23 オッサンの背中
ゴルドウルフは、丘の上から眺めおろしてくる勇者たちに目礼だけを返した。
彼らに向かってシャーシャー唸っているシャルルンロットと、彫像のように固まっているグラスパリーンをそれぞれ肩に担いで、沼を渡る。
ゴルドウルフの脚は膝下あたりまで埋まり、泥だらけになってしまったが気にする様子はない。
少女たちを『蟻塚』の入り口におろしてから再び戻り、今度はプリムラとミッドナイトシュガーを運ぶ。
「あの、おじさま……ここまでしてくださらなくても……」と聖女は恐縮しきりだったが、
「いいえ。身体に泥がついてしまうと移動に影響が出ます。特にローブを着ているなら尚更です。それに沼にはヒルや蛇が潜んでいる可能性があります。これから地下迷宮に入るので、それらによる被害は避けなくてはなりません。尖兵の役目は来るべき時に備え、パーティメンバーの実力を最大限に発揮できるよう気を配ることですから」
そう言う彼の顔はすでに、いつもの柔和な表情から、尖兵独特の鋭さを帯びつつあった。
そうして全員が、地下迷宮の入り口へと到着する。
外観は『蟻の棲処』と呼ぶに相応しい黄土の風穴であったが、中は石材でしっかりと整備されていた。
しかし奥から吹き出てくる風は、金属のように冷たく乾いている。
まっすぐに続く石畳の傍らには、用水路のような溝が掘られていて、水がチョロチョロと流れてきていた。
この溝は、運が悪いと汚水が流れている場合がある。
その時は、まさに下水のような臭いで満たされるのだが、今日は綺麗な水のようだ。
ゴルドウルフは背負っていた大きなリュックから、すぐ使えるようにと下げていたランタンを取り外す。
その姿を瞳に映していたミッドナイトシュガーは、何やらごにょごにょと唱えて魔法の鬼火を出現させた。
「ランタンひとつでは光源としては不足のん。減点1」と彼女は内心オッサンを見くびっていたのだ。
しかしオッサンの持ってきていたランタンは、光量増幅の魔法が込められた逸品。
あたりを昼間のように明るく照らし出す。
ちんまりした鬼火は本来の役目を果たせず、所在なく浮いていたが、「わぁ! かわいい鬼火さん、こんにちは!」とプリムラだけには好評だった。
ゴルドウルフは明かりをかざし、通路の先がひとまず無害であるのを確認すると、
「では行きましょうか、グラスパリーン先生、隊列はどうしますか?」
振り返って尋ねる。
朝からずっと緊張していて、又貸しされた猫のように大人しかったグラスパリーン。
急にゴルドウルフから話題を振られて、「ひぃっ!?」と飛び上がり、着地に失敗してすっ転んでいた。
リーダーどころか教師かどうかも怪しい体たらく。
これではヤクザにカツアゲされている小学生みたいである。
ゴルドウルフは怖がらせるつもりは毛頭なく、日頃の勉強の成果を披露してほしいと思っていた。
しかしその気遣いは伝わらず、彼女は命乞いするような瞳をウルウルと返してくるのみ。
ときおり機嫌を伺うように、試験官であるミッドナイトシュガーのほうをチラ見している。
こうなっては、助け舟を出す他なかった。
「……わかりました、グラスパリーン先生。では前日に指示いただいたとおり、私が先頭を進みます。そのあとは少し離れて一列に、シャルルンロットさん、グラスパリーン先生、プリムラさん、ミッドナイトシュガーさん……という並びでいきましょう」
「はっ、はひっ! あっ、あのあのあのっ! しっしし、試験官様っ!? そっそっそそそ、その隊列で宜しゅうございますですかっ!?」
グラスパリーンはひきつれた声で、直訴する農民のようにミッドナイトシュガーにすがる。
「……すでに試験は始まっているのん。その判断が正しいかどうかは教えられないのん。余計なことを尋ねたので、減点1とするのん」
「げっ、減点っ!? ひぃぃぃぃーーーっ!?!?」
打ち首獄門のように冷たく突き放され、女教師は眼鏡が割れんばかりの悲鳴を通路に響かせた。
彼女の背後にいたシャルルンロットは大音量のあまり仰け反り、「うるさい!」と抗議のチョップをくらわせる。
「グラスパリーン! アンタ、たった1点くらいで大げさなのよ! こんなへんな語尾のヤツにビビってどうすんのよっ! 1億点取って見返すつもりでドーンと構えてなさいよっ! ドーンと!」
「う……ううっ! ごめんなさぁい、シャルルルンロットちゃん! 私……私、がんばるぅ!」
「へんな語尾ではないのん。父上から受け継いだ格式ある語尾だのん。侮辱したので減点2のん」
「げっ、減点2っ!? ひぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~っ!?!?」
さらなるペナルティに、頬を両手で押しつぶしながら叫びをあげる女教師。
その姿は、まだ入り口であるにもかかわらず、失路の予感を抱かせるにじゅうぶんであった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
しかし隊列を組んで、奥へと進み始めてからの流れは意外にもスムーズだった。
先頭のオッサンは、伸縮式の釣り竿のような棒を持ち、時折地面を打ち据えながら進んでいる。
これは、ポイントマンステッキという道具のひとつ。
罠のありそうな足元や壁を叩き、事前に察知するためのものだ。
とはいえあまりにも不用心に進んでいくので、最後尾の試験官は不審に思っていた。
……棒を使って罠がないか調べているのん。
でも、歩く速度は尖兵にしてはかなり速い……まるで自分の家の庭を歩いているような、不用心な足取りのん。
父上は、「あの男は役立たずノン。放っておけば勝手に死ぬノン」とおっしゃっていたのん。
その通りの、無謀で命知らずの愚か者のようだのん。
父上からは、あの男は殺してもかまわないと仰せつかっているのん。
最悪、他の同行者やグラスパリーンも……。
でもこの調子だと、のんが手を下さずとも全滅するのは必定だのん。
少女の眠そうな眼には、このクエストに隠された真相を、何も知らない者たちの背中が映っていた。
いや……『知らない』と言えるのは、むしろ彼女のほうかもしれない。
スタスタ歩いていくオッサンの、正体を……。
それは秘密裏に任務を与えられている彼女にとっては、致命的な存在であるということを……。
オッサンはこの『蟻塚』の建造に関わっただけでなく……最下層からたったひとりで脱出した、唯一の人物……!
そう……!
彼にとっては、高難易度の地下迷宮と呼ばれる『蟻塚』ですら、庭でしかなかったのだ……!
どこが最短ルートか、どこに罠があるのか、すべてに頭に叩き込まれている。
忘れようとしても忘れられない、精神的外傷とともに……!
……カキン!
かすかな衝撃音とともに、床に何かが打ち込まれた。
昼食の時に使っていたフォークだ。
オッサンが、踏むと罠が作動する床石に、楔がわりに打ち込んだのだ。
そうとも気づかずに踏み越えていく後続たち。誰も気づかないし、もちろん何も起こらない。
次にフォークは、上空へと撃ち出された。
……ドスッ! ……キィィィッ!?
か細い悲鳴とともに墜落してきたコウモリを、オッサンは片手でキャッチ。
刺さっていたフォークを回収し、手に入れた獲物は、腰から下げている布袋へとしまった。
「ゴルドウルフ、いまなにやったの?」
これにはさすがに気づいたようで、後続の先頭にいるお嬢様が、目を凝らしながら声をかけてくる。
「『アーミーバット』というコウモリの斥候を倒しました。仲間を大量に呼んで襲ってくるので、見つかる前に倒しておかないと厄介なんですよ」
「ふーん。アタシはいま退屈だから、呼んでもらっても結構だけど?」
「退屈なのは今だけですよ。すぐに嫌でもモンスターと戦うことになりますから」
ふたりのやりとりに耳を傾けていたミッドナイトシュガー。
その顔はアイスリンクのように寒々としていて平らだったが、重そうな瞼がわずかに持ち上がっている。
このわずかな違いが、彼女が驚いたときの表情変化なのだ。
……『アーミーバット』がいるというのは、父上から頂いた資料で知っていたのん。
それに対処法も、大学で習ったのん。
暗視魔法を使って、天井に注意を払い……存在を発見したら、魔法や弓矢で攻撃するのん。
しかし、あの男は暗視魔法など使っていなかったのん。
天井まではランタンの光は届いていないうえに、『アーミーバット』は保護色……人間の目視で発見するのは、不可能なはずのん。
しかも『アーミーバット』の斥候は、素早く用心深いのん。
熟練の冒険者でも、攻撃を命中させるのは難しいそうだのん。
魔法や弓矢でも失敗するというのに、木のフォークで倒すだなんて……ありえないのん。
もしかして……ただの偶然のん?
試験官少女の表情は冷静そのものだったが、内心はわずかに乱されつつあった。
……『地下迷宮に道などない』という格言がある。
罠やモンスターが待ち構える迷宮では、気を抜かずに歩ける道などひとつもないという意味である。
しかし、ここにはあるのだ。
我が家の庭のように、絶対的なまでに安全な道が。
まるで天空の城のように、信じる者だけがたどり着ける、それは……。
『オッサンが通った道』……!
少女たちは、いつか知るだろう。
あの背中が、いかに頼もしかったのかを。
高難易度の地下迷宮に挑んでいるというのに、「退屈だ」と言えるありがたさを。
そして奇しくも、同じ時間、同じ場所……ほんの少し離れた階層に、彼らはいた。
オッサンの有り難さを気づくことができる、瀬戸際の者たちが……!
次回から、軽~い勇者ざまぁが連続する予定です。
本当に軽くなので、前菜としてお楽しみください。