29 勇者というもの
モフモーフの一撃を受け、幼い少女の身体は暴風を受けた木の葉のように吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられた。
「ば……バーンナップゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
フォンティーヌは我が身を顧みず駆け出す。
壁に血の跡を残しながら、ずるりと崩れ落ちるバーンナップに向かって、指をパチンと鳴らす。
「痛いの痛いの、とっととお退きなさいっ! でないと、承知しませんわよっ!!」
すると、バーンナップの身体から逃げ去るように、ケガが消えた。
「しっかりするのです、バーンナップ……!」
抱き起そうとしゃがみこむお嬢様。
しかしその手が小さな身体に触れることはなかった。
……ゴッ!
雪崩が突っ込んできたような衝撃に、あっと思う間もなく身体がさらわれ、壁に激突していた。
赤く染まる視界のなかで、彼女は見る。
なおも怒りに我を忘れているモフモーフが、自分に向かってトドメの一撃を放とうとしているところを。
そしてその間に、立ちはだかって止めようとするバーンナップの姿を。
しかしあの小さな身体で、巨人の拳のような一撃を受け止められるわけがない。
「に、逃げ……ごはっ!」
血が喉に詰まって叫ぶどころか、呼吸もままならない。
薄れゆく意識のなかで、いままでにない感情が芽生えはじめる。
――ああ……。
わたくしの人生も、ついにカーテンコールというわけですのね……。
いままで一生懸命、いつでも全力で生きてきたので、後悔はありませんけれど……。
ただひとつ、ひとつだけ……。
『黄金の微笑み』を得られなかったのだけは、心残りですわ……。
もはやわたくしに残されたのは、風になって、あのお方の元を吹き抜けるだけ……。
どうか……どうかお幸せに、なってくださいませ……!
最後の最後においても、愛を失わなかった少女、フォンティーヌ。
しかし死神はまだ、彼女がこの世から退場することを許さなかった。
むしろモフモーフの背後で、死神のような影が蠢く。
「動かないでください!」
聖獣は知能が高いので、モンスターといえども人の言葉をある程度理解する。
ぐわっと振り返ったモフモーフが、見たものは……!?
唯一、残っていた卵から孵った、モフモーフの雛……!
ピーピーと鳴くそれを抱え、ナイフを突きつける、蛇のような男っ……!
「しゅるしゅる、ふしゅるるる……! 最後の子供を殺されたくなければ、大人しくするのです……!」
シュル・ボンコスは、残った卵がヒビ割れ、雛が生まれる直前だというのに気付いていた。
モフモーフとの戦闘中、騒ぎに乗じて敷き藁の中に紛れ、その雛をゲットしていたのだ……!
本来はやさしいモフモーフは、それだけで正気に戻る。
服従のポーズをとり、オオオオン……! と鳴きすがった。
そこに、例のバカコンビが割り込んでくる。
「でかしたボン! シュル・ボンコス!」
「今回は特別に、貴様に手柄をゆずってやったんじゃ! ありがたく思え! そしてボンクラーノ様に牙を剥くとは、なんたる邪悪なモンスターじゃ! ささ、ボンクラーノ様、ズバーッとやっちゃってください!」
ボンクラーノは落ちていた剣を拾いあげると、喜々として親モフモーフに向かっていく。
お嬢様は残った気力を振り絞り、彼らの元に這っていきながら叫んだ。
「や……やめっ……! やめるのですわ! 正々堂々と戦って殺すのならまだしも、子を人質にとって、無抵抗のモンスターを殺すなど……! ……ああっ!」
しかし制止も虚しく、凶刃は振り下ろされる。
まるで粘土に棒を突きたてて遊ぶ幼稚園児のように、ボンクラーノはキャッキャと笑っていた。
「やめるのです! やめるのですわっ! そんな残酷なこと、獣でもいたしませんわよっ!? あなた、それでも勇者なのですかっ!? それが、勇者の戦い方だというのですかっ!?」
ボンクラーノは泥んこ遊びのように、返り血で全身を汚しながら……。
開ききった瞳孔と、開き直った態度で応える。
「その通りだボン! ボンのパパも言っていたボン! 『勇者というのものは、人間である前に、勇者であれ』と……! 敵に情けや容赦をかけるのは、弱い人間のすることだボン! でも、勇者は絶対に負けてはいけないんだボン! どんな手を使ってでも、勝たなくてはならないんだボン! そしてそれこそが、勇者に求められる、本当の『勇気』なんだボン!」
「そ……そんなのは、勇気などではありませんわっ! 穢らわしい、蛮勇っ……!」
フォンティーヌはボンクラーノの元まで這っていったのだが、その途中で、
……べちょっ!
顔に、唾を引っかけられた。
「ボンクラーノ様のおっしゃる通りじゃ! どんな手を使ってでも、勝てばいいんじゃ、勝てば! それを今からワシが、貴様に教えてやるっ! いままでは手加減していたが、ワシが本気を出せば、お前みたいな女、一発なんじゃ!」
……グオンッ!
フォンティーヌが最後に見たのは、我が物顔で振り上げられた、ブタの蹄のような足。
直後、意識は蹴られたサッカーボールのように飛んでしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。
地鳴りのような振動を感じ、フォンティーヌは意識を取り戻す。
うっすら目を開けると、シュル・ボンコスと目が合った。
「しゅるしゅる、気付いたようですね。虎の子のエリクサーを使わされました」
「使わされた……?」とうわごとのように返すフォンティーヌ。
「ふしゅるるる。ええ、ですのであなたの口から、止めるように言ってもらえませんかね」
フォンティーヌの視界はボンヤリとしていたが、エリクサーのおかげですぐにハッキリとする。
よく見ると、シュル・ボンコスの首筋にはナイフが押し当てられていた。
その肩越しには、鬼のような表情のバーンナップが。
それで、だいたいの事情は理解する。
バーンナップがシュル・ボンコスを脅して、エリクサーを使わせたのだ。
ちなみにではあるが、バーンナップは字が読めない。
そのため、ポーションのラベルも判別できなかったりする。
フォンティーヌはバーンナップに、シュル・ボンコスを解放するよう命じたあと、身体を起こした。
あたりを見回すと、今いる場所は相変わらずモフモーフの巣であることがわかる。
この場にいるのは3人だけで、バカコンビの姿はない。
そしてなぜか洞窟全体が揺れており、その揺れはだんだん激しくなっているようだった。
フォンティーヌが尋ねるより先に、シュル・ボンコスが教えてくれる。
「しゅるしゅる、ふしゅるるる。この洞窟のヌシであるモフモーフが死んだので、洞窟も崩れようとしているようです。聖獣が消え去るとき、その地も無くなってしまうという言い伝えがありますが、どうやら本当のようですな」
少女の刃から解放されたシュル・ボンコスは、やれやれと立ち上がると、
「では、しゅるもそろそろ逃げます。ボンクラーノ様とステンテッドさんは、ひと足先に逃げているところです。フォンティーヌさんも、もう動けるでしょう? では、お先に。洞窟の外でまたお会いしましょう」
シュル・ボンコスは逃げたくて逃げたくてたまらなかったのか、沈没する船から這い出る蛇のように、ピャッ! とモフモーフの巣から出ていった。





