129 ローンウルフ4-68
それから数時間後。
バンクラプシーは、スラム街のゴミ捨て場で目覚める。
身に付けていた新聞すら剥ぎ取られ、全身が火傷で真っ赤に膨れ上がっていた。
「うっ……ううっ……! い、いでぇ……! いでぇよぉぉぉ……!」
ずっと針を刺されているような痛みが止まらない。
朦朧とする意識のなかで、バンクラプシーは救いを求め、手を伸ばした。
「だっ……! 誰か……! 誰か、助けてぇぇぇ……!」
もはやこの世に、彼に味方する者はいないかに思われた。
しかし、神はいた。
「どうされたのですか!? しっかりしてください!」
灰をかぶったようなボロ布のローブに身を包む、少女の集団。
このスラム街にある、聖堂の聖女たちであった。
今のバンクラプシーにとって、彼女たちは掃き溜めの鶴。
いや、女神に見えた。
「ああっ……! た、助かった……!」
聖女たちはゴミを駆け散らしながら寄ってくると、バンクラプシーを助け起こす。
「まあっ、酷い火傷……! 全身が腫れあがって、本当に痛々しい……!」
「あいにくと、私たちは本物の聖女ではありませんので、奇跡を使えません」
「でも薬ならあります。さぁ、まずは飲み薬をお飲みになってください」
「では私たちは、塗り薬を塗ってさしあげましょう」
見ず知らずで行き倒れていたバンクラプシーに少女たちはかいがいしく介抱する。
飲み薬と塗り薬のヒンヤリした感触に、バンクラプシーは砂漠でオアシスを見つけたかのように安息していた。
しかしそれも、ほんの束の間の出来事であった。
突如、身体の外と内から、地獄の業火に焼かれたかのような痛みが押し寄せてきたのだ。
「あぐうっ!? ぐあっ……! が……はあっ!?」
それは筆舌に尽しがたく、声にもならないほどであった。
地面のゴミに触れているだけで、針山にいるかのよう激痛が全身を刺し貫く。
肺腑から息を絞り出すだけで精一杯。
陸に打ち上げられた鯉のように口をパクパクさせているバンクラプシーを、聖女たちは冷たい瞳で見下ろしていた。
「ホームレスの方々に聞いて、まさかと思って来てみたのですが……」
「まさか、あなたが本当に、こんなゴミ山にいるだなんて……」
「私たちのことを、覚えていますか? 覚えていないでしょうね?」
「ここにいる者たちは全員、あなたに店を潰され、この世を去っていった両親を持つ、みなし子なのです……!」
「どうですか、薬……いや、毒のお味は?」
「その毒を服用し、塗った以上、あなたはもう元の身体に戻ることはできません」
「これからあなたは一生、発作のように、その苦しみを味わうことになるのです」
「痛みに耐えられなくなって、ショック死するまで永遠に……!」
「地獄に落ちろっ、このクソ野郎っ……!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
バンクラプシーはそれからゴミの中を悶絶し、何日も生死の境をさまよった。
もはや今度こそ本当に、彼に手をさしのべる者はいない。
……はずであった。
彼は混濁を通り越し、水に浮かぶ油のように七色に明滅する意識のなかで、彼は、あるものを見る。
『ゴージャスマート研修用教本』
彼は無我夢中で、天からさしのべられた野良犬の肉球を掴むかのように、その本を掴み取る。
すると痛みは不思議と引いていき、安らかなる瞬間が訪れた。
「こ……これは……」
バンクラプシーは寝転がったまま、本をめくった。
それは偶然、裏表紙からだったので、目に入ってきたのは最終章。
そう、ノータッチが糊付けしてまで目にするのを拒んでいた、禁断の章であった。
そこには、過去のゴージャスマートの研修内容であった、スラム街での商売が書かれていた。
その内容に、バンクラプシーはヒリつく眉を寄せる。
「な、なんだ、この本……?
なんで俺のとっておきの『温石屋』のやり方が書いてあるんだ……?」
次の瞬間、バンクラプシーは棍棒で頭をブン殴られたかのような衝撃に襲われていた。
……ズガァーーーーーーンッ!!
「お……俺が編み出したと思っていた商法は……。実は、若い頃に受けていた研修が元になっていたのか……!?」
元になっているというより、教本に書いてあるのはそのまんまであった。
そしてところどころにある落書きで、彼は気付く。
これは彼の屋敷の倉庫に置いてあった、自分が使っていた教本だと。
「そうか、借金取りたちが俺の屋敷をあさって、金にならないものは全部捨てやがったんだな……!」
教本は、型がつくほどに読み込まれている箇所があった。
それは『競合他社の妨害対策』という章。
そこは、ライバル店が嫌がらせをしてきたときに、どうやって対処をすれば良いかを教えてくれる内容であった。
その内容は例によって、バンクラプシーが自分で編み出したと思い込んでいた、数々の『潰し』のテクニックが網羅されていた。
……ズガガガァーーーーーーンッ!!
「そ……そんな……! 俺の『潰し屋』のすべてが……こんな教本のなかに、すべて詰まっているだなんて……!」
教本はあくまで、『相手が仕掛けてきたとき』という観点で書かれている。
著者としては防御手段を教えたかったのであろうが、バンクラプシーはあろうことか、仕掛ける側のノウハウを自分のものにしていたのだ。
「そ……そうか、そうだったのか……。
この本が素晴らしすぎるあまり、俺は無意識のうちにこの本の著者に憧れ、自分もああなりたいと思って……。
自分でも知らず知らずのうちに、マネをしていたのか……。
無意識とはいえ、俺が憧れる人間なんて、そうそういやしねぇ……。
この教本はきっと、ゴッドスマイル様か、ブタフトッタ様が書かれたに、違いない……」
バンクラプシーはそうつぶやきながら、何の気なしに教本の奥付を確認する。
そこで、口にするのもはばかられるほどの名を、見てしまった。
そう、
ゴ ル ド ウ ル フ ・ ス ラ ム ド ッ グ ……!





