175 木になる(ざまぁ回)
勇者は確信していた。兵士は確信していた。男は確信していた。
臓腑が暴れ、胃液がひとりでにせり出してくるような激痛に。
脳髄が痺れ、枷がはずれたように頭蓋骨を内からたたくような劇痛に。
死ぬ間際になると視るといわれている走馬灯も、暴走列車のようにとおりすぎていった。
生命の危機などとっくに通り過ぎていくほどの未曾有の苦痛に、確信していた。
これは、二度とは戻れぬ『石化』であると……!
彼にはもはや、勇者としての地位も名誉も、プライドもなかった。
少しずつまだらになっていく肌が、正気を奪っていく。
自分が自分でいられるうちにと、彼は泣きすがった。
天使と悪魔ともつかぬ、少女に……!
光輪のようなドレスをふわふわさせながら降臨した、小学校低学年くらいの少女。
ふわふわの綿菓子を瞳に映しているかのような、夢見がちな瞳に向かって、男は涙ながらに訴える。
「た、たのむ……! も、もう、やめてくれ……! 俺が、俺がいったい、なにをしたっていうんだ……!?」
少女は、オウムのように唇を動かす。
「『なにをしたっていうんだ』……。それは、あなたたち勇者が今際に、よく口にする言葉ですね。多くのワイルドテイルたちを殺めておいて、そのようなことをおっしゃるんですね」
「そ、それは……! ヤツらは、邪教を……!」
「そのお気持ちはよくわかります。ルクも虫をよく殺しますので。理由はなんだっていいんですよね。むしろ大義名分を振りかざすよりも、理不尽な理由で殺すほうが楽しいですよね。目の前にいたから、とか」
「ひいいっ!?」
「ですので、あなたたち人間がいくら功徳を詰もうが、いくら罪を犯そうが、ルクには関係ないのです。ルクにとっては、我が君がすべて……」
「ま……まいろーどっ!?」
「はい。我が君からのお許しが出たからこそ、ルクはこうして人間を嗜むことができているのです」
男は総毛立った。
少女がほんとうに、虫に接しているかのようだったからだ。
発している言葉が通じているかどうかなんて、どうでもいい様子で。
地面にしゃがみこんで、逃げ惑うアリを捕まえ、器用に手足をもぐ子供のように。
ダルマにしたあと殺さず、そのまま地面に放り棄てるように。
ただ四肢を失ったアリが、芋虫のようにのたうつ様を、じっと見つめるように……!
男の正気を失わせたのは、痛みではなかった。
「ひっ……!? ひぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいーーーーーーーっ!?!? あぐぎゃあがぐぶぶるぎゃうぐぎぎぎぎっ……! ひいっ!? ひいいっ!? ぎいいいいいいいいいいーーーーーーーーーーーっ!!!!」
人間が身体から出しうる体液が、一度に噴出する。
汗も、涙も、鼻水も、ヨダレも……。
血や髄液、尿や子種すらも、いっぺんに。
……どばしゅっ……!
真剣で一刀両断されたようなしぶきが舞い上がる。
しかしそれは、散り際の美しい鮮血ではなく……。
心の肥溜めから吹きだしたような汚液であった。
「あがっ……! はがっ……! ひぎぎぎぎぎっ……!!」
いままでの罪が、粘塊となって自分に返ってきたかのように、全身がヘドロまみれになる。
あふれる涙までもを糞飾されてしまった、男は……。
天を仰ぎながら、池の鯉のように口をパクパクさせていた。
口を動かすたび、カヒューカヒューと、虎落笛のような音がわずかに漏れ出る。
酸素が足りない状態が続いているのか、顔はすでに青白く、顔中の血管がびっしりと浮き出ていた。
石化が喉にまで達したものの、そこでいったん終わってしまったので、気道が中途半端に詰まった状態なのだ。
その苦しさを例えるならば、真綿でずっと首を絞め続けられているような……。
いや、ゴルフボールがずっと喉に詰まっているかのような……。
普段なら一瞬で終わるはずの生命の危機に、ずっと苛まれているような、気の遠くなる感覚であった。
いつまで経っても死ねない。
その苦しみは、永遠に続くかと思われた頃、
「……コ……コロ……シ……テ……コロ……シテ……。タノム、カラ……モウ……ヒトオモイニ……」
男は、自ら死を選んだ。
四肢をもがれたアリンコのように、自由にならぬ身体を、懸命にのたうたせて。
すると……。
少女はついに、ほほえみをくれた。
願いを聞き届けてくれた、天使のように。
「……ア……アリガ……トウ……」
男は救済されたかのように、心の奥底から滲み出てきたような、嬉し涙を流す。
しかし、寸刻、
「勇者は、死んだって楽にはなれないんですよ?」
もはや、言葉は通じていなかった。
降りくるのは、一方的な通告のみ。
……ルクの『石化』は、5秒ほどで終わります。
ちなみにまだ、1秒も経っていませんよ?
人間というのは、苦痛を感じると、時間を3600倍にも感じてしまうのでしょう?
いま感じているのは熱湯どころではないでしょうから、360000倍といったところでしょうか?
それを速くすることは簡単ですが、それだとつまらないでしょう?
味わい深い書物は、速読して読み終えるよりも、1ページづつゆっくりとめくって、すみずみまで味わうのと同じように。
あと、もうひとつ教えてさしあげます。
普通の『石化』というのは、石化している最中は意識も感覚もなくなります。
あなたたちの言葉でいうなら、『仮死状態』ということでしょうか。
でも、ルクの『石化』は意識も感覚も残ります。
現に、耳も目も石化していますけど、見えるし聞こえるでしょう?
あなたたちの言葉でいうなら、『植物状態』ということでしょうか。
でも、安心してください。
五感と脳だけは自由にしてありますから。
細胞が石化していますので、自分の力では一歩も動くことはできませんけど……。
かわりに、老化で死ぬこともありません。
……あなたはこれから、永遠に生きることができるのです。
『標本』として……!
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声なき悲鳴が轟く。
少女はすでに、次の『本』のところに向かっていた。
「あっ、プル。私のを取らないでください。北側と南側で、1800ずつで分けたではないですか」
「だってぇ、たった1800なんて、一瞬だよ! もう終わっちゃったから、ひと口ちょうだい!」
「どうせ、いちどにまとめてやってしまったのでしょう。ルクのようにひとつずつやれば、少しは長く楽しめるのに……」