18 三人合わせても、年下
ゴルドウルフにとって、そして少年少女たちにとって、大きな転機となった剣術大会はひとまずの終わりを告げた。
その大会での宣伝効果もあって、野良犬の店にはさらに多くの子供たちが押しかけるようになった。
ダイヤモンドリッチネルの逆宣伝効果もあって、一流の冒険者たちも訪れるようになった。
利幅の大きい商品を買ってくれる一流冒険者たちのほうが上客ではあるのだが、ゴルドウルフは店長たちに、同じお客様として別け隔てなく接するよう指導した。
そして『スラムドッグマート』は今や、この街でトップシェアを誇る冒険者たちの店となっていたのだ。
ゴルドウルフは思案する。
そろそろ、このアントレアの街だけではなく、近隣の町に進出する頃合いか……と。
プリムラと、かつての常連客に熱望されて始めたこの店。
最初は彼らを相手に、ささやかにでも営んでいけたら……と思っていたのだが、いまは違っていた。
かつてのキャンプで、シャルルンロットの剣がボキボキ折れるのを見てからというのも、考えが変わりつつあったのだ。
悪徳ともいえる商売を続けている『ゴージャスマート』は、この街だけではなく、隣町にも……いや、おそらく世界中にある。
そんな店を野放しにしておくなど、商売人としてはどうしても許せなかったのだ。
それに彼は、『ゴージャスマート』の1号店の立ち上げから携わってきた人物である。
だからこそ、思い入れもひとしお。
今でこそライバル店ではあるものの、まるで嫁に出した娘が不始末をしているようで、耐えられなかったのだ。
オッサンは今日も膿のようにジクジクと、忸怩たる思いを噛み締めながら店の品出しをしていた。
すると、足元で声がする。
「ごりゅたん、らっこー!」
膝のあたりから、赤ちゃんヒトデのような手がにゅっと伸びてくる。
オッサンは「はい」と返事をしながら、わざわざしゃがみこんで、ミルクの匂いを迎えに行った。
ホーリードール三姉妹の末っ子、パインパックだ。
彼女は飼い主の膝に乗った猫のように身体を丸めると、大きな胸ポケットから何かを取り出す。
「ごりゅたん、これあげうー!」
赤ちゃん白魚のような指先にあったのは、河原で拾ったのであろう綺麗な赤褐色の石だった。
……!
それが目に入った瞬間、ゴルドウルフの脳の片隅に眠っていた記憶が、刺激されてチリチリと火花をあげる。
……『ゴル……』。
…………『ゴル……ド……ウルフ……』。
………………『……俺は、もう……ダメだ……!』。
『だから、これ、を……! これを、家族に……! 娘と妻に、届けてくれ……!』
そう訴える顔の、皮膚はすでに剥がれ落ちていた。
赤身のような肉に、蛆が米粒のごとく張り付いている。
骨が覗く手で、託されたのは……かつては青かったであろう、赤い石だった。
『偉大なる導勇者、ミッドナイトシャッフラー様がくださった、この石……! この石があれば、家族はきっと幸せになれる……! たのむ……! 妻と娘が、俺の稼ぎを待っているんだ……!』
震える手で、それを受け取るゴルドウルフ。
気がつくと、亡者のような群れに取り囲まれていた。
『お、俺も……! 俺のもたのむ、ゴルドウルフ……!』
『俺には……俺には、病気の息子がいるんだ……! それも、この石があれば……!』
『お願いだ……! お願いだ、ゴルドウルフ……!』
『俺が、俺が正気でいられるうちに、受け取って、くれ……!』
『そして、逃げろ……! 逃げてくれ……! 俺たちが、お前に食らいつく、前に……!』
形容しがたい腐臭と、黒い霧のような無数の蠅がたてる羽音。
兵馬俑のように居並ぶ、半死半生の者たち。
それはまさに、地獄の只中のような光景だった。
腐肉を引きずる者たちがすがったのは、蜘蛛の糸などではない。
ただひとりの生者。この時はまだ、ただの人間だった者。
強度の『ミッドナイトアロマ』によって、廃人と化しつつある『蟻塚』の労働者たちは、最後の力を振り絞って、今生の財産をたったひとりのオッサンに預けたのだ。
オッサンの両手が、身体に埋まっていた散弾を取り出したかのような、血まみれの石で埋まっていく。
『うっ……! うううっ! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?!?』
正気を保てなくなった彼は、ついに狂ったように逃げ出した。
石に込められた彼らの意思を、しっかりと胸に抱いて。
そして、時は経ち……『蟻塚』より生還した彼を待っていたのは、人間の世界ではなかった。
ましてや天国などありえない。
地獄の血の池に浸され続けるような、さらなる苦行だった……!
『これが、そうなんですか!?』
『本当に、本当にそうなんですかっ!?』
『これが、こんな石が、あの人が何ヶ月も働いた成果だっていうんですか!?』
『あの人は、家を出る前に言ってたんですよ!? 「蟻塚」で働いたら、しばらくは帰れなくなるけど、いいお給料がもらえるって……! だから、我慢してくれって……!』
『ウソばっかり! あの偉大なる導勇者、ミッドナイトシャッフラー様が、こんなただの石をよこすだなんて、ありえません!』
『きっと、あなたが使い込んだんでしょう!?』
『ふざけないで! こんな石、もらったって何にもなりゃしない! 返しなさいよ! あの人が汗水たらして稼いだ大切なお金を!』
ゴルドウルフは託された石を、最後の形見として遺族たちに配って歩いた。
しかし、誰も受け取ってはくれなかった。
それどころか投げ返され、生傷の絶えない日々が続いた。
『返して……! こんな石じゃなくて、夫を返して……! お願いだから、お願いだからぁ……!』
あかぎれた手から、ぽろりとこぼれおちる石。
寄り添っていた幼子が、それを拾い上げた。
『わあ、きれいな石……! これ、パパのおみやげ? わぁいわぁい! ねぇおじさん、パパは、パパはどこにいるの? はやく、おれいをいいたいなぁ……! ねぇ、おじさん? おじさんってば!』
……「おじさま」「ゴルちゃん」「ごりゅたん」
…………「あの、おじさま?」「おーい、ゴルちゃーん?」「ごりゅたーん?」
………………「あの、おじさまっ!?」「まあまあ、ゴルちゃんってば!」「わぁん、ごりゅたーん!?」
サラウンドで呼びかけられて、ゴルドウルフはハッと我に返る。
「あっ……プリムラさん、パインパックさん、それに、マザーまで」
気がつくと、心配そうに頬を寄せ合う聖女三姉妹のどアップが。
おそらく、長女がきっかけとなったのだろう。
顔の距離が異様に近い。
いや、近いなんてものじゃない。完全に恋人どうしの距離だ。
呼吸が感じられるほどに密着している。
見目麗しい少女らの、吐く息までも清らかだと知っているのは、彼女らの肉親を除いてはオッサンだけ。
おおきく見開いた6つの瞳には、三面鏡のようにオッサンの顔が映り込んでいた。
それが同じタイミングで、パチパチと瞬く。
「ごりゅたん、どうちたのー?」
「おじさま、大丈夫ですか? お顔の色が悪いですよ? どこかお身体の具合でも……? お祈りをいたしましょうか?」
「あらあら、まあまあ。ゴルちゃんはやっぱり、お昼寝したほうがいいわ。ママがいっしょにねんねしてあげるから、ねっ?」
さらにグイグイくる少女たち。
押し当てられた柔らかいものが、むにゅりと変形するのを感じ……オッサンはさりげなく身を引いた。
「いいえ、ちょっと考え事をしていただけです。それよりも、なにかありましたか?」
こういう場合は話題を変えるに限る、とばかりに尋ねると、プリムラが思い出したような声をあげた。
「あっ、そうでした。グラスパリーン先生がお見えになっています」
少し離れたところには、羨ましそうにヨダレを垂らしている女教師が立っていた。
彼女はゴルドウルフ以上にボーッとしていたが、視線に気づくと、メガネを飛ばす勢いで深々と頭を下げる。
「ごっ……ゴルドウルフ先生っ! 今日は先生にお願いがあってまいりました! どどど、どうか……私に……私にマッサージを教えてくださいっ!」
なぜにマッサージ……?
オッサンだけでなく、鈴なりの少女たちも首をかしげていた。
たう様よりレビューを頂きました! ありがとうございます!
グラスパリーンのお願いの真意は、次回明らかに!