90 ローンウルフ4-29
それはある日の、『のらいぬや』の店。
店員として雇われていた剣闘士、ブリッツボーイが閉店作業をしていたところ、オッサンから声をかけられた。
「お疲れ様です、ブリッツボーイさん。
このあと、時間を頂けませんか?
ちょっと、話があるのですが……」
ローンウルフといえばコロシアムに彗星のように現れ、剣闘士にとっては伝説級の逸話をいくつも残していった存在。
ブリッツボーイにとっても憧れであったのだが、
「すいません、ローンウルフさん。
せっかくなんですけど、明日は俺にとって大事な試合があって、これからその最終調整をしなくちゃいけないんです」
「その最終調整に、私も同行していいですか?
話というのは、その明日の試合についてなんです」
「えっ、俺の試合についてですか?」
ブリッツボーイはてっきり飲みへの誘いかと思っていたのだが、ローンウルフから予想外の提案をされて困惑する。
しかし試合に関する話であれば別であると、ローンウルフの誘いを承諾した。
それからふたりは店を出て、コロシアムの練習場に場所を移す。
「ブリッツボーイさん、明日の対戦相手は神尖組の戦勇者、サテュロスさんですよね?」
「ええ、サテュロスは見た目はいいし剣の腕もある。
今、コロシアムは女性客が増えていて、ヤツはいちばん人気の勇者です。
だから勝てば、俺の名も一気にハクがつきます。
それ以上に、サテュロスは欲望のカタマリみたいなヤツで、女とみれば見境がない最低のヤツでもあります。
俺のファンだった子にも、ヤツは手を出そうとしている……。
だからなんとしても、明日は負けるわけにはいかないんです!」
「武器はなんですか?」
「ヤツの得意武器であるナイフです。
ナイフを使った試合では、ヤツは一度も負けたことがない……。
でも俺は、やってみせますよ!」
「では、ひとつだけアドバイスをさせてください。
サテュロスさんの得意技は、ナイフを逆手に握っての振り下ろし攻撃……。
通称『アイスピック・ブレード』と呼ばれるものですが、この技が来たときは……」
「わかっていますよ、後ろに下がればいいんでしょう?
基本中の基本じゃないですか」
「いえ、あの技は後ろに逃げるとさらなる追撃が来ます。
ですので、ナイフに向かって突っ込んでいってください」
「えっ!? 振り下ろされたナイフに突っ込むだなんて、そんな……!?」
「では、実際にやってみましょうか」
その日、ふたりは夜遅くまで、サテュロスの『アイスピック・ブレード』対策を練習した。
そして次の日。
女性客の歓声を一身に浴びながらが戦うサテュロスは、いままで多くの剣闘士を葬ってきた、必殺の『アイスピック・ブレード』をドヤ顔で放つ。
対戦相手のブリッツボーイは後ろに引くも、大きく踏み込んだ追撃でバッサリと斬られる……と妄想しながら。
しかしブリッツボーイは予想に反し、体当たりにするように突っ込んできたのだ。
振り下ろされたナイフの下に潜り込む、クロスした両手でナイフではなく、ナイフを持った腕を受け止める。
サテュロスが、「なにっ!?」と思う間もなく、
……ズドォォォォォォォーーーーーーーーーンッ!!
強力なヒザ蹴りが、股間に埋没していた。
「うっ……うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
断末魔の悲鳴とともにナイフを落とし、サテュロスはのたうち回っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それからというもの、コロシアムの勇者たちはみな、連戦連敗が続いた。
勇者たちの得意技にあわせ、定石を外した強力なカウンターを仕掛けてきて、一撃で勝負を決められてしまう。
大勢の客が見ているなかで情けなく崩れ落ち、中には痛さのあまり泣き叫んでしまう者まで現れた。
今までコロシアムの勇者というのは別格扱いで、剣闘士を相手に鉄板の強さを誇っていた。
なぜならば、剣闘士は興業主から与えられた安い装備で戦うしかないのだが、勇者側は自由に装備を選ぶことができたからだ。
そのため勇者対勇者の試合ならともかく、勇者対剣闘士の試合ではオッズが成り立たないほどであった。
勇者と剣闘士の試合では、剣闘士側が何秒持つか、というのが賭けの対象となっていた。
しかしついに、その勇者一強の時代が破られたのだ。
それは剣闘士たちの技量が向上したからというのが専らであったが、そこにはひとりのオッサントレーナーがいたことを知る者はいない。
そして、コロシアムの勇者たちが勝てなくなると、どうなったかというと……。
例のゴキブリ一過のゴージャスマートに、ゴキブリたちが再襲来っ……!
「おいっ、ふざけんなよ、サテュロスっ!」
「お前のせいで俺の財産がスッカラカンになっちまったじゃねぇか!」
「しかも一発で負けやがって! なにがコロシアム勇者だ!」
「てめぇみてぇな弱っちいの、俺たちでも勝てるぜ!」
もはや勇者が悪事を咎めても、ゴキブリたちは聞かなくなってしまった。
当然、女性客たちも潮が引くようにいなくなる。
「今日の試合のサテュロス様、見た?」
「うん、一発で負けて、超カッコ悪かったよねぇ!」
「しかも股間を押えてわんわん泣いてたよ!」
「それに比べて対戦相手のブリッツボーイさん、カッコよかったよねぇ!」
「うん、あのナイフ攻撃を怖れもせずに突っ込んでいったときは、びっくりしちゃった!」
「ほんとに稲妻みたいな速さだったよね!」
「ねぇねぇ、そのブリッツボーイさんが店員をやってるお店があるんですって!」
「本当に!? 行ってみようよ!」
コロシアムでの剣闘士たちの『勇者狩り』。
これによって、ゴージャスマートと『のらいぬや』の店の立場は再び逆転する。
しかも、予想だにしなかったことが起こった。
このセブンルクスにおいて『ゴージャスマート』の稼ぎ頭であった店舗の売り上げが、半分以下に落ち込んだのだ。
その店の名は……。
『ゴージャスマート コロシアム店』……!





