08 ビンタ
ウンコのように座りながら、ひび割れた路地裏にたむろする若者たち。
「プリムラをさらったって、マジなのかな?」
「どうもマジみたいだぜ。俺んとこのボスなんて、何もかもほっぽりだして真っ先に向かってたし」
「マジかよー、聖女をヤレるなんて、いいよなぁ。聖女をヤルとスゲー力が得られるんだろ?」
「なるほど、勇者が強ぇのは、聖女とヤリまくってるからなのか」
「でもよ、ヤッて力が得られるのは、正統な聖女だけらしいぜ。ホーリードール家ともなりゃ、相当だろうな」
「俺は力が得られなくていいからヤリてぇよ。だってプリムラってまだガキだけど、すげーいい女だし」
「終わったあとに行けば、俺らもおこぼれもらえるんじゃね?」
「無理だろ、あのプリムラだぞ? ボスたちが手放すわけがねぇよ。もし便女に堕ちたとしても、そん時はあの可愛い顔が、まともに見れねぇくらいボロボロになってる頃だろうな」
「でもそれでも、あの聖女とヤレるんだぜ? それに、袋をかぶせちまえば同じだろ!」
「あっはっはっはっはっ! そいつはそうだな!」
下衆な笑い声たちを、伸びた影が覆う。
墨染のように、音もなく。
「……ああん? なんだよオッサン?」
「あっ、コイツ……俺が手紙を渡したオッサンじゃねぇか!」
「なんだ、プリムラんとこの下男かよ」
下男と呼ばれた男は黒い塗り壁のように立ったまま、しゅうと息を吐いた。
「……プリムラさんは、今どこにいるのですか?」
「さーね、シラネ」
「知ってても、オッサンなんかに教えっかよ」
「あ、俺知ってる! 教えてほしい? でも、オッサンじゃダメー! かわいいメイドさんだったら教えてもいいかなー!」
「あっ、ソレ、いい! コイツにプリムラんとこのメイドを引っ張らせようぜ! お嬢様が大変だとか言わせてさ!」
「いいじゃんいいじゃん! ってわけで、ヨロシクー! 俺らここで待ってっからさ、いいの見繕って連れてきてよオッサン!」
「でもさぁコイツ、衛兵にチクんじゃね?」
「うん、そうだよなぁ。もしチクったらどうなるか、かるーく仕込んどいてやったほうがいっか」
ボロボロの革コートの裾を、引きずるようにして立ち上がる若者たち。
4人いるうちの2人が、すかさずオッサンの背後に回り込んだ。
影に飲まれるような形になっても、気づかずに能天気な声をあげている。
「はぁーい、もう逃げられませぇーんっ! このオッサン、もう何も言わなくなってんの、ウケるー!」
「きっとお嬢様にイイトコ見せようと思って、はりきっちゃったんでしょ!? んでこんな所にひとりで飛び込んできて、いまさら後悔っと! ね、オッサン、怖い!? マジ震えてる!? マジ……!?」
……パンッ!
銃声のような乾いた音が、路地裏に反響する。
「……えっ?」
オッサンに顔を寄せて絡んでいた若者は、呆気に取られていた。
頬をビンタされたと思ったら、視界から急にオッサンが消えてしまったからだ。
「おっ、お前……!? くくくっ、首が、首が裏返って……!」
……パンッ!
彼の仲間の言葉も、再びおこった破裂音によって遮られてしまう。
首が捻れたふたりの若者が見ていたのは、レンガの壁に投影された、影絵の犬のような手。
それが口をきいたような気がした。
「私はいま、急いでいます。ですので、加減ができません。もう一度聞きます。プリムラさんは今どこにいるのですか?」
どさり、どさりと崩れ落ち、ただのインク袋のように、顔の穴という穴から赤い濁液を垂れ流す、かつてはウンコだった者たち。
オッサンはもちろん、彼らに問うたわけではない。
ただの屍よりも、まだウンコに話しかけたほうが有意義だと知っているからだ。
暗闇に残されたふたりは、「ヒイッ!?」と引きつれた声をあげる。
「わわっ……わかった! 言う! 言うっ! プリムラは、となり街……ハルストイにある『ゲット・セット・バット』支部に連れてかれた……! 飲み屋街にある『コウモリ』ってバーだ……!」
「……どなたの指示ですか?」と静かなる問いが続く。
「だっ、ダイヤモンドリッチネルだ! あの調勇者サマが、プリムラをさらうよう頼み込んできやがったんだ……!」
それでやめておけば良いものを、残ったひとりが余計な挑発をしてしまう。
正しい知能はないのに、間違ったプライドだけは人一倍あるという、彼ら独特の愚考……そして愚行によるものである。
「だが『ゲット・セット・バット』相手じゃ、衛兵だって簡単にゃ手出しができねぇぜ! 確たる証拠がなけりゃな! 俺たちの証言だけじゃ、動いちゃくれねぇ! 残念だったなオッサ(パンッ!)はぶうっ!?」
今度はマグナム弾をくらったように、もんどりうって倒れた。
ああ、とうとう、最後のひとりになってしまった……!
本当にここで、やめておけばよいのに……!
そうすれば今年の夏も海でバーベキューができて、一般人相手にワルぶれたのに……!
「衛兵には頼りません。私はひとりで『コウモリ』に乗り込みます」
「……ハッ! ハハッ! なっ、なに言ってんだオッサン! あそこはこれからプリムラをヤルってんで、各地から札つきのワルどもが集まってきてんだ! オッサンが少々強いからって、調子に乗って(パァーンッ!!)はぶぅぅぅぅぅーーーーーーーっ!?!?」
びたん! と壁に叩きつけられ、そのまま動かなくなる。
「名札が付けられた悪人は、別に怖くはありません。本当に怖いのは、名もなき野良犬ですよ」
撒き散らされた排泄物のように、床や壁を汚す彼らに最後の言葉をかけ、影は路地裏をあとにする。
通りに待たせておいた愛馬にまたがると、まるで一陣の風が通り過ぎるようなさりげなさで、街に溶けていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
有象無象の悪鬼蠢く暗闇のなか、能天気な拡声ボイスが振りまかれる。
『さあっ! 今宵……いえ、真昼のスペシャル・ダンスショー、いよいよ開演です! ダンサーは我らが「ゲット・セット・バット」ハルストイ支部のボス! そのお相手はなんと、聖女の名門「ホーリードール家」の次女にして、1億年にひとりと言われた奇跡の美少女、「プリムラ・ホーリードール」ですっ!!』
バンッ! とスポットライトが開くと、八角形の金網のリングが照らし出された。
バー『コウモリ』の地下にある、特設リングである。
いつもは血なまぐさい殴り合いが行われており、その開幕ともなると腕自慢の男どもが睨み合っているのだが、今回は様相が異なっていた。
追い詰められたウサギのように、隅っこで震えるひとりの少女。
リングの中央には、革パン一枚の大男。
人造人間のような、常人の3倍はありそうな腕に、全身を覆う筋肉の鎧。
女体の入れ墨が入った坊主頭を、すでに赤く滾らせて舌なめずりをしている。
囚われの少女にとっては絶体絶命のピンチだったが、ここはまだ『安全』なほうだといえる。
なぜならば檻の外には、おとなしく椅子に座っているのが不思議なくらいの野獣どもが、瞳をギラつかせているのだ。
二番目にヤルのは、俺だ……! と……!
このバーを仕切るボスが、極上の聖女をヤルのに見世物形式にしたのは、ある理由によるものだった。
イイ女を最初に手篭めにするほど、ワルとして箔がつき、悪名があがる裏社会。
またとない一流の女を手にいれたボスは、周囲のワルどもを集め、己の強さを誇示するようにして犯すのが通例となっている。
そして終わったら、まるで餌の生肉のように放り捨て、集まったヤツらに分け前を与えるのだ。
この俺が、ボスだ……! と……!
ソイツをくれてやるから、俺に従え……! と……!
これは権力を拡大するための、絶好のパフォーマンス……!
正真正銘の聖女というのはさらなる力をもたらし、裏社会での勢力図を塗り替えるだけの威力があるのだ……!
その力を絶対的なものにするためにも、ボスはリングのなかで獲物に陵辱のかぎりを尽くす。
地獄を見せ、いかに泣き叫けばせ、いかに許しを請わせるかを競いあうのだ。
苦しませれば苦しませるほど、肉はうまくなる……!
観客を盛り上げるためならば、素手で四肢をもぐことも、いとわない……!
泣け、鳴け、哭けっ……!
壊れた楽器のように、狂った小鳥のように……!
そして我らの目を、耳を、血を……! 存分に楽しませよ……!
さえずらぬホトトギスなど、殺されてしまうのだから……!
『さあっ! かわいいかわいいプリムラちゃん! ダンスは始まったというのに、震えたまま動きません! このままでは、本当に「動けなく」させられてしまうぞぉ! ああっとぉ!? ボスが足首を掴んで、引きずりあげました! 白いローブがめくれあがって、かわいいあんよが丸出し! これは貴重な、聖女の生脚です!』
耳を掴まれたウサギのように、足首を持たれて逆さ吊りにあうプリムラ。
ぶらんぶらんと左右に弄ばれ、真珠のような涙がぱらぱらと落ちる。
彼女は麻袋から出されるなり檻に放りこまれていたので、わけのわからなさと恐怖で声が出なくなっていた。
呼吸も困難になり、金魚のように口をパクパクさせていたが、命を振り絞るようにして絶叫をあげる。
「いやっ……! いやっいやっ! いやあああっ! 助けて! 助けてくださいっ! おじさま! おじさまっ! おじさまあっ!」
『おおっとぉ!? プリムラちゃんは助けを呼んでいるぞ!? 「おじさま」とは一体誰のことなのか……? でも安心して、プリムラちゃん! 「おじさま」ならいっぱいまわりにいるよ! プリムラちゃんのことが大好きな、おじさまたちが……! ほら、よぉく見て! 「おじさま」を探して! さあっ、ドゾー!』
……バンッ!!
実況のからかうような合図とともに、室内を白日のように浮かび上がらせる、天井の照明。
そこに待っていたのは、少女のさらなる悲しみのはずだった。
逃げ場のない檻どころか、囚人のような男たちに囲まれた地獄絵図が。
正気を失うほどの絶望的光景を目の当たりにさせ、少女にさらなる叫喚の音色を奏でさせる手筈になっていた。
だが、つい先程までリングを包囲していた熱気は、水を打ったように冷めていて……反動のような静けさに包まれていたのだ。
「な……っ!?」
ボスは寡黙な男であったが、この時ばかりは本当に言葉を失っていた。
彼の目の前、いや、左右……。
いやいや、背後にいたるまで……。
それどころか二階にある客席までもが……びっしりと……!
首が反転した男たちが、無言で佇んでいたのだ……!
身体はこちらを向いているのに、顔は後頭部を向けている……!
視床神経が崩壊してしまったかのような、不気味な光景が広がっていたのだ……!
……パンッ!
それが、ボスが聴いた今生最後の音だった。
次回、ゴルドウルフ不在の剣術大会…!