112 ローンウルフ4-51
世界がグルグルと回転するなかで、意識が引きずり戻される。
彼自身は経験したことがないが、例えるなら二日酔いのうえに寝たりない状態で、無理やり叩き起こされたような不快感であった。
意識を取り戻したものの、視界がまったくない。
血で張り付いた瞼を剥がすようにして開くと、身体は斜面を勢いよく転がっていた。
「うっ……! うわあっ……!?」
わけもわからず悲鳴をあげようとした瞬間、硬さと柔らかさ、鋭さと丸さの混ざった不思議な触感の地面にどしゃりと叩きつけられる。
いっしょに降ってきていたゴミが雪崩のようになって、彼の身体を覆い尽くした。
――……こ、ここは……?
彼はあちこち痛む身体を引きずって、ゴミの山から這い出る。
しかし目の前に広がっていた景色も、ひたすらゴミであった。
――ここは、地獄か……?
と思ってしまうほどに、ひどい光景。
あたりには腐臭が漂い、餓鬼のような格好をした者たちがゴミをあさり、奪い合いをしている。
落ちてきたところを見上げると、急な傾斜の山があった。
遥か上方には山道があって、ひっくり返った荷台が見える。
それだけで、彼は察した。
――そういえば、聞いたことがある。
セブンルクスから出た粗大ゴミやホームレスの死体を、小国に遺棄する業者があると。
私はゴミ捨て場で勇者たちに暴行を受け、意識を失ったあと……。
死んだと思われて、ゴミ収集の馬車に乗せられたのだろう。
そしてここに、捨てられた。
ということはここは、『エヴァンタイユ諸国』の……。
いや、ビッツラビッツ国王が新たなる呼称を認めたから、『ドッグレッグ諸国』……。
四つある小国のどこかということだ。
そしてフッと自虐的に笑む。
――セブンルクスにいては勇者組織から命を狙われると思って、逃げだそうとしていたのに……。
まさかこんな形で、別の国に落ち延びるとは……。
そのうえゴミ溜めとは、野良犬の穢れた血が入った私には、ふさわしい行き先だな……。
彼は傷だらけの身体を引きずって歩き出す。
大量の不法投棄の山をいくつも抜けた先は、スラム街であった。
ここは彼がかつていたセブンルクスよりもずっと寒い地域で、あちこちでゴミを焼く焚火が行なわれている。
あまりにも寒かったので、そのひとつにあたらせてもらおうと近づいたのだが、
……ガスッ!
いきなり棍棒でブン殴られてしまった。
「な……なにをするっ!?」
「なにをする、じゃねぇよ! ははぁ、テメェよそもんだな!?
この街じゃ、焚火はタダじゃねぇんだよ! あたりたかったら何か持ってきな!」
見るとたしかに、焚火にあたろうとする者は、残飯なり鉄クズなりを渡している。
彼なにか持ち物がないかと探してみたが、そこで自分が、例の教本をしっかりと握りしめていることに気付いた。
――こ、これを渡すなり、燃やすなりすれば……。
しかし、できなかった。
これを手放したが最後、自分のアイデンティテイすらも手放してしまう気がしたから。
彼は立ち上がると、トボトボと焚火から離れた。
スラム街はどこも陽が差さず、肌を刺すような冷たい風が絶えず吹きすさんでいる。
少しでも風を避けようと物陰に入っても、凍えるような寒さだった。
――な……なんなんだ、この、異常な寒さは……!?
そういえば、聞いたことがある。
近くに天然の地下迷宮がある場合、その地下迷宮の持つ気候のタイプによって、周辺も気温の影響を受けると……。
マグマの洞窟がある付近は、周囲の灼熱の地となり、氷結の洞窟がある付近は、周囲は極寒の地になると。
そしてそんな住みにくい場所にこそ、スラム街ができると……。
彼の思考はまるで、誰かの言葉をそのままなぞっているかのようだった。
その続きが、掠れた声で漏れる。
「……スラム街には冒険者の店はありません。なぜならば顧客が存在しないからです。
しかし商売の基本を学ぶにおいて、これほどふさわしい地はありません……」
その言葉がある人物の声色を思いだし、グワッと目を見開く。
手にしていた教本を最終章を、ガバッと開いた。
章の始めには、こんな表題がある。
『卒業実習 ~商売の基本~』
そのタイトルを見た途端、嫌な思い出が蘇ってくる。
「ぐうっ……!」と頭を押えた。
「だ……ダメだっ! これだけは、これだけは……!
どんなに落ちぶれても、これだけはやらないって、誓ったじゃないか……!」
その決意の固さを示すかのように、最終章はまるごと糊づけされて、袋とじ状態になっていた。
彼が卒業実習を終えたあと、真っ先に自らの手で封印したのだ。
こんなに寒いのに脂汗が吹き出してきて、ページの上にボタボタとシミを作る。
初めて銃を抜くガンマンのように、手を伸ばしては引っ込める。
「ぐぐっ……! このページに書いてあることを実践すれば、私はまた、返り咲ける……!
時間はかかるかもしれないが、勇者にも戻れるだろう……!
でも、これをもう一度やってしまったら、私は完全に落ちぶれてしまう……!
私がもっとも忌み嫌う、野良犬にっ……!
嫌だっ! それだけは嫌だっ……! なぜならば私は、誇り高き勇者なのだから……!」
全身をびっしょりにして苦悶する彼。
その通りの向こうにある広場に、とある集団がやって来る。
それはこのスラム街において、実に奇妙に映っていた。
まず、ホームレスのようなボロボロの衣服をまとっているものの、身体はキレイな若い男女たち。
そしてボロボロのローブを身にまとう聖女たちや、着ぐるみを着た子供たちが同行している。
やがてホームレスのリーダーらしき少女が、タルの上に登り、仲間たちに向かって言った。
「よぉーし、みんな準備はできたようだな。いい格好だぞ」
さっそく、仲間のひとりが手を挙げた。
「あの、ラン教官、この格好はもしかして……」
「そうだよ、ホームレスだ。
お前たちはこのスラム街で、ホームレス相手に商売するんだ。
それが『スラムドッグマート』の最後の研修だ!」
「えっ……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーっ!?!?」





