09 女教師の決意
……少女はまだ、夢うつつだった。
自分と同じ聖女に声をかけられ、ひどい怪我の子供たちがいると聞き、ついて行ったらいきなり背後から目隠しをされ、口や耳までもを塞がれた。
さらに頭から麻袋のようなものをかぶせられ、なにも見えない、なにも聞こえない、助けを呼ぼうにも声にならない。
干し草のような匂いのなかで、揺れだけは感じていた。
しばらくして袋から出され、手足の拘束を外された。
目隠しや耳栓を自力で外してみても、そこは真っ暗闇……。
鼻をつく臭気は、鉄くさい匂いに変わっていた。
そして、黒い害虫の群れで構成されているような、ぞわぞわとした気配を周囲に感じる。
盲人のように手さぐりをしながら這いまわってみると、冷たい金属の網に行く手を阻まれた。
怖くて怖くて目眩がする。息がつまり、何もしていないのにゼイゼイと苦しくなる。
もうどうしていいのかわからず、「あ、あのー!?」と声を出してみたのだが、それは場違いな行為だったらしく、暗黒がどっと笑った。
そして降り注ぐ、目もくらむほどの強い光……。
そして目の当たりにする、変態じみた格好の大男……。
悲鳴は裏返る。出会い頭に足を掴まれ、吊り下げられてしまったからだ。
垂れ落ちてくる自分のローブ。誰にも見せたことのない箇所がまろび出ているのが、自分でもわかった。
下履きを大勢の人間に見られるなど、聖女にとって……いや、少女にとっては地獄の責苦にも近い羞恥だった。
もう無我夢中で叫んだ。
想いに秘めた人物の名を、親を探す迷い子のように懸命に呼んだ。
すると……平衡は元通りとなり、堅い胸板を感じた。
少女はそのあたたかくて雄大なるものに、直感する。
「……もう大丈夫ですよ、プリムラさん」
地獄が天国へと変わった瞬間だった。
プリムラは目の前にある、たくましい身体を包む衣服をきゅっと掴み、顔を埋める。
そして声をあげて泣いた。
人目もはばからず感情を表に出したのは、物心ついてからは初めてのことだった。
ライオンの群れに放りこまれた子鹿のようだった少女は、たった一匹の狼によって救われたのだ。
狼は泣きじゃくる子鹿をお姫様のように抱くと、静まりかえった狂宴の場をあとにした。
背後からは、スキップする無邪気な声が追いすがる。
「あー! 久々にプチプチできて、楽しかったぁ!」
「ルクが100人で、プルは99人ですから、ルクの勝ちですね」
「えーっ!? 最後にプチッとした実況は、プルが先だったよ! だからプルの勝ちー!」
言い争いする少女たちは、バーの外に出るといつの間にか消えていた。
ゴルドウルフはプリムラを抱えたまま、器用に愛馬にまたがると、ゆっくりと飲み屋街から離れていく。
まだ昼間なので、このあたりは人気がほとんどない。
この国の人口が、数百単位で減ったことに気づく者は、まだ誰もいなかった。
そしてゴミがだいぶ掃除されたことも、気づかれるのは先のことだろう。
少女もまだ、夢から覚めずにいる。
……とくん、とくん、とくん……。
滑るような速さの中、ゆりかごのような心地よい振動の中、おっさんの鼓動に身を任せていた。
海のように広い胸板、大樹のように背中を守ってくれる腕。
そしてどんなお香よりも芳しい、肌のにおい……。
おっさんは特に大柄というわけではないのだが、少女は大自然に包まれたような気分になっていた。
子供にとって、父親の背中は大きく見えるのと同じ原理である。
幼いころから欲しいものなど何ひとつなかった少女が、初めて望んだもの。
それは、世の多くの少女たちが夢想する、白馬のイケメン勇者様ではなかった。
ちょっと大きめの馬に乗った、ただのオッサン……!
久しぶりに再会したらちょっとコワモテで、ちょっとミステリアスな感じになったものの……そこいらにいるオッサンなのである……!
プリムラは大会中ずっと、オッサンがグラスパリーンに寄り添う姿を見て、正体不明のモヤモヤを感じていた。
私だって、いい子にしているのに……。
どうしてあの方のほうが、おじさまにやさしくされているの……?
そんな気持ちを抱いたことに、自分でも驚いてしまった。
人知れず頭をポカポカ叩いて、自分を叱る。
しかしついに自分も、憧れのおじさまの抱擁を得られるに至った。
なのに……それなのに、あふれる気持ちが止まらない。
ずっとずっと、こうしていたい……。
おじさまの腕に、抱かれていたい……。
しかし真面目な少女は、その健気な思いすら自己嫌悪に変えてしまう。
胸元でポカポカしている彼女を、ゴルドウルフは手綱を引きながら、不思議そうに眺めていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その頃……剣術大会には悪魔が忍び寄っていた。
昼食休憩を終えて、トーナメントは四回戦目から再開。
対戦前の挨拶を終えた勇者学校の生徒たちが、自陣に戻ろうと背を向けた下級職小学校の生徒たちを、背後から一撃……!
いや、それどころか、倒れたところをさらに滅多打ちにしたのだ……!
突然の凶行に場内は騒然となったが、すでに勝利を確信したかのように飛び上がっていたのは、クリスタルのような外殻に守られた邪神たちであった。
「キャハッ! キャハッ! キャハッ! キャハハッ! うぇーい! サイッコー! 見て見て、あのガキども! ボッコボコにやられてやんの! 超ウケる! 超ウケるんですけどぉーっ! キャハハハハハハハハッ!」
「ノン! これは下賤なる者たちに突きつけられた、正しきノンであるノン! 絶対君主である勇者に歯向かった奴隷階級が、どのような末路を辿るのか……これは後世に残すべき教訓だノン!」
「でもさぁ、このあとどーすんのぉ? やった方は反則負けになるとして、そんなヤツらを勇者中学に推薦しちゃってダイジョブなのぉー? キャハッ!」
「そんなわけないノン! アレは、彼らの未熟さゆえの行為……! まともに試合をやっても勝てないから、自暴自棄になった結果だノン! 退学はあっても、推薦などありえないノン!」
「うわー! ひっでぇー! 命令に従ったのに、切り捨てちゃうんだー!? まっ、どーでもいーけどぉー! キャハハハハハッ!」
紅潮した顔で、キャッキャと戯れるふたりの勇者。
その下界では、血の気を失った少女がなりふりかまわず助けを求めていた。
「みなさん! みなさん! しっかりしてください! あああっ!? プリムラさんっ! プリムラさんはどこにっ!? ああっ!? だ、誰か! 誰かこの子たちを助けてください! 助けてくださぁい! お願いします、お願いします! なんでもします! なんでもしますからぁ!!」
グラスパリーンは半狂乱になってプリムラを探していたものの、見つからないとわかると、すぐに運営の救護班にすがった。
彼女にとっては、失格になって途中敗退など些細なこと。
自分のクラスの成績よりも、子供たちの安全こそが第一なのだ。
救護班がなかなか来ないので、ついには対戦相手の聖女にまで頭を下げまくる。
しかし彼女らは半笑いを浮かべるのみで、誰も助けてはくれなかった。
見かねた観客席の聖女たちが治療を申し出ようとしていたが、チームに登録されていない聖女以外はコートに入れないと、係員に止められていた。
孤立無援のグラスパリーン。
いつもならとっくに落涙しているところだが、歯を食いしばり、あふれそうになるものを懸命にこらえていた。
もう泣かないと、帰りの会で子供たちと約束したからだ。
それに、泣き叫んだところで何も解決しない。
親のように駆けつけてくれるゴルドウルフは、今はいないのだから……!
押しつぶされそうなほどの不安に、少女はあの人がくれたチェーンに触れて立ち向かう。
「ゴルドウルフ先生が不在の今……! 私が……私がなんとかしなくっちゃ……!」
そして今、小さな新米教師の決意は、大きなつぼみとなった……!
その想いは、意外な形で開花することとなる……!
次回、奇跡がおこる…!?