43 しっぽ切り
『スラムドッグマート』をあと一歩というところまで追いつめていたはずの『ゴージャスマート』。
崖っぷちに立たされた野良犬は、あとワンプッシュで奈落の底へ真っ逆さまという状況であったのに……。
ほんの一瞬、瞬きほどの隙を見せてしまったせいで……。
立場、逆転っ……!
勇者の前門には、押し相撲のように肉球をかざすゴルドくん。
そして後門には、底にいる者たちの悲鳴が立ち上ってくるような、ぴゅうぴゅうと風吹き上げる、断崖っ……!
その頃、当の絶壁勇者はなにをしていたのかというと……。
セブンルクス王国にある豪邸の自室で、駄々っ子のように暴れまわっていた。
ちなみにこの豪邸は、新たに建てられたもの。
以前の邸宅は、魔王信奉者がいるから怖い、という理由で近寄りもしていない。
真新しいカーペットに埋もれながら、泣き叫ぶボンクラーノ。
「うわあん! うわあん! うわあああああんっ! ガンクプフルの店は、とんでもない赤字になってるボンっ! なんでだボン! なんでだボン! なんでだボーンっ! ボンはなにも悪いことしてないボンっ!」
同室にいるのは、彼の右腕であるシュル・ボンコスだけであった。
ステンテッドはガンクプフルの支部で『ポーション書き換え事件』の対応に追われており、お嬢様はショックで出社しなくなっていたからだ。
「しゅるしゅる、ふしゅるる。落ち着いてください、ボンクラーノ様。それよりもこれからどうするか、早めの対策を立てなくてはいけません」
「対策って、決まってるボンっ! ここからガンクプフルの店が、どーんと儲かることをするに決まってるボンっ!」
「ふしゅるる、それはごもっともなのです。ですが、もうどんな手を打っても効き目はないと思われます」
「そんなことないボンっ! そうだ! また『パッションポーション』を売り出すボン! 今度は書き換えてないヤツを売ればいいボンっ! パワーアップした新製品とかいって、倍の値段で売れば、あっという間ボンっ!」
「ふしゅる、ふしゅる。現在『パッションポーション』の消費者のイメージは最悪です。それを拭い去るというのは、今は不可能に近いでしょう」
「だったらどうするボンっ!? このまま赤字を垂れ流し続けろとでも言うのかボンっ!?」
「ふしゅるる……。そこでなのですが、ガンクプフル小国からの『ゴージャスマート』一時撤退を進言いたします」
「てっ、撤退!? そんなの許されるわけがないボンっ! そんなことをしたら、ボンは罰を受けてしまうボンっ! それだけは、絶対に嫌だボンっ! まだまだチャンスはあるはずボンっ!」
「ふしゅる、ふしゅる……。はい、勇者上層部に赤字を隠して経営を続け、ここから巻き返すという手もあったのですが……そうもいかないようなのです」
「なんでだボンっ!?」
「ふしゅる、ふしゅるる。憲兵局の中には、まだボンクラーノ様の息がかかった憲兵が、数名ではありますが辛うじて残っております。その者たちの情報によりますと、そう遠くない時期に、『ゴージャスマート』の一斉捜査があるようです」
「い……一斉捜査!? ボンの店に捜査が入るボン!? そんなの絶対に許さないボンっ!」
「しゅるしゅる。はい、今までであれば勇者権限において、その種の手入れはすべて食い止めていました。ですが『パッションポーション書き換え事件』を受け、憲兵局に捜査の口実を与えてしまったのです」
「ぐっ……! そ、それはなんとかならないのかボン!?」
「ふしゅるしゅる。憲兵局大臣が替わってしまった以上、無理だと思います。いま憲兵局の捜査が入ったら、さらなる不祥事が明るみに出かねません。そうなったら下手をすると、ガンクプフル小国内での永久追放を申し渡されるかもしれません」
「え、永久追放っ……!? それは嫌だボンっ!」
「しゅるしゅる、ふしゅるるる。はい。そうなってしまったら、現在の女王が替わるまで、『ゴージャスマート』はガンクプフルで商売ができなくなってしまいます。ですが撤退という形をとれば、強制捜査の手から逃れることができます。それでも損害は大きいのですが、ほとぼりが冷めたころに再上陸することができます」
「うっ……! うううっ! い、嫌だボンっ! ボンは生まれてこのかた、失敗なんて一度もしたことがないんだボンっ! うわぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーんっ!!」
うつ伏せになって、おいおいと泣くボンクラーノ。
いい歳をした男が、地べたで号泣する姿は、この上なくみっともなかった。
さすがシュル・ボンコスの額にも、わずかな青筋が浮かぶ。
――この、クソガキっ!
いままでも失敗だらけだっただろうがっ!
まわりが止めても聞く耳をもたず、ワガママ三昧で好き勝手にやって……!
しゅるが全部尻拭いをしてきたから、明るみに出なかっただけだろうが!
それなのに、それなのにっ……!
お前は一度だって、その労をねぎらったことがあるかっ!?
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーんっ! この役立たずっ! お前のようなヤツがいるから、ボンは初めて失敗してしまったんだボンっ!」
「……しゅるしゅる、そうかもしれません。でも、今回は悪い偶然が重なりすぎました。今回ばかりは失敗を受け入れる他ありません」
シュル・ボンコスは『偶然』と言っていたが、前述のとおり、今回のことは『偶然』などではない。
実はシュル・ボンコス自身も、背後で何者かが動いているのには気付いていたのだが……。
頭の悪いクソ坊ちゃんに説明しても、話しがこじれるだけなので、その考えを口にすることはしなかった。
「ふしゅるるる。今はなによりも、被害を最小限に食い止めることを考えるべきです。なぜならばボンクラーノ様は、『エヴァンタイユ諸国』を統括する本部長……。まだ『キリーランド小国』と『ロンドクロウ王国』が残っています。もしここで『ガンクプフル小国』にこだわって傷を深くしてしまったら、統括本部長の座も危うくなってしまうかもしれません」
「ううっ……! い、いま撤退すれば、ボンはまだ、本部長でいられるボン……!?」
「ふしゅる、ふしゅる。そうです。しかしそのためには、もうひとつ手を打っておかなくてはなりません」
「それは、なんだボン?」
「今回の撤退の発端となった、『パッションポーション書き換え事件』……。これを今の段階で首謀者を挙げ、処分しておくのです。そうすれば、ボンクラーノ様は監督不行き届きという点だけが問われます」
「な、なるほどっ……! じゃあ、『パッションポーション』を開発した、フォンティーヌを処分すれば……!」
「ふしゅるる。いえ、フォンティーヌ様は、この先においてもじゅうぶん役に立ってくださる人材だと判断します。いま処分してしまうと、今後の『スラムドッグマート』との戦いに影響が出るでしょう。それに、お忘れですか? こんな時のために、あの制度を作ったことを……!」
「そっ……! そうだボン! それに元はといえば、すべてアイツがいけないんだボン! アイツめぇ、タダじゃおかないボンっ!」
急にイキりだすボンクラーノ。
まさにクソ坊ちゃんな彼の単純さに、シュル・ボンコスは呆れはしたものの……。
内心はひとまず、胸をなで下ろしていた。
――やれやれ、ここまで誘導してやらないと、あの男の処分に至らないとは……。
このクソガキ、想像以上のクソっぷりですねぇ……。
でもこれで、チェックメイトは逃れることはできそうです。
ルークを失ってしまうほどの痛手となってしまいましたが……。
まだこちらには、クイーンが残っています……!
しゅるしゅる、ふしゅるるるる……!





