87 ローンウルフ4-26
バクラプシーが仕掛けたのは、チンピラどもを雇い、『のらいぬや』の店付近にたむろさせるという嫌がらせ作戦であった。
これは例えるなら、隣のアパートの住人を追い出したいがために、大量のゴキブリを送り込むようなものである。
家のなかにゴキブリが出た場合、あなたはどうするだろうか?
殺虫剤で抗戦したり、悲鳴をあげたて逃げ惑ったり、いろいろとあるだろう。
しかしどんなリアクションであれ、心情としては絶対的に共通しているであろう。
それは、
さっさと、出て行ってくれ……!
の一点に尽きるのではなかろうか。
この『ゴキブリによる隣人追いだし作戦』は、バンクラプシーの得意技であった。
たとえ害のないゴキブリが仮にいたとしても、人間というのはゴキブリがそこにいるだけで不快感を覚え、なにかせずにはいられなくなる。
その心理を突いた、巧妙な作戦であった。
ゴキブリどもは比喩的なものであって、本来は人間である。
そのため、この作戦を仕掛けられた個人商店側が、チンピラに向かって実力行使という名の殺虫剤でも吹きかけようものなら最後。
衛兵がまっさきにやってきて、制裁するであろう。
本来は被害者であるはずの、個人商店を……!
この理不尽極まりない作戦で、バンクラプシーは『潰し屋』の名を欲しいままにしてきた。
これを仕掛けられた個人商店は、ゴキブリを追い出そうとして自分が追い出されるという皮肉な目に遭うのだ。
そして『のらいぬや』も同じ途を辿るであろうと、バンクラプシーは思っていた。
当然である。
衛兵が頼りにならないうえに、店が潰れるまでチンピラたちはいなくならない以上、自分の手でなんとかするしかないからだ。
しかし『のらいぬや』は、『潰し屋』が予想もしない行動に出た。
それはなんと、
静観っ……!
そう、なにもしないっ……!
ゴキブリが食事中のテーブルの前を横切ろうが、枕元をカサカサと這い回ろうが、おかまいなし。
まるで益虫をガマンするかのように、なにもしなかったのだ……!
しかも、壁際に寝返りを打っている間に出ていってくれといった、不快感すらも表さない……!
これはもはや、飼っているも同然……!?
今度ばかりはさすがに、オーナーも万策尽きたのだと思ってしまった。
それを証拠に、店から客がいなくなるのと反比例するかのように、チンピラどもが増えていったからだ。
オーナーは悔しさを滲ませながら、オッサンに向かって言った。
「さすがのローンウルフさんも、今回ばかりはどうしようもないんですね……。
店主さんは『のらいぬや』を詐欺で訴えるって、息巻いています……」
「そろそろですよ」
「えっ、なにがですか?」
「本物の『ゴキブリ』が現れる頃ですから、新しいアルバイトを雇いましょう」
「へっ?」
それは思わずマヌケな声をあげてしまうのも無理もないほどに、意味不明な一言であった。
まず、本物のゴキブリという単語からしてさっぱり意味がわからない。
チンピラではなく、昆虫のほうのゴキブリが、これから増えるのだろうか?
どちらが増えても嫌なものだが、なぜこのタイミングで新しいアルバイトを雇うのだろうか。
今はヒマな時間のほうが多いくらい、この店には客がいないというのに……。
しかしローンウルフは「すぐにわかりますよ」と言って、新しいアルバイトたちを連れてきた。
店の店主は「もう好きにしてくれ、アンタのしたことは洗いざらい訴えるから」とやけっぱち。
アルバイトは年齢層は幅広かったが、みな屈強な男たちであった。
そして見るからに、カタギではなさそうだった。
「ろ、ローンウルフさん、この人たちは、いったい……?」
「コロシアムで知り合った剣闘士のみなさんです。見てのとおり、腕っ節は確かですよ」
オーナーが真っ先に閃いたのは、
「あっ、この人たちにお願いして、外にいる人たちを力ずくで追い払うつもりなんですか!?
そんなことをしたら、こっちが衛兵たちに捕まっちゃうんじゃ……!?」
「ええ、その通りです。いま外にいる人たちは、なにも悪いことをしていませんからね。
でもこれから、悪いことをする人たちが現れます」
「えっ……?」
「どんなに治安のいい場所でも、割れた窓を放置しておくと、どうなるかわかりますか?
そこは窓を割ってもいい場所だと思われて、どんどん治安が悪くなっていくんですよ」
そう。
ニセモノの『無害なゴキブリ』であったとしても、ゴキブリはゴキブリである。
そんな、ゴキブリたちが我が物が顔で闊歩する場所があったら、どうだろうか?
その噂を聞きつけた『本物のゴキブリ』は、どうするだろうか?
そんなことは、もはや決まっているだろう。
そんな楽園のような場所を、彼らが見逃すはずもないからだ……!
そう……!
ローンウルフは見せかけだけの世紀末だけでなく……。
本当の世紀末の訪れを、待っていたのだ……!
それまでは最低限の治安だけは保たれていたハイソな街並みが、『本物のゴキブリ』たちによって一気に悪化。
彼らはバンクラプシーに雇われたわけではないので、平気で住民にチョッカイをかけようとする。
衛兵はバンクラプシーに抱き込まれているので、可能なかぎり見て見ぬフリをしていた。
衛兵たちはホンモノのゴキブリとニセモノのゴキブリの区別などつくはずもないからだ。
街ではこんな光景がよく見られるようになった。
「ヒヒヒヒ! 姉ちゃんたち、聖女だろぉ!?」
「や、やめてくださいっ! なんですか、あなたたちは!?」
「そんなにつれなくするなって! 俺たちにも癒しをくれよぉ!」
「やめて、離して! 衛兵さん! 衛兵さーんっ!」
「助けを呼んだって無駄だぜぇ! なぜかは知らねぇけど、ここの衛兵どもは俺たちがなにをしても見て見ぬフリだからな!」
「今までは様子見だったんだが、ゴミを漁っても路上で寝ててもなにも言いやがらねぇんだよなぁ!」
「だからこうやって試しに、お嬢ちゃんたちを襲ってみることにしたんだ!」
「やっぱりここの衛兵たちは腰抜け揃いみたいだぜ! ほら、見てみろよ! あそこにいる衛兵たち!
お嬢ちゃんたちが危ない目にあってるってのに、こっちに来ようともしねぇぜ!」
「そっ……! そんなっ……!? 誰かっ!? 誰かぁーーーっ!」
「ヒヒヒヒ! 無駄だ無駄だ! 今の俺たちは無敵なんだからな!」
「そーそー! 今の俺たちに噛みつくなんて、頭のおかしい野良犬くらいのもんだぜ!」
「その野良犬が、来てやったぜ!」
「なっ、なんだテメェは!?」
「ああっ!? アンタは剣闘士の『ドッグ・マッド』!? 狂犬と呼ばれてるアンタが、なんでこんな所に!?」
「最近、この近くにある店でちょいとアルバイトをするようになったんだよ!」
「お、俺、アンタのファンなんだ! アンタ最近、コロシアムで勇者相手に連戦連勝じゃないか!」
「いいトレーナーが付いたからな! それよりもお前たち、その子を離すんだ!」
「わ、わかったよ! 狂犬のアンタとやりあうつもりはねぇ!」
「よし、じゃあ今回だけは見逃してやる!
だがこのあたりで悪さをしたら、次こそは首根っこを喰いちぎってやる! いいなっ!?」
「はっ、はいいいーーーっ!」





