66 ローンウルフ4-5
ローンウルフが取り出したのは、折りたたまれた紙片。
それを拡げると、大きな地図になった。
オーナーは「その地図は……?」と覗き込む。
ローンウルフは答えた。
「この『のらいぬや』を中心とした地図です。真ん中を見てください」
地図の真ん中には、黒い丸で『のらいぬや』とあり、その近くには赤い丸で『ビサビ』とある。
またそれらふたつの丸は、ひとつの大きな丸のなかにあった。
「この大きな丸は、『のらいぬや』を中心として、30キロ圏内を囲んだものです。これが、我々の『ナワバリ』です」
「ナワバリ……?」
「はい。この圏内であれば、早馬であれば1時間以内、重い積荷の馬車でも2時間で向かうことができます。この意味がわかりますか?」
「えっと……契約店舗に問題があったときに、すぐに駆けつけることができるということですか?」
「そうです。お客様の需要というのは日々変化しています。
昨日まで通用していた商法が、今日いきなり通用しなくなってしまうこともあるのです。
そうなってしまうと、契約者である店の主人は私たちを必要とします。
いち早く駆けつけ、問題を解決することが、これからの私たちには必要となるでしょう」
「でも……そこまで急ぐ必要があるんですか? 問題があったら、毎日の定期巡回のときに伺えば……」
「いえ、それでは遅いのですよ。今は定期巡回の対応だけで大丈夫ですが、それだと手遅れになる事例がこれから出てくるでしょう」
そう言われても、オーナーはピンと来ていなかった。
無理もないだろう。
インターネットの発達した現代社会ならともかく、馬で移動し、手紙をやりとりするようなこの世界においては、『スピード感』の有効性というのはイメージしにくい。
しかしローンウルフは商売において、常日頃から『スピード感』を意識するようにしていた。
それでも『1時間で問題の現場に駆けつける』というほど過剰なものではなかった。
彼が、『スピード狂』とも呼べるほどの速度感にこだわるようになるったのは、ある一件からであった。
それは……。
『勇者ジェノサイドファングの、クレーム爆撃』……!
これは、『スラムドッグマート』の新商品であるポーションを飲んだら、肌がまだら色になったというデマを広められそうになった時の話である。
あの時は、マザー・リインカーネーションが来てくれたおかげで最悪の事態にならずに済んだが、マザーが来るのがあとほんの少しでも遅れていたら、大惨事になっていたことだろう。
危うく、それまで『スラムドッグマート』がコツコツと積みあげてきた信頼を、一瞬にしてダメにされるところであった
たとえウソで塗り固められた不祥事だったとしても、『顧客の信頼』という名のトランプタワーは崩れ去る。
そしていちど崩れ去った信頼は、そう簡単に元に戻ることはない。
この一件から、ローンウルフはトラブルに対していちはやく対処する方法を考えるようになった。
そこから考えだされたのがこの『ナワバリ』システムである。
オーナーはしばらく考え込んだあと、ぽん、と手を打ち合わせた。
「あっ、もしかして、街の衛兵のような役割ですか? 事件があったら、いちはやく現場に駆けつけるような……」
「そうですね。イメージとしてはそんな感じです」
「でも、強盗とかを退治するわけじゃなくて、店舗トラブルですよね? 強盗以外でお店に悪さをするような人が、そうそういるとは思えないんですが……」
するとローンウルフは、フッと困り笑顔を浮かべた。
「いえ、それがいるんですよ。それも、もうすぐ手を出してきそうな輩たちが、ね……」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから数週間ほどかけて、『のらいぬや』は多くの契約店を獲得するに至っていた。
ローンウルフひとりだった従業員は10名以上にも増え、事務所も増やしていき、『ナワバリ』を着実に拡大していく。
すると、ローンウルフの予想どおり、輩たちが動き出す。
そこは、『ゴージャスマート エヴァンタイユ諸国本部』。
いつもであればここの『本部長室』にスポットが当てられるが、今回は違う。
その本部長室の下にある、『副部長室』。
その部屋は独特なつくりをしており、右と左でふたつに分かれていた。
窓も書斎机もなにもかもふたつで、それぞれに身なりのいい男が座っている。
中央には、板挟みになるように、ひとりの部下らしき男がいた。
朝日が差し込む方角にある、男が言った。
「そうですか。特定地域の売り上げが減少続きな理由は、まだわかっていないと」
部下は震えながら答える。
「はっ、はい! 目下全力で、調査中でありまして……!」
「そうですか。いずれにしても私はノータッチですね。これはすべて『運営』のバンクラプシーさんの責任なんですから」
すると日陰の方角から、弾けるような笑い声がした。
「うっひゃっひゃっひゃっ! 果たしてそうかなぁ!? あんがい自然に目減りしちゃったんじゃないの!?」
「知りませんよ。私はノータッチなんですから。それを調べて対処するのが、運営副部長のあなたの仕事でしょう」
「うっひゃっひゃっひゃっ! わかってるって! でもノータッチちゃんのほうでも、『開拓』でバックアップしてくれてもいいんじゃない? 新しい店舗が増えれば、減った売上をカバーできるんだからさぁ!」
ノータッチ・ゴージャスティスと、バンクラプシー・ゴージャスティス。
このふたりこそが、『エヴァンタイユ諸国』の大国副部長であった。
通常、大国副部長ともなると、各国1名というのが普通である。
しかしこの『エヴァンタイユ諸国』については2名制であった。
理由はふたつ。
彼らの管轄はセブンルクス王国だけではなく、エヴァンタイユ諸国全体という、大規模なものであったから。
そしてもうひとつは、彼らの上司にあたる、大国本部長の存在。
そう、ボンクラーノのことである。
ボンクラーノはもはや言うまでもないが、どうしようもないボンクラである。
そんなボンクラをサポートさせるために、ボンクラの父であるブタフトッタが2名制にしていたのだ。
そしてブタフトッタは、ノータッチとバンクラプシーに厳命していた。
「何としてもセブンルクス王国だけは、野良犬の手から死守せよ」と……!
ブタフトッタとしては、小国4国を失ったとしても、大国さえ維持できていれば、勇者組織としての対面は保てる。
小国のほうはボンクラーノのオモチャとして使い、飽きたあとは野良犬にくれてやっても構わないとすら思っていた。
そのため小国については、バンクラプシーとノータッチはボンクラーノのやり方には一切口を出さず、ボンクラーノの取り巻きたちにすべてを任せてきた。
取り巻きというのは、シュル・ボンコスとフォンティーヌとステンテッドのことである。
バンクラプシーとノータッチの主な業務といえば、もっぱらセブンルクス国内の事に関してのみ。
そもそもセブンルクスは『勇者の国』と呼ばれているだけあって、野良犬一匹入り込めない盤石な体制が敷かれている。
だからこそボンクラーノもオモチャとしての興味を示さなかった。
バンクラプシーとノータッチも、この国のゴージャスマートは国を挙げて守られているようなものなので、特にやることはなかった。
社員がものすごく優秀な会社の社長のように、出勤しても一日座っているだけの、気楽な勇者人生を送れていたのだが……。
ここにきて、ほんの僅かなヒビ割れに気付いたのである。





