20 ローンウルフ 2-1
ガンクプフル小国において、衰退していたはずの勇者ブランドが息を吹き返しつつあった頃。
『スラムドッグマート』においては一大事なのであるが、同社の社長であるオッサンは、なにをしていたのかというと……。
まだ、セブンルクス王国にいた。
王都で住民登録の手続きをすませたあと、暮れゆく河原でひとり寝そべり、もの思いにふける。
『無事、セブンルクスの国民になることができました。となると残るは、この国からどうやって出るか、ということです』
オッサンの視界には、妖精少女たちが飛蚊のように浮かんでいた。
紅の光が差し込み、ふたりの白と黒のドレスは燃えるように彩られている。
『そういえばセブンルクスは、出国も制限されているんでしたね』
と白き妖精が言う。
『プルたちの翼で、飛んで出ればいいのに』
と黒き妖精が後を引き継ぐ。
オッサンは答えた。
『それは最後の手段ですね。今はまだ、この国の正規の方法で出国する手段を考えたほうがいいでしょう。それと、今後もこの国に入国することになりますので、フリーパスのようなものが手に入るのが理想ですね』
『いま、この国とエヴァンタイユ諸国を自由に行きできるのは……勇者と、犯罪捜査などをしている一部の憲兵だけのようですが』
『そうですね。前者は無理筋なので、明日の朝から、後者あたってみましょう。そしてできることなら、明日じゅうにこの国を出ておきたいですね』
『うん! プル、早く帰りたい! おうちに帰ってごはんが食べたいよぉ!』
『まったく、プルったら……。そういえば我が君、ごはんといえば、大丈夫なんでしょうか?』
『それを私も心配していました。持ちこたえてくれていればいいんですが……』
オッサンは奴隷になるという、ひとつ間違えば人生を棒に振ってしまうような大胆な作戦でセブンルクス王国に潜入した。
しかしそれすらもオッサンにとっては『予定調和』だったのだが……。
ただひとつだけ、心配事があった。
それは、『生ける想定外』の存在である。
オッサンは現在、セブンルクス王国にいるのだが、それは誰も知らない事実。
今なおグレイスカイ島の神殿にある自室に缶詰になって、セブンルクス王国攻略のためのアイデア出しをしている。
表向きには、そういうことになっているのだが……。
そのオッサン部屋の前には、朝からずっと貼り付いていたのだ。
マザー・リインカーネーションが……!
「ねぇ、ゴルちゃん、朝ごはんも食べないでどうしたの? オネムなの? それともポンポン痛いの? ママがつきっきりで看病してあげる! だからお願いだから、ここを開けて!」
彼女は、家族の日課である朝食を一回すっぽかされただけで、この有様であった。
それどころか聖務まですべて休んで、ずっとこの調子であった。
もし部屋の中から返答がなければ、彼女は持てる力の総力を結集して扉をブチ破っていただろう。
でも、そうはならなかった。
「マザー。仕事に専念したいので、朝食は結構です。食べ物は買い置きがあります。今はひとりにしておいてください」
中から、くぐもった返答が返ってきていたからだ。
でも、そんなことで引き下がる彼女ではない。
「そう思って、ごはんを持ってきたのよ! 食べないとゴルちゃんが死んじゃう! お願いだからここを開けて、ママのごはんを食べて! そしてほんの少しでいいからママに、そのかわいいお顔を見せてちょうだい! それだけで……それだけでいいの!」
数時間顔を見ないというだけで、まるで数十年引きこもっている息子のような扱い。
とうとう涙声になって、扉にすがりつく。
「い……いまならまだ、間に合うわ……! お、お願い……! お願いだからぁ……!」
しかし本当に泣きたいのは、部屋の中の人物だっただろう。
『ご、ゴルドウルフさんっ……! は、早く帰ってきてくださいぃ! 僕のモノマネでは、もう誤魔化しきれません! そ、それに……こんなに心の痛むモノマネは、初めてですっ!』
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
本物のゴルドウルフは、次の日の早朝から活動を開始していた。
セブンルクス王都の市街を、朝食を探してゴミあさりをするホームレスのフリをして徘徊する。
すると、とある公園の中に、人だかりを見つけた。
王都における、朝の公園というのは、散歩する人や通勤で通りがかる人がいるため、屋台が出るほど賑わうのだが……。
それでも、一箇所に人が集まるというのは珍しい。
オッサンは何事かと、覗きこんでみると……。
芝生の上に、身体をよじって倒れた白いローブの女性。
カッと見開いたまま閉じることのない眼に、苦悶の表情。
ひと目で彼女は、すでにこの世にはいないことが覗えた。
死体には、憲兵らしき男がひとりと、衛兵らしき男がコンビになってしゃがみこんでいる。
下っ端らしい衛兵の男が死体を改めたあと、憲兵の男に向かって言った。
「エイトの旦那! やっぱり『野良犬』の仕業みたいですぜ!」
「これで、5人目ですね。野良犬は、新聞で最初の殺害予告してからというもの、女性ばかりをターゲットにしている」
「それにこの聖女も、いままでの被害者と同じで、嘔吐をしています! 手口まで同じみたいですぜ!」
「嘔吐しているということは、腹をいっぱい殴っての殺害でしょう」
「でも旦那、どうしてなんでしょうね? 女だけを、たて続けに5人も殺るだなんて……?」
「それにはふたつの理由が考えられます。まずひとつ目は、腹筋の弱い女性であれば、腹を殴っての殺害が可能であるということ」
「なるほど、そいつぁ盲点だった! さすがは旦那だ! で、もうひとつの理由は?」
「もうひとつの理由は、野良犬による、私たちへの挑戦でしょう。野良犬は難解な連続殺人事件をけしかけ、手をこまねいている私たちを、どこかで見て笑っているに違いありません」
エイトと呼ばれた憲兵は、自分の発した言葉にハッとしたような顔をしていた。
そして立ち上がると、ヤジ馬に向かって叫んだ。
「ヤジ馬のみなさん、そこを動かないでください! いま、私は閃きました! この王都を騒がしている連続殺人鬼である『野良犬』は、この中にいるっ!」
悲鳴まじりにざわめくヤジ馬たちに向かって、エイトは続ける。
「そうです! 野良犬はこの国の正義に挑戦状を叩きつけるような殺しを繰り返してきました。ということは、挑戦状を受け取った私たちが、どんな反応をしているか気になっているはずです! きっと野良犬はここにいます! ふたたび現場に戻ってきて、私たちの様子を伺っている……!」
恐怖のあまり、ヤジ馬は逃げだそうとしたが、エイトはそれを許さなかった。
「待ちなさい! どうやら私の手に、引っかかったようですね! いま逃げようとした方は、自分が野良犬だって、白状したも同然です! ハチ君っ! ここにいる全員を逮捕しなさい!」
「へい! がってん承知でさぁ!」
捕縛の手はヤジ馬全員に及び、当然、その中にいたオッサンにも及ぶ。
ハチという名の衛兵が縄をかけようとしたが、オッサンはその手を遮った。
「ちょっと待ってください。ここにはあなたがたの言う『連続殺人鬼の野良犬』はいません」
すると、ハチがガラの悪いチンピラのように突っかかってきた。
ハチは身体が小さく小太りで、タヌキのような顔の男だった。
「なんだぁ、テメーはホームレスかぁ? そういうテメーがいちばん野良犬みてぇなカッコしてるじゃねぇか!」
すると、エイトが止めに入る。
エイトは身長が高くスマートで、キツネのような顔の男だった。
「待ってください、ハチ君。そこのホームレス君、キミは何者なのですか?」
「わたしはローンウルフという者です」
「そうですか、ローンウルフ君。キミはなぜ、ここに野良犬はいないと思ったのですか?」
「それは、狙った人間がいつ死ぬかわからないからです」
「なんだとぉ!? なんでそんなことがテメーにわかるんだ!? やっぱりテメーが犯人じゃねぇか!」
「落ち着いてください、ハチ君。いま私が話をしているのですから、すこし黙っていてください。ローンウルフ君、なぜ、狙った人間がいつ死ぬかわからないと思ったのですか?」
ローンウルフは視線を落とし、エイトの腰に目をやる。
「いい短剣をお持ちですね。柄頭を見るからに、銀製のようですね。ちょっと、貸していただきたいのですが」
「テメェ! エイトの旦那の短剣で、なにするつもりだっ!? やっぱりテメーが……!」
ハチは飛びかからんばかりの勢いだったが、エイトに目線で制されて黙り込んだ。
エイトは腰の短剣を引き抜くと、鏡のように磨き上げられた刀身を持ち、柄をローンウルフに向けた。
「どうぞ」
「どうも」とそれを受け取ったゴルドウルフ。
聖女の死体に近づいて、しゃがみこむと……。
おもむろに、開いたままの彼女の口に、短剣を差し入れた。
「ヒッ……!?」と悲鳴がおこるなか、ゆっくりと立ち上がる。
そして、振り向いた彼が手にしていたのは……。
先端が黒ずんだ、短剣であった……!
「わたしがこの中に『連続殺人鬼の野良犬』がいないといった理由は、被害者の症状からして、凶器が遅効性の毒によるものだと思ったからです。さらに言うとこれは、『卑毒』によるものですね。『卑毒』は別名『銀の毒』とも呼ばれており、このように銀を変色させるのです」
そう、そこにはたしかに『殺人鬼の野良犬』はいなかった。
しかし、『野良犬』はたしかにいたのだ。
『名探偵の野良犬』が……!





