07 月の夜に
07 月の夜に
「あなた様の行動ひとつで、ひとりの高名なる聖女様が、路地裏の聖女様になってしまわれるかもしれませんねぇ……。
まぁ、『新製品発表会』まではあと1ヶ月もありますので、ゆっくりとお考えになってください……しゅるしゅる、ふしゅるるる……!」
シュルボンコスはプリムラにそう告げたあと、蛇のように音もなく事務所をあとにした。
そして入れ違いで、ランがすぐさま戻ってくる。
「おい、ガキんちょ! あのハゲ野郎、なんの用だったんだ!?
ってお前、顔が真っ青じゃねぇか!? いったいなにをされたんだよ!?」
「い、いえ、別に……」
プリムラは生まれてこのかた、隠し事というのをほとんどしたことがなかった。
そのため、ランの追求をかわすのに苦労したのだが、なんとかフォンティーヌの秘密は守り抜いた。
そのことがさらに、プリムラを追いつめることとなる。
プリムラは悩んだ。
今回の『新製品発表会』においては、相手の商品を「欲しい!」と言ってしまった時点で決着する。
しかし、これはよっぽど素晴らしい製品が出てこないと起こりえない。
両者ともその発言が無かった場合は、従来のルールどおり、観客たちが勝敗判定をするという取り決めになっていた。
『新製品発表会』でフォンティーヌの出した商品を、プリムラが「欲しい!」と言うのはなんら難しいことではない。
しかしこの宣言による敗北は、通常の敗北とは異なり、『ボロ負け』を意味する。
ようは公の前で、スラムドッグマートよりも、ゴージャスマートの製品のほうが素晴らしいと言ってしまったも同然だからだ。
スラムドッグマートは聖女の国キリーランドにおいて、完全撤退となってしまうだろう。
プリムラは思う。
――これは、わたしひとりで判断していいことではありません。
今度こそ、おじさまにご相談を……!
でも、おじさまにお話してしまった時点で、フォンティーヌさんの秘密は……!
発表会に出すための新製品のアイデアも、まだないというのに……!
ああっ、わたくしは、いったいどうしたらいいのでしょうか……!?
プリムラは悩んだ。懊悩と呼べるほどに。
少女に迫られた決断は、ふたつにひとつ。
鬼となるか、蛇となるか……!
心を鬼にして、『新製品発表会』に全力でぶつかる。
敵の秘密は公となり、スキャンダルとなった時点で敵は国を追われるので、スラムドッグマートの勝利が確定する。
または心を蛇にして、シュルボンコスの言いなりとなる。
わざわざ敵を勝たせ、仲間の野良犬たちを路頭に迷わせる……。
これは普通に考えれば、なんら悩む必要のない疑問であった。
しかし少女は違った。やさしすぎたのだ。
――フォンティーヌさんは、素晴らしい聖女さんです……!
それを見捨てるだなんて、わたしにはできませんっ……!
でも、でも……おじさまを裏切ることも、したくありませんっ……!
それから、日々はあっという間に過ぎていく。
プリムラの言葉は少なくなっていき、ぼんやりしていることが多くなった。
夜も眠れず、食事も喉が通らなくなり、日に日にやつれていく。
身体は重く、心は汚泥のなかに沈んでいるかのようだった。
まるで呪われているようだと周囲は心配したが、プリムラはうつろな瞳で「なんでもありません」と力なく笑うばかり。
その笑顔をすらも失われ、プリムラはとうとう倒れてしまい、スラムドッグマートを休んだ。
『新製品発表会』まであと2日、たとえここで新製品を思いついても、試作品すら間に合わない。
プリムラは薄暗い寝室でひとり、うつむいていた。
――このまま、なにもしなければ……。
わたしが『新製品発表会』に、出なければ……。
わたしひとりが責められるだけで、すべては、丸く……。
不意に、ノックの音がした。
「はい」と返事をすると、扉の向こうから「ゴルドウルフです」と声が返ってくる。
「お……おじさまっ!? しょ……しょしょっ、少々お待ちくださいっ!」
プリムラは慌ててベッドから飛び起き、鏡台で身支度を整える。
パジャマを着替えた正装で、寝室の扉を開けた。
そこには、いつもと変わらぬゴルドウルフが立っていた。
それだけで、プリムラは涙が出そうになる。
「あ、あの、おじさま……」
「ちょっと、散歩しませんか? 少しは身体を動かしたほうが、元気になりますよ」
プリムラはゴルドウルフに促されるまま、住まいである神殿を出て、森を歩いた。
今は真夜中だったが、現在の住まいであるグレイスカイ島は空が澄んでいて、月が明るい。
そのため森の中はぼんやりとした淡い光に照らされ、この世のものとは思えないほどに幻想的だった。
レンガで舗装された小道を歩いていると、プリムラはふと、道の先で蠢くちいさなものを見つける。
よく見るとそれは雛鳥で、翼を広げたままぬかるみにはまり、泥だらけで這いつくばっていた。
息をするのもやっとのようで、苦しそうにピーピーと鳴いている。
「大変!? あの子、巣から落ちたみたいです……!」
プリムラはすぐさま駆け寄ろうとしたが、オッサンの太い腕で遮られた。
「危ないですから、近寄らないほうがいいです」
「えっ?」
「あれはウシミツドリといって、夜行性の鳥なんです。雛鳥もああやって、夜に飛ぶ練習をするんですよ」
オッサンが樹冠のほうを指さす。
プリムラが見上げるとそこには、ワシのように大きな鳥が2羽、枝に止まっていた。
「あちらは、お父さんと、お母さん……? 自分の子供が大変な目に遭っているのに、どうして助けようとしないんですか?」
「落ちることも、勉強だからですよ」
まだキョトンとしているプリムラに、オッサンは続ける。
「鳥が高く飛ぶためには、強く羽ばたかなくてはなりません。飛ぶことに慣れていない雛鳥がそうすると、落ちる確率もあがるんですよ」
「ということは、あの子は高く羽ばたこうとして、落ちてしまったと……?」
「そうです。でも落ちてしまったときに親鳥が助けてしまっては、いつまで経っても高く飛べるようにはなりません。
だから親鳥は助けたいのを必死にこらえて、雛鳥を見守るだけにしているんですよ」
不意に、親鳥の一羽が飛び立つ。
プリムラがすかさず目で追うと、道の向こうからやって来ようとしたイノシシを、威嚇して追い払っていた。
「親鳥がすることはただひとつ。ああやって、雛鳥に本当の危機が迫った場合、こっそり対処してあげることだけです。
そうすると、雛鳥は自分の力で羽ばたいたという自信を付けるんですよ」
「なるほど……見守ることも、愛情だというわけですね……」
そうつぶやいて、プリムラはハッとなる。
「おじさまは、もしかして……」
「この道はウシミツドリが飛ぶ練習をしているようですから、横道から行きましょうか」
ふたりは別の道を進み、やがて、森を抜ける。
そこは見晴らしのいい高台で、グレイスカイの街並みが一望できる場所だった。
それ以上に目を引いたのは、夜空にぽっかりと浮かぶ満月。
空から降り注ぐ白い光は、まるで清廉なる泉のように清らかだった。
「わぁ……!」と目を見張るプリムラに、オッサンは言う。
「今夜は、月が奇麗ですね」
この瞬間、プリムラの沈みきっていた心が……。
泥沼を脱し、まるで羽ばたく雛鳥となり、天に飛翔したっ……!
……シュパァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
この時のプリムラは、見るものが見れば、背中に翼が生え、数センチ地面から浮いていたかもしれない。
それほどまでに少女は、天にも昇る心地になっていた。
掲載再開です!
ただ現在は他のお話を優先して掲載しておりますので、こちらのお話は不定期掲載とさせていただきます。





