に還すためのものだ。
聖女は前髪を揺らすほどに大きく頷いたものの、すぐに異を唱えた。
「わかりました。でも、おじさま……マジックスケルトンでしたら、普通の『浄化』でも大丈夫だと思うのですが……? それに『大浄化』は、祈りを捧げるのに時間がかかってしまいますが……」
「はい、でもそれでお願いします」
念を押される形となったプリムラは、なにか考えがあるのだろうと察する。
それ以上は何も言わず、「わかりました」ともう一度、艷やかな髪の光沢を動かした。
「最後にミッドナイトシュガーさん。あなたはファイアボールで私を援護してください」
「わかったのん」
特に何の意見も感情もなさそうに、赤ずきんを前に倒す少女。
しかしそのナスビ色の瞳は、深く被ったフード同じく、静かに燃え上がっていた。
……『大浄化』まで用意させるとは……!
やっぱり、この男……只者ではないのん……!
この戦闘で……何としても始末しておかなくてはならないのん……!
ボンコス一族が、勇者たちに巻き込まれている被害者のように見えますが、彼らもそれだけの仕打ちを受けるにふさわしいことを、ゴルドウルフにしでかしています。
機会があれば、そのあたりにも触れたいと思うのですが…。