60 オッサンの願い2
ロウソクに囲まれた空間のなかで、てきぱきと儀式の準備を進めるオッサン。
彼が床に魔法陣を描いている間、その中央で、組長はずっと考え込んでいた。
しかしふと、何かを思い立ったように顔をあげると、
「ふたりで力を合わせれば、生きて出られるのでは……!? 煉獄の下層は10秒と生きられないと聞いたことがあるが、俺はまだ生きている! 俺も少しは腕に自信があるから、その気になれば……!」
するとオッサンは、組長の顔を見もせずに答えた。
「いえ。あなたがまだ生きているのは、私がここを安全な空間にしたからです。私はここで『日輪の儀式』をするために、一帯の罠をすべて解除し、モンスターが入ってこられないように結界を張りました。もしあなたが結界の外に出たら、たとえ剣聖と呼ばれるほどの腕前があったとしても、10秒と持たないでしょう」
「そ、そうなのか……!?」
「はい。それに結界はあまり長く持ちません。もう少ししたら結界が破られて、多くのモンスターがなだれこんでくるでしょう。ですからその前に儀式を終わらせて、あなたを地上に還します」
「そ、そのあとお前はどうするんだ?」
するとオッサンは、魔法陣を描いていたチョークを置いて、組長の前に立つ。
「逃げます」と短く答えた。
「準備が整いました。さきほど渡した宝石をしっかりと握りしめていてください」
しかし組長が握りしめたのは、オッサンの手であった。
「あ……ありがとう! この恩は、一生忘れない! 俺が地上に戻ったら、絶対に『ジン・ギルド』の組長になる! そして、お前……いや、あなたの名前を、『ジン・ギルド』の救世主として、永遠に語り継ぎます!」
「それよりも、ひとつお願いを聞いてもらえますか?」
「何ですか!? 俺にできることだったら、なんでも!」
「ステンテッドさんという、ガンクプフルのゴージャスマートにいる店員をご存じでしょう?」
「ええ、知っています。俺たち『ジン・ギルド』にチョッカイを掛けてきたヤツですね。『ジン・ギルド』はカタギのヤツには手を出しませんが、ヤツは俺たちにチョッカイを出してきたんです。だから今、さんざん脅して金を絞り取ってるところです」
「そのステンテッドさんを、許してあげてほしいんです」
「なんですって!? ヤツが俺たちにどんなことをしたか、知ってるんですか!?」
「ええ、知っています。ステンテッドさんに沽券を傷つけられ、あなたたちはとても怒っているのでしょう。でもそこをなんとか、納めてほしいのです」
「わ、わかりました……! でもなんであんなヤツのために、あなたほどの人間が……!?」
「ステンテッドさんは自分の職務に夢中になるあまり、我を突き通そうとするところがあります。それが良いところでもあり、悪いところでもあるんです。今回はそれが、とても悪い方向に働いてしまっただけなのです」
オッサンは「それに……」と言葉を続けようとしたが、急に言い淀んだ。
少し悩むような素振りを見せたものの、
「それにステンテッドさんには、奥さんと子供がいます。奥さんはかつて、ゴージャスマートで働いていた同僚で、私もよく知っている人です。なので、悲しむ姿を見たくないのですよ」
「わ……わかりました! ステンテッドからは手を引きます!」
「それと、ステンテッドさんには私のことを……。いえ、多くの人には私のことを内緒にしておいたほうがいいかもしれませんね」
「えっ、なぜですか?」
「あなたは組の度胸だめしのために、この『煉獄』に来たのでしょう? 私に助けられて脱出したことがバレたら、ライバルの若頭さんから、さらなるムチャを要求されるかもしれません。あくまで、自力で脱出したことにしておいたほうが、牽制にもなっていいでしょう」
オッサンはまたしても「それに……」と言葉をさまよわせたあと、
「私の力を借りて『煉獄』を脱出したと知ったら、ステンテッドさんはそれをネタにして、あなたを脅すと思いますので」
ふたりの足元から、光の筋がたちのぼってくる。
魔法陣の輝きはどんどん強くなっていき、ふたりを包み込んだ。
「そろそろ『日輪の儀式』の効果が発動します。もう会うこともないかもしれませんが、お元気で」
それは今生の別れといってもよいはずなのに、オッサンは穏やかであった。
オッサンの男気あふれる言動に、組長の瞳から、それまでずっとこらえていた涙が滝のようにあふれる。
「あ、あなたみたいな男は、初めてです……! さ、最後に、あなたの名前を……! あなたの名前を教えてくださいっ!」
路地裏の野良犬のようなオッサンから告げられたのは、まさに野良犬のような名であった。
「わ、忘れません……! この恩は、一生……! 俺の生涯で唯一、あなたは……『兄貴』と呼べるお人だ……!」
白く飛んでいく視界の中で、組長は叫んだ。
「俺は決めましたっ! 俺が『ジン・ギルド』の組長になったら、組をでかくして、ぜったいに兄貴を助けに、ここに戻ってきますっ! だからそれまでは生きていてくださいっ、兄貴っ! 兄貴っ! 兄貴っ!!!」
……しゅぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!!
「ゴルドウルフの兄貴ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
組長が手を伸ばすと、そこは……。
太陽が照りつける、草原だった。
目の前には、何事もなかったかのように静かに佇む、『煉獄』の入り口が。
手にしていた秘宝はボロボロと崩れ去り、風にまぎれて消えていく。
組長はすぐさま走り出した。
その表情は、大切な兄貴を殺された子分のように、憎悪に満ちていた。
自分を罠にハメた、ライバル若頭の組に、剣一本だけで乗り込んでいき……。
腐った枝葉を切り落とすように、皆殺しにしたという。
そして彼は組長となり、約束どおり、ステンテッドから手を引いた。
ステンテッドの妻と子供は、『ジン・ギルド』から脅迫され、眠れぬ夜を過ごしていたので胸をなでおろす。
ステンテッドは、『ジン・ギルド』のヤツらは自分に恐れをなしたのだと、周囲に吹聴してまわっていた。





