38 悪夢(ざまぁ回)
ボンクラーノの屋敷の庭にいた、闇のようなローブをまとう謎の人物。
捕まえてローブを引っぺがしてみたら、そいつは、なんと……!
……見ず知らずの、男っ……!?
青白い顔に痩せこけた頬の、不気味としか形容しようのない、その男。
例えるなら、死神の頭蓋骨にほんの少しの肉と皮を付けたら、こんな顔になるであろうか。
男はずっと目を閉じている。
瞼は白く塗りつぶされていて、目玉のようなマークが黒く描かれているのが、なおおぞましい。
「なっ……なんなんだボン!? 貴様はいったい、何者なんだボンっ!?」
ボンクラーノが問うと、男は瞼を閉じたまま答える。
薄目も開けていないのに、しっかりとボンクラーノの方を見据えながら。
「ヒヒヒ……! そのお声は、我が愛しの、ボンクラーノ様……! 先ほどの悲鳴、とても心に染み入りました……!」
「やっぱり、ボンの愛馬を殺したのは、貴様なんだボンっ!? なんで、こんなことをしたんだボンっ!?」
「なぜって……。これもすべて、ボンクラーノ様を想ってのことに、決まっているではありませんか……!」
「ボンを想って……!? ふざけるボンっ! もしかして、どこかのライバル勇者に頼まれたボンっ!?」
すると男は、第2の双眼を解放するかのように、カッと目を見開いた。
「誰かに頼まれたなどと、とんでもありません……! 私はただ、ボンクラーノ様に喜んでいただきたいという、純粋なる気持ちで……!」
なんだか話が噛み合わない。
言葉はしっかり通じているはずなのに、まるで異国の人間と話しているかのようであった。
不意に男はボンクラーノの肩を掴み、ぐいっと顔を近づけてくる。
視線が真正面からぶつかって、ボンクラーノはまたしても悲鳴をあげてしまった。
「うっ!? うわああああっ!? お、お前は、まさかっ……!?」
そう、そのまさかであった。
ボンクラーノは男の瞳の奥に、あるものを見てしまったのだ。
それは……。
ハートマークっ……!
男は明らかに、『パッションポーション』の効果を受けているようだった。
それ自体はおかしなことではない。
なぜならば『パッションポーション』は魔導女に向けられた商品ではあるものの、性別による購入制限などはしていないからだ。
そして、『パッションポーション』を飲んだこの男が、ボンクラーノに好意を抱くことも、何らかおかしなことではない。
問題なのは、その気持ちの出力……。
ボンクラーノを喜ばせたくて、なぜ、ボンクラーノの愛馬を惨殺したうえに……。
その生首をベッドに置くという、奇っ怪な行動に出たのか……!?
しかしボンクラーノにはもう、それを考えているだけの余裕はなかった。
「うぐぐぐっ……! こっ、殺せっ! コイツを殺すボン!」
男は極刑を申し渡されてもなお、屋敷の警備員に引きずられるようにして連行されている最中も、「ヒヒヒ……!」と笑っていた。
男はボンクラーノの愛馬を殺した罪で、即日処刑された。
ボンクラーノはせっかく、『悪夢ヒル』から解放されたというのに……。
その初日で、消えたはずの悪夢が現実に侵食してきたかのような、恐ろしい目に遭ってしまった。
「ふぅ……。『パッションポーション』のおかげで、ボンはいろんな人間から愛されるようになったボン。でも、あんな歪んだ愛は初めてだボン」
ボンクラーノは屋敷の警備を強化するように、使用人に命じた。
そしてこれは一瞬ではあるものの、『パッションポーション』の販売制限をしようかとも思った。
しかし『パッションポーション』は、今のゴージャスマートのダントツの稼ぎ頭である。
最近では組織だっての買い占めが横行しており、一般の魔導女はまったく手に入らない状態であるという。
増産すればするだけ、煙が立ち消えるように売れていく。
そのおかげでスラムドッグマートとの差は開く一方で、撤退させるまであと一歩というところだったのだ。
そんな折、シュル・ボンコスがある情報を掴んできた。
スラムドッグマートが攻勢に出て、ガンクプフル小国に全国展開するというのだ。
全店赤字のスラムドッグマートが規模拡張など、狂気の沙汰としか言いようがない。
同店はいま撤退すれば、肩に矢が刺さった程度の浅傷ですむはずなのに……。
わざわざその矢を抜いて、自分の心臓に差し直すような愚行を、しでかそうというのだ……!
となれば、ボンクラーノはなおさら『パッションポーション』の手を緩めるわけにはいなかった。
「ボンっ! 『パッションポーション』の品切れを解消すべく、ポーションの工房をすべて『パッションポーション』の製造に切り替えるボンっ!」
しかし『パッションポーション』の好調と比例するかのように、ボンクラーノの身辺が怪しくなっていく。
ボンクラーノは常に誰かの視線を感じるようになった。
見回すと、人混みであれば遠くのほうに、自宅や事務所であれば、窓の外に……。
黒いローブをまとった何者かが、サッと姿を隠すようになったのだ……!
ボンクラーノはそのたびに半狂乱になって人を呼ぶ。
そうして捕えられるのは、愛馬を惨殺した男にそっくりな、死神の化身じみた者たちばかり。
あんな気持ちの悪い想い人など、せいぜいひとり……。
多くてもふたりくらいだろうと、たかをくくっていたら……。
いままでどこに隠れていたのかと思えるほどに、後からうじゃうじゃと、沸いて出てきたのだ……!
さながら、冷蔵庫の裏にびっしりと張り付いた、ゴキブリのように……!
そしてついに、ゴキブリはふたたび安住の地にも訪れる。
自宅のベッドで目覚めるなり、目に飛び込んできたモノに、ボンクラーノの心は押しつぶされそうになっていた。
一瞬、これは現実なのか、夢なのか……。
それとも悪い現実なのか、悪い夢なのか……。
頭が混乱して、悲鳴も声にならなかった。
「うっ……ううっ!?」と、肺が潰れたような声を漏らすボンクラーノ。
寝室の天井には、筆で書いたような文字が、デカデカとあった。
『あなたを愛している』
と……!
どす赤い、ペンキのようなもので……。
いや、明らかにそれは『血』であった。
しかも書いて間もないのか、まるで鮮血のように、ぽたぽた、ぽたぽたと……。
部屋中に、したたり落ちるっ……!
「うっ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
悪夢、三度っ……!
すっかり正気を失ったボンクラーノは、尻に火が付いたような勢いで、ベッドから飛び出す。
しかし、
……ガシイッ……!
足首に冷たいなにかを感じ、
……ズダァァァァーーーーーーンッ!!
床に引きずり倒されるように、転んでしまった。
まとわりつく感覚は、まだ消えない。
それは足のあたりにあるはずなのに、まるで心臓を冷たい手で掴まれているような、血も凍るような感覚だった。
おそるおそる顔をあげた、その先には……。
ベッドの下に潜む、黒いローブの影が……!
骨のような手を伸ばし、ボンクラーノの足首を……。
深淵に引きずり込むように、掴んでいたのだ……!
「うっ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
悪夢、再来っ……!





