27 ランの過去
『ゴージャスマート』の幹部が、増収増益に沸いていた頃……。
『スラムドッグマート』の幹部は、なにをしていたかというと……。
頭を抱えていた。
プリムラはガンクプフルの事務所にある、会議室にこもりっきり。
いつものように、きちんと脚を揃えてお行儀よく椅子に座っていたのだが……。
頭は垂れ、表情は晴れなかった。
いつもひそやなか月のように輝いていた彼女の瞳に、その光はない。
目の前にある机には、埋め尽くすほどにラフスケッチが散乱している。
いまはただぼんやりと、そのイラストの数々を、暗い瞳に映すばかりであった。
プリムラを含めたスラムドッグマート開発陣たちは、来月に控えた『新製品発表会』に向けて、出展する新製品の考案に明け暮れていた。
いや、もともと出展する商品は決まっており、量産体制に入っていたところだったのだが……。
先のフォンティーヌからの挑戦状を受け、急遽生産をストップした。
なせならば、はからずとも『合同新製品発表会』になってしまったからだ。
前回の、パッションローブのゲリラプレゼンは完全に不意打ちだったものの、今回は先方から予告してきた。
となれば、ゴージャスマートの新製品は、パッションローブ以上の自信作と考えて間違いない。
現状のスラムドッグマートの新製品では、太刀打ちできないと考えたのだ。
しかし『合同新製品発表会』まで、あと1ヶ月ちょっとしかない。
プリムラは昼夜を徹して、新製品の考案に明け暮れていた。
会議机の対面にはランが座っていたのだが、とうとう見かねた様子で声をかける。
「おい、ガキんちょ、悩むのはいいけどよ、そんな死人を見送ってるみてぇなツラすんじゃねーよ」
するとプリムラはハッと顔をあげ、すまなさそうに頭を下げた。
「す、すみません、ランさん……」
「その様子じゃ、あんまり寝てねぇんだろ? でも同情なんかしてやんねーよ。なんで疲れててブサイクにならねぇんだよ」
プリムラは疲弊すると、『薄幸の美少女』っぽくなる。
そのうえ、『守ってあげたくなる儚さ』が増して、美しさにさらなる磨きがかかるのだ。
今の彼女であれば、どんな勇者も爆釣だったであろう。
でもプリムラ自身はまったく自覚はないので、「えっ?」と間抜けな声をあげる。
それがまた、ランの癪に障った。
「ったく、こんだけ新製品のネタが集まったんだから、選び放題じゃねぇか! よりどりみどりなのは男だけにして、さっさと選んでさっさと寝ろよ!」
それにはちょっと下ネタも入っているのだが、無垢で真面目なプリムラには通じなかった。
「いえ、そういうわけにはまいりません。わたしは一度失敗して、おじさまにご迷惑をおかけしてしまいました。これ以上、失敗するわけにはいかないのです。ですので、熟考に熟考を重ねて、次こそは……」
「ハァア? テメェ、なに言ってんだ? 一回や二回の失敗なんて、オヤジは屁とも思ってねーよ」
ランはそう吐き捨てると、鋲の打たれた革ジャンの袖をまくりあげ、手首を見せる。
そこには、骸骨のタトゥーがあった。
それも一体だけではなく、手首を取り囲むようにして、何体もある。
まるで死者が埋葬されているかのような不吉なそれに、目を丸くするプリムラ。
「こ、これは、一体……?」
しかしランはその問いには答えず、遠い目をして話しはじめた。
……アタイはガキの頃、カッパライをして暮らしてたんだ。
アタイはなんでも盗んだ。
金持ち相手にはもちろん、店先にあるパンや果物、時には犬のエサだって。
だってそうしなきゃ、生きていけなかったんだからな。
そんな暮らしをしてた頃、アタイは『ゴージャスマート』に盗みに入ったんだ。
でも、ちょっとドジっちまって捕まっちまった。
店員たちはアタイを衛兵に突きだそうとしてたけど、店長は違った。
なんとこのアタイを、この店で働かせたいなんて抜かしやがったんだ。
……そう、オヤジだよ。
オヤジはまわりの反対を押し切って、アタイを店員として雇ってくれたんだ。
そんなことを言ってくれるヤツなんて、今までいなかった。
それがアタイは嬉しくって、一生懸命がんばって働いたんだ。
でも、アタイはまだガキんちょで、躾けなんてぜんぜんされてなかったから……。
掃除をやっても品だしをやっても、接客をやっても失敗ばかりだった。
それもちょっとした失敗じゃなくて、まわりを巻き込んで被害を大きくするような、最悪の失敗ばかり……。
店員たちはアタイを追い出そうとしてたけど、オヤジはなぜか、絶対にアタイを見捨てなかった。
信じられるかよ?
親にまで見捨てられ、社会にまで見捨てられてきた、このアタイなんかを……。
オヤジはそれこそ、数え切れないほど庇い続けてくれたんだ。
でも、アタイが失敗すればするほど、オヤジの立場は悪くなっていく……。
これ以上オヤジに迷惑はかけられないと、アタイはオヤジに店を辞めるって言ったんだ。
そしたらオヤジは、なんて答えたと思う?
「……失敗は、死者のようなものです。ずっと引きずってもしょうがないし、ときどき思い出してあげる程度でちょうどいいんです。そして、死者も望んでいるはずです。自分の死が、いま生きている者の糧となれば、幸せだ、と。ここでランさんが辞めてしまったら、失敗という名の死者たちは浮かばれませんよ」
「で、でも……アタイがこれ以上失敗したら、オヤジに迷惑が……」
「ランさんには、商売の才能があります。まわりを巻き込んで、大きなうねりに変えていくという、素晴らしい才能が。今はそれが悪いほうに働いていますが、ランさん自身が、その力に気付いて使いこなせるようになれば、きっと大成功します。私を信じて、もう少しだけ頑張ってみませんか?」
……アタイは、店を辞めるのを辞めた。
そして、タトゥーを彫るようになったんだ。
失敗1回につき、骨1本……!
人間の骨って、何本あるか知ってるか?
だいたい200本くらいなんだってよ。
だから、アタイの腕にあるこの骸骨1体は、失敗200回分ってワケだ。
骸骨は5体ほどあっから、アタイは一人前になるまで、1000回以上も失敗したことになる。
この意味がわかるか、ガキんちょ。
アタイはなぁ、オメーの1000倍失敗してきたんだよ……!
今のオメーは、店を辞めようとした時のアタイにソックリだよ。
『オヤジに迷惑がかかる』なんて寝ぼけたこと抜かしてた、アタイとおんなじだ。
いっちょまえに、大人の心配なんてしてんじゃねぇーよ!
まだヒールも履けないガキんちょのクセして、背伸びなんかしやがって!
ガキんちょは失敗して、当たり前……!
悩んでるヒマがあったら、まずはぶつかってみろ!
無理に背伸びした、ヨチヨチ歩きじゃなく……。
地に足つけた走りで、全力で、めいっぱい、ズガーンってな!
……ズガァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーンッ!!
ランの一喝に、落雷に打たれたようにショックを受けるプリムラ。
寝不足で血の気のない顔を、さらに青くしている。
ランの独白には、驚きポイントが無数にあったのだが……。
その中でも彼女の心をわし掴みにしていたのは、
「背伸び……?」
瞬転、プリムラの瞳に、満月もかくやという光が宿る。
それも、『1月の満月』さながらの、真新しい輝きが……!
「あ……ありがとうございます! ランさん! わたし……背伸びします!」
「ハァッ!? いまのアタイの話を聞いて、なんでそうなるんだよっ!?」
「わたしの背伸びなど、まだまだだとおっしゃりたかったのですね! これからはもっと、もっともっと背伸びさせていただきます! そしていつしか、おじさまのくち……!」
プリムラは急き込んで宣言していたが、途中でとんでもないことを口走っていることに気付き、キュッと唇を閉じた。
赤くなっていく顔を伏せ、ごまかすように羊皮紙に新たなるスケッチをはじめる。
ひとりで青くなったり赤くなったりしているプリムラを見て、ランは唖然とするばかり。
「いったいどうしちまったってんだ、このガキんちょは……。でもまぁ、元気になったからいっか」
自分なりのブレイクスルーを果たしたプリムラは、数時間で新製品の構想を練り上げ、その日のうちに試作品まで作り上げてしまった。





