10 奇跡?
グラスパリーンは、心の中で自分を鼓舞するように、何度も何度も思い返していた。
教員試験の時に、ゴルドウルフが教えてくれたことを。
ゴルドウルフ先生は、私が挫けそうになったとき、いつも言っていた……。
大切なものがあるなら、どんな時でも、絶対にあきらめないことだ、って……。
足掻いて……足掻いて足掻いて、足掻きまくれ、って……。
野良犬みたいに、みっともなくジタバタもがいて……のたうちまわって……。
精魂尽き果てるその瞬間まで……足掻いて足掻いて、どこまでも足掻きまくれ、って……!
だから……私、足掻くっ! 子供たちを守るためなら、人目なんか気にするもんか……!
プライドどころか、命だって惜しくない……!
絶対に……絶対にみんなの笑顔を取り戻すんだ……!
こうなったら、対戦相手の聖女たちになにがなんでも治してもらおうと、決意とともにスライディング土下座を決行するグラスパリーン。
「お願いします! 子供たちに祈りをください! 私にできることでしたらなんでもしますから! お金だってなんだって差し上げます! 一生言うことを聞けと言うのなら、一生聞きます! この子たちには夢が……将来があるんです! 私の一生なんて比べ物にならないくらい、素敵な未来が……! ですから、ですからお願いです! この子たちを治して……治してくださいいいっ!!」
額をこすりつけていると、リーダーらしき聖女がしゃがみこんだ。
肩に手を当て、面をあげるよう促し……目線を合わせた笑顔で、こう耳打ちした。
「下級職小学校の生徒たちに、未来なんてないと思いますけど……でも、先生の情熱に負けました。喜んで、祈りを捧げさせていただきます。ただしその前に……ここで犬のモノマネをしてくださいますか? 私、お間抜けな犬が好きなので。もちろん、本気のやつ……このコート全面を使った全力のやつを、ね」
そう、そうなのだ……。
公ではなく、こっそりと取引をもちかけるフリをする……。
それが勇者一族と、それにまつわる者たちのやり方なのだ……!
ここで女教師が犬のモノマネを披露したところで、対価が支払われることはない。
「この先生、ついにおかしくなった」と狂人の扱いをして、せせら笑うのみ……!
そこで相手が逆上したら、なおよし……!
神聖なるコートで犬のマネをしたうえに、聖女に襲いかかったとなると、もはや役満……!
無恥、乱暴、異常の大三元が成立……!
『勇者教育委員会』から渡された点棒には、『懲戒免職』の四文字が彫り込まれているに違いない……!
しかし純粋すぎるグラスパリーンは、そんな人生のハコテンが待っていようとはつゆほども思っていない。
「は……はいっ! やります! 犬のマネ……やります!」
土下座から、何のためらいもなく四つん這いに移行する。
教師としてのプライドどころか、人間としてのプライドすら惜しまない、真剣な表情で。
そして、道化になった合図として、ひと鳴き……!
「……わおーんっ!」
しかしその声は、その場にいる誰もが予想しない声音で……まったく別の場所からした。
「わんわん! わんわーんっ! わんちゃんごっこ、楽しそうでちゅねー! ママも一緒に入れてくだちゃーいっ!」
突如としてコートに飛び入り参加してきた、量感あふれる人物に……しんと静まり返る会場。
彼女は来たばかりだというのに、我が家のように振る舞っている。
「まあまあ、みんな、怪我してるんでちゅか? いたいでちゅね~! でも大丈夫! いたくない、いたくなーい……いたいのいたいの、とんでけーっ!」
「いたいのいたいの、とんでいけ」……。
それは祈りとはとても呼べない、悪ふざけのような一言だった。
しかし、花畑で花びらを撒き散らすように、両手を掲げた瞬間。
……パァァァァァァァ……!
彼女を中心に虹色の光が広がり、本当にコートじゅうに花が咲き乱れたように見えた。
すると生死の境をさまよっていた5人の少年少女たちは、昼寝から覚めたようにひょっこりと起き上がったのだ……!
「あらあら、ちゃんと起っきして、みんな偉いでちゅねー! ママ嬉しい!」
キョトンとしている彼らを、一人づつ抱きしめていく。
顔に無限の弾力をむにゅうと押し当てられ、子供たちはトリモチを受けた小鳥のようにバタバタと暴れた。
それを元気の証のように受け取り、頬ずりする謎の豊乳少女。
いや、謎というよりも……この場にいる誰もが知っているほどの、超有名人。
「まっ……!? ままままままま、マザー・リインカネーション様っ!?!?」
聖女たちにとっては神様にも等しい存在に、会場にいる白いローブの者たちは一斉にひれ伏した。
相手チームにいた聖女たちは、今更ながらに己の犯した罪を悔いる始末。
……剣術大会をはじめとする各種イベントには、マザーに招待状が送られる。
しかしそれは、あくまで賓客として……しかも、VIP中のVIPとしてである。
2階客席の一番いい席にいなくてはならない存在。
本来ならばコートにいること自体がありえないのである。
しかも、いつもならばリインカーネーションは招待されても「アルバイトがあるの」と断わっていたのだが、今回だけは違っていた。
いざという時のために、ゴルドウルフによってチームメンバーとして招集されていたのだ。
そう……!
彼女はふたりの勇者の連名で送られた、プラチナチケットは愛想笑いで断っていたのに……!
ただのオッサンからなされた、役不足ともいえる依頼には、プロポーズを受けたかのように舞い上がっていたのだ……!
「あらあら、まあまあ……! 嬉しい……! ゴルちゃんが、ママを頼ってくれるだなんて……! もちろん行くわ! ママ、ゴルちゃんのためだったら、月の裏側にだって行っちゃう!」
午前中の聖務を終えた彼女は、いつもなら『スラムドッグマート』に向かうのだが、今日だけは行き先が異なる。
大きな胸に振り回されるほどに急いで、この会場に飛び込んできたのだ。
それは予想外のサプライズゲストとして、皆の口をあんぐりさせるほどに驚かせていた。
現に、天上界のガラスの向こうでは、顎が外れて戻らなくなった2人組が。
「あががががががが……!? あぎえねえ……! あぎえねえって……! なんれまざーが……! まざーがくるんらよっ……!? おれらの招待を、ことわっといて……! なんれらよっ……!?」
「ぬおん! ぬおん! ぬおおおおおおおおおおおーーーーーんっ!?!? まざーをよぶとは……!? あっ、あのしょうがっこう……いったいなんなんれあるか!? それにあの、ふざけた祈り……! なんなのれあるかっ!? なんなのれあるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
大聖女は、会場の空気をすでに我がモノとしていた。
「あらあら、みんなお腹がペコちゃんみたいでちゅねぇ。でも大丈夫! ママがたっくさんお弁当を作ってきたから、みんなでたべましょうねー。……じゃじゃーんっ! ほらぁ! 今日は特別だから、腕によりをかけてキャラ弁にしてみたの!」
試合場であるコートの上に広げられていく、いくつもの重箱。
それらは全部、ここにはいないオッサンの顔をかたどったものだった。
次回こそ、本当の奇跡が…!?