29 悪魔の腕
星明りに照らされた花畑に、木を組んで作った簡素な墓標たちが浮かび上がっている。
その先にある、玄関が開けっ放しのログハウスの前には、倒れたひとりの男。
いや、もはや「ひとつの男」と呼ぶほうが正しいだろうか。
もはや二度と動きだすことのない、冷たくなった身体たちが、家の奥へと道標のように転がっている。
わずかな光明すら拒絶する暗闇の中で、ちびたロウソクの灯火のような、かすかな呻きがあった。
「……し、しらねぇ……よ……だれ、に……たのまれたか、なんて……」
声の主は見ていた。
巨体を誇る己の身体に、馬乗りになって見下ろすひとつの人影と、その横に寄り添う小さな影を。
人影の右側にしゃがみこんでいる、小さな影が言った。
「あーあ、とぼけないほうがいいと思うんだけどなぁ」
アリンコの巣を水責めにしている最中のような、少年じみた声。
その無邪気な言葉を、左の小さな影が引き継ぐ。
「そうですね。それに最期くらい、『良い行い』をなさってはどうですか? このままでは、泉下の客にすらなれなくなってしまいますよ?」
それは、諭しているようでいて……そうではなかった。
溺れるアリンコに向かって「どうせ助からないのだから、もっと滑稽にあがいて私たちを楽しませなさい」と言わんばかりの嘲りがふんだんに含まれている。
「う……うるせぇ……よ……それに……いつ、まで……ひとの身体に……乗って……やがん……だ……」
男は肺から声を絞り出しながら、自慢の胸筋を鳩のように張る。
乗っている影をなんとかして振り落とそうとしたが、
……ガッ!
それより早く、影の掌によって顔を掴まれてしまった。
ヒトデの裏側が張り付いているかのような、ゾッとするような感触に覆われ、男は「はぐうっ!?」と息を絞り出す。
それは、まるで巨大な蜘蛛。
いや、深海にいる、謎の生物。
いや……惑星の外からやって来て、人間の身体に卵を産み付ける、侵略者のような……。
死の淵に立たされてなお、身の毛がよだつ恐ろしい存在であった……!
そして、直後、思い知らされる。
男が生まれてこのかた感じたことのない、最恐感覚だったソレは……子供の使いでしかなかったことに……!
ブラッドムーンのような真紅の瞳が輝き、そして影の全貌が明らかになる。
妖絶なる極光に照らされ、男は全身が氷漬けにされたような蒼白のカタマリと化す。
彼の顔を掴んでいたのは、筋肉標本のようにむき出しで、マグマのような赤熱する血管が浮き出た、異形の腕だったのだ……!
それは、悪魔の左腕、混沌の邪手、
その名も、ストームブリンガー……!
生き血をすすり、魂をもしゃぶり尽くす、この世のモノならざる悪魔の御業……!
脳みそをシェイクのようにチュウチュウする、悪鬼羅刹のストロー……!
……ずぞぞぞぞぞぞぞぞっ……!
『吸収』、されるっ……!?
蛭のプールに投げ込まれたような感覚に包まれ、男はたまらず叫びだした。
「しゃっ、しゃべるしゃべるしゃべる! なんでもしゃべるからっ! ゆ、許して……! ……アアァーーーッ!?!?」
ようやく身の程を知ったようだが、彼に浴びせられたのは、非情なるふたことだった。
「もう遅いよー! だからとぼけないほうがいいよ、って言ったのにー!」
「ストームブリンガーは一度発動してしまうと、対象を完全に喰らい尽くすまでは止められないのです」
……ズグヴァァァァァァァァァァァァァッ……!!
まるで身体が樹木になってしまったかのように、肌が渇死し、固まっていくのを感じる。
そして……耳穴に突っ込まれた管から、脳をズルズルと引きずりだされ、記憶までもが奪われていく感覚に囚われた。
制御装置が壊れ、高速回転するメリーゴーラウンドのような走馬灯。
そのなかで、男は視た。
いや……影も、天使や悪魔のような少女たちも、同じモノを視ていたことだろう。
路地裏に蠢く、数十匹のゴキブリの姿を。
『……今回の仕事は、ガキをさらうことだ』
『また人さらいかよ、そろそろ村のひとつも襲いてぇんだがなぁ』
『つべこべ言うな。ターゲットはアントレアの街にある、下級職小学校のガキどもだ』
『下級職小学校? そんなヤツらさらって何になるってんだよ?』
『まあ聞け、そのガキどもの中に「ナイツ・オブ・ザ・ラウンド」の娘がいるんだ』
『騎士の名門じゃねぇか、なんでそんなサラブレッドが、こんな小国の下級職学校にいんだよ?』
『そこまでは知るかよ。でもやる事はいつも通りだ。俺たちがガキをさらって人質に取ったあと、依頼主の戦勇者様が華麗にやってきて、救出するって流れだ』
『ははぁ、わかったぞ。今度はデカい魚を狙おうってわけか。「ナイツ・オブ・ザ・ラウンド」の娘を助ければ、勇者としての評価はうなぎ登りだからな』
『それに、勇者一族が手を焼いてる騎士どもに、貸しを作りたいってのもあるんだろ』
『まさか俺たちの悪事がぜんぶ、街の英雄である戦勇者クリムゾンティーガー様からの依頼だなんて、街のヤツらは誰も思ってねぇだろうなぁ』
『そうだな。でもだからこそ俺たちは好き放題できるし、捕まることもねぇんだ。クリムゾンティーガー様々ってヤツだ』
『でもよぉ、なんかシャクに触るよなぁ……コイツをネタに脅してやりゃ、ヤツからもうちょっとイイモノが引っ張れんじゃねぇか?』
『お、おいバカっ! よせっ! 滅多なことぬかしてんじゃねぇよ!』
『……ああん? イイモノがなんだって?』
『ああっ!? クリムゾンティーガー様っ!? い、いらしてたんですね!?』
『ああ~ん? 久々にくっせぇゴミ溜めに来てやったら、でっかいネズミがいんじゃねぇかよ、ああんっ!?』
『お、お許しください! クリムゾンティーガー様っ! ほ、ほんの冗談で……!』
『ああん? ソレ、俺のパーティにいた、使えねぇオッサンのオヤジギャグと同じくれぇ滑ってんだけど。……おい、コイツ、「ドブネズミ」だ』
『そっ、そんな!? それだけは、それだけはお許しくださいっ! クリムゾンティーガー様っ! クリムゾンティーガー様ぁぁぁぁぁーーーーーっ!?』
この時、戦勇者クリムゾンティーガーは潮時を感じていた。
そして、決意していた。
今回は、ターゲットであるお嬢様を救出するまでは、いつも通りのシナリオで行う。
そのあとは、いつもなら逃してやる野盗役のヤツらを全員しばりあげ、クツワをかませて街へと連行する。
そして……アントレアの街の広場で、斬首刑を決行……!
長きに渡って街を悩ませてきた悪党どもの首を、民衆どもの目の前で跳ねてやれば……勇者としての評価は揺るぎないものとなる……!
過去に喫したクエスト失敗のミスは、これで帳消し。
ミノタウロス討伐のオマケも付ければ、再び畏敬と羨望の眼差しを集めることができるだろうと考えていたのだ。
しかしこの計画は、二重の意味での失敗となる。
ひとつめは、野盗はすでにゴルドウルフの手によって、この世にはもういないということ。
そして、ふたつめ。
計画の一端が、ゴルドウルフに知られてしまったこと。
これは同時に、彼のスイッチに触れてしまったことを意味する。
危険色に彩られ、プラスチックのカバーに守られた、地獄の門戸を開くスイッチを。
その奥に眠る、オッサンの閻魔の心を、ついに開闢させてしまったのだ……!
戦勇者クリムゾンティーガー・ゴージャスティスの運命や、いかに……!?
クリムゾンティーガーがどうなるのかは、あと2話で判明します!
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