30 帰るべき場所
次の日の朝。
シャルルンロットがぼんやりと意識を取り戻すと、目の前に大いなるぬくもりを感じた。
「んふふ……おはよう、パパ……!」
飛びついて、ぎゅうと力いっぱい抱きしめる。
両腕をめいっぱい伸ばしても背中まで届かない、大樹のような身体。
ゴツゴツとして、骨ばっていて、鋼鉄のような筋肉。
夢にまでみた、強くてカッコいい、パパの身体……!
「んにゅぅ~っ!」と甘える猫のように胸板にスリスリし、体臭を胸いっぱいに吸い込む。
いわゆる『オヤジくさい』という匂いだったが、少女はそれが大好きだった。
あのチクチクするおヒゲにキスしたい。
一度ふざけてやったことがあるが、その時は払いのけられてしまった。
でも、今なら許してくれるかも。
少女はじゃらしを見つけた猫のように顔をあげ、お尻をフリフリ……。
したところで、困惑するゴルドウルフと視線がぶつかった。
「……おはようございます、シャルルンロットさん」
瞬転、お嬢様は「ひゃあっ!?」と突き飛ばそうとしたが、体重の差で彼女のほうが吹っ飛んでしまう。
ゴルドウルフはとっさに腕を回し、彼女を抱きとめた。
すべての害悪を退けるような、そのたくましい腕に包み込まれ、少女の心臓は人知れず跳ねまわる。
しかしそれとは裏腹に、心にもないことが口をついて出てしまった。
「は……離してくれる? 起き抜けだから、ちょっと寝ぼけてただけよ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
干しておいた魚と木の実で朝食をとり、渓流をあとにする。
皆が待つアントレアの街へと戻るため、並んであぜ道を歩くオッサンとお嬢様。
ゴルドウルフとしては錆びた風に乗って帰るつもりだったのだが、シャルルンロットが歩いて帰りたいと切望したのだ。
昨日の朝、同じ道を歩いていた彼女は「騎士のアタシがなんで歩かなくちゃいけないのよ」とブチブチ文句を垂れていたのだが、真逆の変わりようである。
散歩が楽しくてしょうがない犬みたいに、ゴルドウルフのまわりをクルクルまわりながら、お嬢様は言った。
「ねえねえゴルドウルフ! 我が『ナイツ・オブ・ザ・ラウンドセブン』の執事になりなさいよ! それもアタシの専属で! しがない店の店長をやるよりも、よっぽどいいわよ! ねっ、きーまり!」
「それはお断りします。私はもう、飼い主は持たないと決めたのです。それに、しがないお店でも、必要としてくださるお客様がたくさんおりますので」
「ええーっ!? ……んーと、じゃあ、じゃあさ! アタシのパートナーになりなさいよ!」
「パートナー、ですか?」
「そう! アタシと一緒に冒険するの! 生死をともにする相棒よ! 姫騎士の専属パートナーになれるなんて、そうそうない栄誉なんだから!」
「そうですね。専属は無理かもしれませんけど、シャルルンロットさんが姫騎士になった暁には、私が尖兵をつとめさせていただきます」
「ホントに!? じゃあ約束よ! ゆびきりね! ウソついたらグレートソード千本のーますっと! あはははっ!」
やんちゃな子ウサギのようにぴょんぴょんと跳ねまわり、金色のツインテールを元気いっぱいになびかせる。
弾けるような笑顔とともに、輝きをふりまくその姿は……光の精のようにまばゆく、愛らしかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『スラムドッグマート1号店』に戻ると、グラスパリーン先生と子供たちが待っていた。
せっかくのキャンプを台無しにしてしまったので、クラスメイトからの視線が痛い。
さすがのシャルルンロットも気まずくなったのか、顔をこわばらせ、緊張していた。
しかしゴルドウルフに促され、思いきって仰け反り、勢いよく頭を下げる。
髪の毛が渦を巻くほどの勢いをつけ、ぶんっ! と最敬礼すると、
「みんな、ごめんなさいっ! アタシのわがままのせいでみんなに迷惑かけて、ほんとにごめ……うおっ!?」
お嬢様の初めての謝罪は、ヘッドスライディングしてきた教師によって遮られてしまった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ! 無事でよかったぁ! シャルルルルルルルンロットさぁぁぁんんっ!! 私、心配で心配で……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーんっ!!」
「ちょ……ちょっとグラスパリーン! 人がせっかく謝ってるんだから、しがみつくんじゃないの!」
「だってぇ、嬉しくて嬉しくてぇ……! わぁんわぁん、うわぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーんっ! シャルルルルルルルンロットさん、ばんざぁーいっ!」
女教師の万歳三唱で、気まずく張り詰めていた空気がほどける。
いつの間にか、クラスメイトたちもまわりに集まっていた。
「もー、シャルルンロットちゃんは無事だって、昨日手紙を受け取ったのに……そんなに泣かないの、先生!」
「それよりもさぁ、誰もなんともなかったんだから、キャンプやりなおそうよ!」
「あっ、それいい! そうしようよ、先生! 私、シャルルンロットちゃんといっしょにキャンプファイヤーしたい!」
「でもよぉ、また先生がドジばっかりして、俺らに迷惑かけんじゃね?」
「それはみんなでカバーしてあげればいいじゃない! それにゴルドウルフ先生に教えてもらったことがあれば、何があっても大丈夫だよ!」
「それもそうだな! よぉーし、さっそくやろうぜ、先生っ! クラスも一致団結したことだし!」
「ええっ!? 今からですかぁ!? ウッドゴーレムがもうありませぇん!?」
「冗談だって! あははははははははははは!」
夏に咲き乱れる花のような、大輪の笑顔たちを眺めながら……ゴルドウルフも我が事のように微笑む。
そこに、立春に咲く花のような、控えめな一輪の少女が寄り添った。
「おかえりなさいませ、おじさま」
「ただいま戻りましたよ、プリムラさん。どうも、ご心配をおかけしました」
「いえいえ。シャルルンロットさんが行方不明だと伺ったときは、びっくりしましたけど……無事で本当にホッとしました」
「あ、そうだ、プリムラさんにお土産があるんですよ。これをどうぞ」
話の途中、ゴルドウルフは思い出したように、リュックから何かを取り出す。
「これは……? 木の実、ですか?」
「はい。マシバイの実といって、甘くておいしいんですよ。それに滋養強壮の効果もあるんです。最近、プリムラさんの元気がありませんでしたので、心配していたんです」
「えっ……? 私、元気がないように見えました?」
「ええ。グラスパリーンさんが店にいらしたとき、紅茶を床にこぼしましたよね? あの時からなんだか落ち込んでいるように感じました。もしそうなのであれば、これを食べて元気を出してください。プリムラさんは私にとって、大切な方なのですから」
さらりと飛び出した一言に、プリムラは虚を突かれる。
輝く海のような瞳を、ことさら大きく見開いた。
「ええっ……!? 私が……!?」
「はい。大切な『仕事仲間』に決まっているじゃありませんか。プリムラさ」
……プリーン!
ゴルドウルフの「プリ」のあたりで妙な音がかぶさり、ふたりのいいムードを断ち切った。
それはまさに、ダブルプリーン……?
いや……本当に音をたてて揺れていたのは、瞬間を目撃した少女の心だったのかもしれない……?
だとするならば、トリプルプリーン……?
見ると、『スラムドッグマート1号店』のショーウインドウの向こうには、この世の終わりのような顔をしたリインカーネーションがへばりついていた。
押し当てた巨大な胸を、水槽に貼り付いたクラゲのように、あたり一面に広げながら……!
次回、勇者ざまぁ展開です…!