15 愛の泉
フォンティーヌはバーンナップを引きつれ、キリーランドの商店街に向かって歩いていた。
通常、名のある聖女というのは、特に大聖女ともいわれる人物ともなると、庶民の生活の場にはほとんど立ち入ることはない。
商店街などは、近づくどころか馬車で通り過ぎるくらいである。
その理由はふたつあって、まずひとつ目は、庶民の生活の象徴である商店街など穢らわしいと思っているから。
そしてふたつ目は、大聖女が商店街を訪問するとなると、必然的にその地の権力者が案内したがり、受け入れ体勢も万全に整えようとする。
さらに大聖女というのは多くの警護がついているので、どうしても商店街の日常を邪魔してしまうからだ。
この世界の多くの大聖女は前者の理由から、リインカーネーションなどの『変わり者大聖女』は後者の理由から、商店街からはもっとも縁遠い存在とされていた。
しかしここに、さらに変わり者の大聖女が。
フォンティーヌがたったひとりのお供とともに、商店街に姿を現すと、それだけで近くの露店から人が出てきた。
「フォンティーヌ様、ご無沙汰しております! 今日はお散歩ですか?」
八百屋の主人から声をかけられる。
するとフォンティーヌは、フフンと鼻で笑って。
「ええ、最近は忙しかったので、この商店街からも足が遠のいていたのですが、ひさびさに来てさしあげましたわ。しっかり働くのですよ」
「はい、フォンティーヌ様!」
「ところで、お子さんはお元気かしら?」
「ええ! 馬車に轢かれたときはどうなるかと思いましたが、フォンティーヌ様のおかげで今はすっかり元気になってます! 大きくなったらフォンティーヌ様みたいな聖女様になるって言ってるんですよ!」
「ふん、このわたくしなろうなど、身の程しらずにもほどがありますわ。でも、夢を見るのは結構ですわね。もう少し大きくなったら、このわたくしの所に寄越しなさい。面倒を見てさしあげますわ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
庶民と接するフォンティーヌの口調と態度は、並の大聖女以上に尊大であるといえた。
しかし十把一絡げの彼女たちと大きく違っているところが、ふたつあった。
ひとつめは、相手が王族であれ貴族であれ庶民であれ、誰に対しても同じ態度を貫いていたこと。
ふたつめは、根底には『愛』があったこと。
この商店街の人たちは当初、フォンティーヌのことを他の大聖女と同じように『嫌な女』だと思っていた。
ホーリードール三姉妹のような、庶民のことも気に掛けてくださる聖女様など、他には存在しないと思っていた。
しかし……フォンティーヌの『愛』に接するにつれ、その考えも変わっていく。
今ではこうして、商店街を歩けば数メートルおきに呼び止められるほどの人気者となっていたのだ。
フォンティーヌは肉屋の主人と、ステーキの最高の焼き加減について話していた。
それが終わって彼女は再び歩きだそうとしたのだが、ふと、お供のバーンナップが果物屋を凝視していることに気付く。
「ご主人、こちらのリンゴをふたつ頂きますわ」
「あっ、フォンティーヌ様、ありがとうございます! そのままお持ちください!」
「いえ、お金はお支払いいたしますわ。庶民に施しをしていただくほど、わたくしは落ちぶれてはいませんの。どうしても施しがしたければ、ご夫人に花のひとつでも送ってさしあげるのです。来週は結婚記念日なのでしょう?」
「ひえっ!? す、すっかり忘れてたぁ! しかしフォンティーヌ様、どうしてそれを!?」
「さっきお会いしたのです。ご婦人がおっしゃっていましたわよ、『うちの宿六は、こんないい女が近くにいるってのに、他の女にばかり色目を使ってさ!』と。ご主人、『愛は低きに流れる』という言葉をご存じでして?」
「は、はぁ……。フォンティーヌ様がよくおっしゃっている言葉ですよね?」
「その通り。愛というのは泉のように生まれ、川のように流れるもの。そして川というのは近くから遠くへと流れていくものですわ。いきなり隣の川へと流れることはできないのです。愛の正しい流れというのも、近くにいる人間からなのです。近くにいる人間が愛せなくて、遠くにいる人間を愛することなどできませんわよ」
「は……はいっ! これからは母ちゃんを、もっと大事にしますっ!」
「うむ、よろしい」
フォンティーヌはこうして、庶民にもわかりやすく愛を説いていた。
彼女は、今までは派手なパフォーマンスで愛を喧伝していたので、そっちの印象のほうが強いのだが……。
実はこうした地道な活動も行なっていたのだ。
そしてそれは『説教』などと煙たがられることなく、しっかりと庶民の心に根付きつつあった。
なぜならば、彼女は口だけではなかったから。
フォンティーヌは、果物屋の主人に言ったそばから『近くにいる人間を愛す』を実践。
買ったばかりのリンゴのひとつを、お供の少女に手渡していた。
「バーンナップ、あなたはずっとこのリンゴを見ておりましたわね。食べたかったのでしょう?」
「い……いえ、フォンティーヌ様、私は別に……」
「嘘おっしゃい。リンゴ食べたさのあまり、頬がいつも以上にリンゴのようになっておりますわ。つまらなガマンなどやめて、素直になるのですわ」
熟れたリンゴのように色づいた頬を指摘され、さらにポッと紅潮させてしまうリンゴの騎士。
しかしまだ逡巡していると、目の前で信じられない事がおこる。
……シャリッ!
フォンティーヌはなんと、手にしていたもうひとつのリンゴを、いきなり丸かじりしたのだ……!
「ふぉ……フォンティーヌ様……!?」
これにはバーンナップばかりか果物屋の主人、道行く人々まで立ち止まり、目を剥いた。
無理もない。
買ったばかりのリンゴを剥きもせずに、しかも立ったまま食べるなどとは、お嬢様としても聖女としてもありえない行動だからだ。
完全に、庶民っ……!
しかし当のフォンティーヌはまわりの目などまるで気にする様子もない。
シャリシャリといい音で咀嚼し、ゴックンと喉を鳴らしたあと、
「……うむ、とっても美味ですわ! こうやって丸かじりするリンゴも、悪くないですわね! さぁ、早くあなたもお食べなさい!」
リンゴの花が咲き乱れるように笑った。
高飛車なのに、なぜか人なつこさを感じさせる笑顔。
そしてこの言動一致こそが、彼女の大いなる魅力のひとつであった。
だからこそ彼女の語る愛は、多くの者の心に根付く。
雑草のような強さと、バラのような美しさを兼ね備えた、草の根として。
お嬢様はリンゴを片手に歩き出す。
その後ろには、大切な人からもらった宝石のように、リンゴを両手でしっかりと抱えてしゃりしゃりするバーンナップが。
ふたりはお嬢様と従者というよりも、まるで仲良し姉妹のよう。
街の人たちはそれを見て、誰もがほっこりとするのであった。
 





