27 狼とウサギ
森に囲まれた小さな湖のそば、切り開かれた草原の中にその家はあった。
丸太を組んで作られたログハウス、軒先には一面の花畑。
夕闇おちる中で、ある一箇所だけが、ひと足早く夜を迎えたように暗い。
赤黒い薔薇が広がる中央には、お互いをかばい合うようにして横たわる、少女と犬が。
その表情は、眠れる森の美女のように安らかではない。
恐怖と理不尽さを顔に張り付かせたまま、硬直していた。
ウッドデッキの向こうにある、開け放たれたままの玄関扉から、野太い笑い声が垂れ流しになっている。
奥に見えるリビングでは、毛皮や鋲でものものしく飾られた革鎧をまとう、むくつけき男たちが椅子の上にふんぞり返っていた。
テーブルの上には、野良犬が食い散らかしたような料理の跡が転がっている。
テーブルの下には、それらを用意させられたであろう夫婦が転がっていた。
ほろ酔い気分の男たちは、ダーツに興じている。
リビングの壁にはダーツ用の的が掛けられているのだが、誰もそれは狙っていない。
的の真下には、かつては身なりの良かった少女が磔にされている。
いつも自慢していた胸当ては外され、矜持であった騎士ドレスには見る影もないほどに引き裂かれ、ところどころに血が滲んでいた。
……ヒュッ!
不意に、風切り音とともに、少女のこめかみのあたりをダーツの矢がかすめた。
当たりはしなかったものの、羽根の重さでだらりと垂れ下がったそれは、彼女が流した血の涙のように見える。
どっ! と男たちは沸いた。
「ああーっ! 惜しい! あとちょっと横だったら、高得点の目玉だったのによー!」
「それよりも見てみろよ、あのお嬢様のツラ! すんげぇコッチを睨んできてやがる!」
「ぎゃははははは! いいじゃねぇか! ビビってばかりだったこの家のヤツらより、よっぽど遊び甲斐があるぜ!」
「ガキの誘拐なんて退屈だと思ってたが、こうやって工夫すれば、案外楽しめるもんだな!」
「それに、かっさらうチャンスを伺ってたら、まさか向こうからノコノコやってくるとは思わなかったよなぁ!」
「ガキどもを全員さらって、お嬢様以外はブッ殺すつもりだったんだが……手間が省けたぜ!」
「でもよ、ガキどもの教師って若い女なんだろ? 丸ごとさらってりゃ、もっと楽しめたんじゃねぇか? こんなババアよりもよ!」
ある男が忌々しそうに言いながら、テーブルの下を蹴り飛ばした。
「なーに、どうせ小学校の先生なんざ、ガリ勉のヘチャムクレに決まってんだ。それならブタとヤルほうがまだマシだぜ!」
「ヘチャムクレでも、袋をかぶせちまえば同じだろ!」
「そいつはちげねぇねえや! ぎゃははははははは!」
下卑た笑い声が食卓を包むなか、ひとりの大柄な男が立ち上がる。
「次は俺の番だな」
ドスンドスンと威嚇するような足音をたてながら、壁に近づいていく大男。
指でつまんで矢を回収すると、標的役の少女がムームーとなにかを訴えかけていたので、クツワを外してやった。
「……気安くさわんじゃないわよっ! このデカブツ! 図体ばっかりデカいだけのくせに、このアタシをこんな目にあわせて、ただですむと思って!? コレをほどきなさいよっ! そしたらすぐにでも、その鳩の胴体みたいな見かけだおしの腕をへし折ってあげるから! あっ、よく見たら、胸も鳩みたいじゃない! この鳩男! 豆鉄砲くらわすわよっ!?」
その場にいた男たちは、てっきり命乞いでもするのだろうと思っていたのだが……意外や意外、お嬢様の第一声は罵倒だった。
しかも鳩男というネーミングがストライクだったのか、笑いまで誘ってしまう。
背後から、クククク……と押し殺すような声を聞き、鳩男は激昂した。
「てんめぇ! 脚だけじゃなくて、腕まで折られてぇのか! だったらよぉ、お望みどおりにしてやるよっ!」
大の字に広げられていた、お嬢様の二の腕がガシッ! と掴まれ、力いっぱい握りしめられる。
鳩男の手は、お嬢様の顔を握りつぶせそうなほど大きい。
そんな彼にとって、女の子の華奢な腕など小枝同然だった。
「ぎいいいっ!? やっ、やめて! やめてやめてやめてっ! やめてぇぇっ! 助けて! 助けて助けて助けてぇっ! ぱっ、パパぁ! パパぁぁぁぁっ!!」
胃液が逆流するほどの激痛に見舞われ、強気のお嬢様もたまらず叫んでしまう。
ようやく期待どおりのリアクションが引き出せたので、鳩男はニタリと顔を歪めた。
「げへへへ! 痛ぇだろう! もっと泣け! 喚け! だがいくら泣きわめいても、パパは来ちゃくれねぇよ! げへへへへへへへへへへ! げへっ! げ……へへへ……へ……」
笑い声は、絡みつくような嫌らしさだった。
そしてそれは、さらなる嘲笑へと発展しそうだったのだが、なぜか途中でしおれてしまう。
「へ……へ……」
力ない笑いとともに、ぐらりと揺れると、
ズズゥゥゥンッ!
家じゅうを揺らすほどの振動とともに、床に倒れ伏してしまった。
仲間の男たちが何事かと覗き込んでみると、鳩男は胸筋をさらに強調するかのような仰け反りポーズで、目を開けたまま動かなくなっている。
「し、死んでる!?」
「死んでるって、そんな、バカな!?」
「おい、首になんか刺さってるぞ!?」
鳩男の首をよく見ると、フランケンシュタインのボルトのように、端から端まで金属片のようなものが突き通っていた。
誰かがそれに手を伸ばそうとしたが、聞き覚えのない声に止められる。
「触らないほうがいいですよ。抜いたら本当に死んでしまううえに、家じゅう血だらけになりますから。そんな死に様、子供には見せないほうがよいでしょう」
男たちは一斉にハッ!? と顔をあげる。
すると、そこには……すでに拘束を解放し、お嬢様を背負っている見知らぬオッサンの姿があった。
「なんだテメェは!?」
「シャルルンロットさんを迎えに来た者です」
オッサンは、「出前を届けにきました」くらいの平易さで答える。
男たちは「なにっ!?」と驚き、玄関のそばにいた下っ端が、勢いよく外に飛び出していった。
わずかな間の後、庭からの声が飛び込んでくる。
「……ま、まわりには誰もいねえぞ! そのオッサンひとりだ!」
「はっ! なんだよ、脅かしやがって! たったひとりで来たのかよ!?」
「はい、私ひとりで来ました」と律儀に頷き返すオッサン。
「ははっ! なかなか面白ぇオッサンじゃねぇか! この人数相手に、たったひとりで乗り込んでくるだなんて!」
「はい、それでじゅうぶんだと判断しましたので」と再び首肯する。
「お前さんにゃじゅうぶんかもしれねぇが、俺たちには物足りねぇんだよなぁ!」
「そーそー! ダーツの的にするくらいしか、遊びようがねえもんな!」
「ガキは人質だったからダーツの矢を使ってたけど、このオッサンなら手斧でもいいだろ!」
「そうだな! それだったらちっとは楽しめそうだ!」
そう言いながら、じりじりと包囲網を狭めてくる男たち。
オッサンはなおも真面目な顔で言った。
「……皆さん、ダーツがお好きなんですね」
そしてうつむく。
「……この家に住んでいた、善良な木こりの家族だけでは飽き足らず……。連れ去った子供の脚を折って、逃げられなくしてまで、ダーツの的にするだなんて……絶対に、許しませんよ……?」
……ギンッ!!
上目遣いを向けられた男たちは、別人のような眼光に思わず後ずさる。
銀色の瞳に、ギロチンの刃のような重苦しい輝きが通り過ぎていく。
それはただならぬ鬼気を放ち、ならず者たちは死刑囚のように動けなくなってしまった。
「て、テメェっ!? なんだその目はあっ!?」
……嗚呼……!
この時、彼らが気づいていれば……!
すでに斬首台にかけられている己の立場に気づき、いままで犯した罪を悔い改めていれば……!
苦しい投獄生活が待っているものの、命だけは助かったかもしれないのに……!
「はっ、はんっ! そんなチンケな睨みで、俺たちがビビるとでも思ってんのかよぉっ!?」
心臓はバクバク、脂汗はドクドク、身体はプルプル、頭の中はウォンウォン……!
せっかく全身が、警報を発してくれているというのに……!
臆することなど、決して恥ではないのに……!
狼を前にしたウサギが逃げ出すことに、誰が責めるであろうか……!
むしろ立ち向かっていくほうが、馬鹿だと揶揄されてしまうというのに……!
草を食むための前歯をいくら振りかざしたところで、刈れない……!
狼の肉球のまわりにある毛すら……!
「かっ、かまわねぇ! もうブッ殺しちまえっ! うおおおおおーーーーーっ!」
背中に担いだ蛮刀を抜きつつ、大上段で挑みかかってくるウサギたち。
狼はそれを踊るようにかわす。
背中に少女を担いでいるとは思えないほどの軽やかさで。
近くの棚にあった羽ペンを、レターナイフを、ノーモーションで放つ。
……ドッ! ドッ!
まず、ふたつ。
喉元深くに突き立てられた男たちが、前のめりになって倒れた。
大根斬りをかいくぐりつつ、テーブルまで近づくと、今度はナイフとフォーク。
無数の銀閃が、いっけん対人用地雷のように不規則に飛び、しかし正確に、野盗どもの眉間を貫いていく。
フィギュアスケートのような流れる演技で、玄関扉のそばまで近づくと、壁にかけてあった鍵束を取る。
ジターリングで遊ぶかのように振り回すと、
……シュランッ!!
円環から滑る音とともに鍵が外れ、残った者たちのハートをこじ開けるかのように、心臓に突き立った。
「うらああああああああああっ!!」
不意に背後から、雄叫びがぶつかってくる。
ゴルドウルフがとっさに振り返ると、そこにはちょうど見回りから戻ってきたのであろう、最後の一人がいたのだが、
……ドサッ!
剣を振りかぶった体勢のまま、崩れ落ちてしまった。
いったい誰が……? と思ったのだが、オッサンの肩のあたりから伸びた小さな手が、握りしめたロングナイフを振り、ついたばかりの血を落としているところだった。
「……なによ。この剣って、アタシのために作ったんでしょ」
オッサンは別に何も言ってないのに、背後のお嬢様は「何か文句あるの?」とでも言いたげな、不服そうな声をあげていた。
次回、お嬢様がデレる…!