34 1巻発売記念番外編 旋風と太陽14
インキチは想像していた。
微笑みも慈愛もかなぐり捨て、ガラスにヤモリのようにへばりついて泣き喚く、大聖女の姿を。
ふたつのスイッチの前で、生きたまま生皮を剥がされるように苦悶に悶えする、聖少女の姿を。
この世に生まれてきたことを後悔するほどの、震懼と懊悩が、姉妹を支配しているはずなのに……!
しかし、無かった……!
そこにあったのは……真逆……!
のんき全開っ……!
ボーダーシャツの男を、わざわざ探す必要もないまでの……。
悩み無用っ……!
まず、ガラス部屋の中にいるマザーは、
「あらあら、まあまあ! はじめまして、わたしがママよ! その恰好はなんでちゅか? お祭り? みんなとってもかわいいでちゅよぉ、髪の毛もとっても綺麗でちゅねぇ! トリック・オア・トリートメント? あめちゃん食べる? いたずらしてくれなきゃ、いたずらしちゃいまちゅよぉ~!」
なんと死神たちに恐れおののくどころか、ハロウィンに家にやってきた子供を迎え入れるように、抱きしめる始末……!
困惑する死神たちの頭をナデナデ、頬をスリスリ、ギュッと抱きしめる。
どこからともなく取り出した七色の飴玉を、少女たちに景気よく振る舞っていた。
地獄どころか天国の百合園のような、微笑ましい光景。
そして、ガラス部屋の外にいるプリムラは、
「こうきたら、こう……! こうきたら、こうっ……!」
真剣な顔つきで、ボタンを押していた。
真面目な彼女は、空き時間にボタンを押す練習をしていたのだ。
ボタンを押すのにどうもこうもないのだが、それ自体はまあ別にいい。
しかし、彼女が向かっているボタンが大問題であった。
彼女が専心しているボタンには、こう書かれている。
『勇者』と……!
そう……!
もはや彼女は、選ぶ気などゼロ……!
どんなカードを引こうとも、すべての試練を勇者になすりつけるつもりでいたのだ……!
観客席にいる勇者たちが悲鳴をあげていたのは、ゲーム開始前だというのに、彼女が勇者のボタンを押し続けているからであった。
これを、トロッコ問題に例えてみると、
左側の線路には、レールに縛り付けられた勇者が100人。
右側の線路には、レールに縛り付けられたマザーがひとり。
その手前にある分岐点に、プリムラは立っているのだが……。
プリムラは悩むどころかノータイムで、
……ガシャァァァァーーーーーーーーーーーーンッ!!
分岐点のレバーを、勇者側に倒したも同然……!
しかも、まだゲームは始まっていない状況においてである。
これは、まだ列車の姿が見えてもいないのに、轢き殺す気マンマンと言ってもいい。
それどころかボタンを押す練習をするプリムラの瞳には、揺るぎない信念のようなものを感じさせた。
さながら、倒したレバーを針金でグルグル巻きにして、絶対にマザー側には倒れないようにするような……。
むしろ絶対に殺すとばかりに、路線に油を撒いて、火を付けるような……。
強固なる、絶対意思……!
これはもはや、出題者に対する挑戦のような行為といっていいだろう。
そして出題者であるインキチにとっては、思いも寄らぬ反撃であった。
彼女はVIPルームで人知れず、歯をギリギリと食いしばる。
「ぐぎぎぎっっ……! まさかおホーリードール家のお方々が、ここまで躊躇なく、お勇者様を犠牲になさるとは、想定外でございました……!」
しかしこれはあくまで、想定していた仕掛けのほんの一部が空振りに終わっただけである。
フルコースで例えるなら、食前酒くらいの絶望を、味わい損ねたにすぎない。
ゲームの利は、いまだ彼女にある。
「しかしその余裕が、お命取りになることに、お気づきになっていない様子でございます……! お勇者様を犠牲にしあそばされたおあとは、貴女方をお支えしてきたお勇者様たちは、みな愛想を尽くしてしまうのですから……!」
そう。ホーリードール家が勇者を犠牲にすることに、ためらいが無いほど……。
試練をなすりつけられた勇者たちの反感は、より大きいものとなる。
もはやホーリードール家は、この惑星から消え去ったも同然であった。
インキチは深紅の唇を、ニタァと歪める。
「おホーリードール家よ……! 後悔なさるのでございます……! 貴女方の栄華も、おもはやこれにておしまいでございます……!」
彼女は執事役の美青年に、ゲーム開始を命じた。
ステージ上の司会者は、もうプリムラが勇者ボタンを連打していたので、戸惑っていたのだが、半ばヤケ気味にスタートを宣言する。
『そっ……それじゃあいよいよ、最終ゲームのはじまりじゃぁぁぁぁぁぁーーーーーんっ!! プリムラ様はどちらに試練を下すのか、リインカーネーション様は試練に耐えきれるのかっ!? ジャンジャン、バリバリィィィーーーーッ!!』
もはや選択とは呼べぬほどの、一方通行の試練が、いま始まる。
いままでのこのゲームは、『聖女にとっての地獄』と呼ぶに相応しいものだった。
本来は、ホーリードール家の姉妹にとっても同じような苦しみになるはずであったのだが……。
地獄の釜蓋を開けてみたら、それは……。
『勇者にとっての地獄』っ……!!
『さっ……最初の試練は「氷結魔法」じゃぁーーーーーんっ!!』
プリムラはまだ練習のように、一心不乱に勇者側のボタンを押し続けている。
勇者像があるガラス部屋のランプが点灯。
死神の少女たちが一斉に、氷結魔法を唱えはじめる。
少女たちの手からブリザードのような吹雪が放たれ、勇者像のなかに吸い込まれた途端、
「ひっ……!? ひやぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
2階客席が雪山のような極寒に覆われ、あちこちで悲鳴が巻き起こる。
「さっ……寒い! 寒いぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「うわああっ!? こごえるっ! 凍えちまうよぉっ!?」
勇者たちは椅子の上に縛りつけられたように、座ったまま身悶えする。
急に低温になったので、尻が椅子の座面に張り付いてしまったのだ。
一気に老けてしまったかのように髪も顔も真っ白。
ツララのような鼻水を垂らし、手足は凍瘡となって赤く膨れ上がっていた。





