192 最後の男4
宵闇に包まれた納屋から、雷雲のような光と、落雷のような爆音がおこった。
それは一瞬の出来事であったが、男にとっては永遠とも感じるほどの、長い時間。
男は、まばゆいほどの光の向こうで、見ていた。
大仏のように、安らかなる顔を浮かべる妻を。
その眉間に、鉛玉がゆっくりと触れ、埋まり込んでいき……。
白毫のように、わずかに残る、その様を……。
音のない世界で、ただ呆然と。
衝撃で、妻の首がもげそうなほどに、後ろにふっとぶ。
残った唇が、こう動いたように見えた。
…… あ ・ り ・ が ・ と ・ う ……。
と……!
そしてかくんと首を折る。
寸刻前まで、大切な命を預かっていた腹を、クッションにするように顔を埋め……。
それっきり、動かなくなった。
……ガシャリ……!
男は片時も手放さなかった相棒を、取り落とす。
そして、脚を八の字に開き、膝から崩壊するように、地面に伏した。
「ぐっ……! おおっ……! おおおおおおおおおっ! おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!」
男は、さらに泣いた。
地面を爪が剥がれるまで掻きむしり、指が曲がるまで殴りつけ……。
激情を、枯れ果てた声とともに絞り出す。
口から血を吐いてもなお、やめなかった。
それでも足りず、ミミズのようにのたうちまわりながら、土を食らった。
唸るように泣いた。
捻れるように泣いた。
千切れるように、泣き続けた。
次の朝を迎えても、さらに夜を迎えても、いつまでも、いつまでも……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
いつしか男は気を失い、そしてまたいつか、目を覚ました。
これは夢であってくれと、身体を起こす。
そして泥まみれになった顔を拭いもせず、祈った。
これは、夢であってくれ、と……!
しかし目の前で、腹を抱えたまま動かない存在を認めると、また嗚咽を漏らした。
「ううっ……! うぐううううっ……!」
――コイツは、アイツじゃなくて、俺を選んでくれたと思っていた……。
アイツのことなんて、もうすっかり忘れていると思ってたのに……!
いいや、俺もどこかで感づいていたのかもしれない。
だからこそ、俺のまわりで起こったことを、アイツに結びつけて……。
『ゴーコン』なんてものを、発動しちまったのかもしれねぇ……!
でもまさか……。
俺の知らないところで、逢瀬を繰り返していただナんて……!
男にふと、別の考えがよぎった。
――いや……。
もしかしたらコイツは、ウソをついていたのかも……。
俺に、殺されたくて……!
この逃亡生活を、終わりにしたくて……!
男は諦観した様子で、近くに転がっていた銃を拾いあげ、口に咥えた。
――もう、終わりにしよう……。
コイツが死んじまった以上、俺にはもう、生きている意味もナくナった……。
アイツのことナんて、もう、どうでもいいやナ……。
真実を確かめる術も、もうナいんだからな……。
男は撃鉄を引く。
……ガキン!
その音に、天啓が舞い降りたかのように……。
男は目を見開いた。
――いや、ひとつだけある……!
お腹の子が、俺の子だったのか、そうじゃないのか……。
アイツに、問いただすんだ……!
コイツが死んじまった以上、そんなことをしても意味はねぇ。
だが、俺が命をかけて守り抜こうとしたものが、ホンモノだったか、ニセモノだったのか……。
それを確かめてから死んでも、遅くはナい……!
絶望してる場合じゃねぇぞ、それすらも、アイツの狙いかもしれねぇんだ……!
俺は、まだ生きてやる……!
生き抜いて、真実を……!
『愛』を確かめてやるっ……!
男がそう思った矢先、
「うっ……うう~ん……?」
耳慣れた声が、足元から起こった。
男はゆっくりと視線を落とす。
そして、目が合った。
妻と……!
男は驚きのあまり、咥えていた銃を発砲しそうになってしまう。
慌てて投げ捨て、しゃがみこむ。
「お前……! 生きてたのか!?」
妻の顔も、男と同じく泥だらけだった。
手で払ってやると、痩せこけた頬が、力なく笑んだ。
「なによ、生きてたのか、って……。人をオバケみたいに言わないで……。それにしても、やっと朝なの……? なんだか、ずっと悪い夢を見ていたみたい……」
「おっ……! おおおっ……! おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」
男は妻を抱きすくめ、また泣いた。
枯れたと思っていた涙を、血のように溢れさせながら。
そして、誓う。
――もう、俺の子かアイツの子かナんて、どうでもいい……!
俺は、ナにを迷っていたんだ……!
今までのことは、迷っていた俺に喝を入れるために、神様が見せた夢だったんだ……!
でなきゃ俺は、ずっと大切にしてきたものを、自らの手で台無しにしちまうところだった……!
でも、もう目が醒めた……!
もう、迷わナいっ……!
守る……!
守り抜いてみせる……!
そして、ふたりで……。
いいや、3人で生き延びることこそが、アイツへの復讐にもなるんだ……!
その日は久しぶりに、男は妻に腕枕をして、床についた。
「ねぇ、あなた……生まれてくる赤ちゃんの名前、もう考えてあるの?」
「ああ、もちろんだ。とびっきりのやつをナ」
「なんていうの?」
「それは秘密だ。名前発表のときは、盛大なパーティを催すんだからナ。ワイルドテイルの集落をひとつ爆破して、そこで名前がわかるんだ」
「んまぁ!? それじゃあ、この子は生まれてすぐに、邪教徒の集落を皆殺しにするのね! なんて素敵なんでしょう!」
「俺の跡取りなんだから、そのくらいの手柄はプレゼントしなくちゃナ」
「うふふ! あなた、愛してる……! やっぱり、アナタを選んでよかった……!」
妻は身体を傾け、男に抱きついた。
「おいおい、あんまり動くんじゃナい。身体にさわるだろう?」
「いいじゃない、今晩くらい……」
妻が擦り寄ってきた拍子に、何かが男の顔に張り付いた。
指で摘まんでみると、それは……。
米粒のような大きさで、うねうねと蠢く虫であった。
「なんだ、ウジじゃねぇか」
今まではノミとシラミばかりであったが、ウジは初めてであった。
「いい加減、風呂に入らなきゃいけないみたいだナ。今度、民家を襲って風呂に入るとするか。久々だから、うまくいくだろう」
「んまぁ、本当!? お風呂に入れるの!? 嬉しい! もう何ヶ月も入っていないのよ!」
「ああ、ずっとそのキレイな顔が台無しだったからナ。ほら、まだデコに土が残ってるぞ」
男はやさしく言いながら、妻の額をやさしくぬぐった。
そして……息を呑んだ。
「ナ……!?」
そこに、あったのは……!
弾痕……!
妻の眉間に、脳に達するまでに深く穿たれた穴……。
そしてその奥底には、鈍色に光る、弾丸が……!
……夢では、なかった……!?





