154 ザマーの『癒し』
マザー・リインカーネーション・ホーリードール。
プリムラ・ホーリードール。
世界でナンバーワンとナンバーツーを独占していた聖少女たちの、新雪のような頬に……。
赤き鮮裂が一閃した。
それは、世界最高の珠玉が、ひび割れた瞬間。
それは、世界最高の名画が、切り裂かれた瞬間。
いいや……。
この美しき星が、真っ二つに割れたような……。
世紀末が訪れたような、瞬間であった……!
もしこの世に天使なるものがいたならば、今こそ終末のラッパを吹き鳴らしていたであろう。
この突如として訪れた悲劇に、人々はみな悲しんだ。
「あっ……あああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
誰もが奈落の底に引きずり込まれていくような悲鳴をあげた。
しかしただひとり……天使から奪ったラッパを吹き鳴らす悪魔のように、調子っぱずれに笑う者たちが。
「アラアラ、ザマァザマァ! ザマァザマァザマァザマァ、ザマァァァァァァァーーーーーーーーーーーーッ!! 唯一の取り柄だったお顔が、台無しになっちゃったでチュねぇ~~~~~~っ!!」
「オッホッホッホッホッ! しかもワタシたちはマザーだけに要求をしたのに、まさかプリムラさんまでいっしょになって、ザックリやってしまうだなんて! もしかしておバカさんなんでございますかっ!?」
「ヒヒヒヒ……! ホーリードール家の最後なんでしゅ! 最高のベストショットでしゅ! ヒーッヒッヒッヒッヒッヒィーーーーッ!」
前屈みになり、のけぞり、ベランダの欄干をダンダンと叩いて爆笑するストロードール三姉妹。
もはやこれだけでも許しがたい罪であったが、ホーリードール家に一方的に恨みを積み重ねてきた彼女たちの悪行は、こんなものでは終わらなかった。
……でも、おかしくはないだろうか。
マザーとプリムラが、ナイフによって顔を切り裂いたからといって……。
それほど大げさになって、悲しむ必要があるのだろうか?
言うまでもなく、彼女たちは尋常ならざる癒しの力を持つ、聖女一門。
首を斬り落とされたというならまだしも、腕を斬り落とされても瞬時にくっつけるような彼女たちであれば、アクビが出るほどの平易さで治してしまえるはずなのに……。
もしそう思っているのであれば、大きな間違いである。
なぜならば、今ここには……。
他人を恨み、妬み、そねみ、陥れることにかけては超一流の、ストロードール家の少女たちがいるから……!
だからこそ周囲にいる者たちは、必死に止めたのだ。
ナイフで顔を引き裂くことを。
ホーリードール家が、絶大なる癒しをもった名門とするならば……!
ストロードール家の、藁人形シスターズは……!
その力を、今まさに解き放つように、ザマーはローブを翻した。
そしてカッと目を見開く。
すると、水の星のような、美しき瞳をたたえる眼球がぐるりと裏返り……。
月の裏側のような、赤くひび割れた瞳が現れたっ……!
「……相対性論っ! 森羅万象は格差! 金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に……! ならばザマは望むっ! 一切有為の減算をっ! 美しさのデノミネーションをっ! 女たちの剕をっ! ザマ以外の女はすべて醜女になり、地に這いつくばる世界を! ザマだけの女神よ! あやつに奴隷の烙印をっ!」
たちのぼるオーラに、浮かび上がる髪。
そして傾いた日がベランダに差し込み、白日の元に晒される……。
暗黒微笑っ……!
「……『絶対不変の後弁天』ぃぃぃぃぃーーーっ!!」
バッ……!
とかざした手から、暗黒ヒトデのような物体が放たれ……。
ベランダの下にいる、マザーとプリムラの顔に、貼り付いたっ……!
すると、ふたりの間に走っていた裂傷が、焼け火箸を押し当てられたように、赤黒く変色……!
……ジュワァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
「きゃあああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
少女たちはパインパックを抱きしめたまま、崩れ落ちる。
「ま……ママ……プリたん……!? あ……うわああああんっ! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!」
泣き叫ぶ三女の声に、背後にいたすべての者は悟った。
マザーとプリムラの傷は、『永遠に治らなく』させられてしまったことを……!
そう……!
これこそが、ストロードール家を名門にまで押し上げた、恐るべき力……!
マザーが「いたいのいたいのとんでいけ」で傷を治してしまうように……。
ザマーは恨みのこもった文言で、傷や怪我を永遠のものとしてしまうのだ……!
これは、聖女の祈りはもちろんのこと、治癒術師の魔法でも絶対に治せない。
この世界の常識として、『聖女は、一に顔、二に身体、三四がなくて、五に祈り』という言葉がある。
もちろんこれは、勇者たちにとっての物差しでしかないのだが……。
ザマーはこの技を駆使して、ライバル聖女の顔を二度と見られぬものとして、のしあがってきた。
そしてここにまた、不幸なる少女たちが生まれてしまった。
勇者の聖女ランキングでワンツーを独占していた姉妹が……。
顔に大やけどのような呪いのアザを負って、一気にランク外に……!
「ああ……これで、ホーリードール家も終わりか……」
「ゴッドスマイル様にも、これで見放されるだろう……」
「そうだな……もうゴミ同然……なんの役にも立ちゃしねぇな……」
「あーあ、だったら無理やりにでもヤッておけばよかったよ……」
心ないささやきが、ふたりの少女の背後でおこる。
しかし彼女たちは、そんなことはどうでもよかった。
自分の顔がどうなっているのかも気にもとめず、それどころか隠すこともしない。
ベランダに向かって、パッと面をあげると、真っ先に人質のことを気遣った。
「ターミネーションちゃん! ママたち、言われたとおりにしたわ!」
「お願いですから、マイランちゃんを返してくださいっ!」
その顔と必死さがおかしくてたまらず、ストロードール家の少女たちはまたしても大爆笑。
いままで心の中で凝り固まっていた恨みつらみが、氷解して流れ出したかのように、涙まで流している。
「アラアラ、ザマァザマァ! ふたりとも、本当にいいお顔になりまチュたねぇ! これほどの面白フェイス、ザマ、初めてでチュ! チュチュチュチュチュチュ! チューッチュッチュッチュッチュッチューーーーッ!」
「オホホホホ! ではザマー、このくっさい野良犬は用済みですから、やってしまってもよいでございますよね?」
「ずっと臭くてたまらなかったんでしゅ! さっさとシメるでしゅ!」
「そ……! そんな、約束が違うわっ! ママたちが顔を傷つけたら、マイランちゃんは返してくれるって……!」
「チュチュチュチュ! それはマザーが顔を傷付けたとき限定の約束だったんでチュよぉ! プリムラさんまでしろとは言ってませんでチュたよねぇ? だからその約束は無効になっちゃったんでチュよぉ! わざわざイタイイタイ思いまでして、残念でチュたねぇ~! バカでチュねぇ、愚かでチュねぇ、滑稽でチュねぇ~! そして……ブッサイクでチュねぇ~~~! チューッチュッチュッチュッチュッチュ!!」
ブリギラがマイランの首筋に押し当てていたナイフが、
……グイッ!
とめり込んだ。
あ……!
嗚呼……!
なぜ、なぜホーリードール家の少女たちのような……。
他人の悲しみを自分のものとし、他人のためなら自分の悲しみをもいとわぬ彼女たちが……。
美しき心を持つ少女たちが、なぜ身も心も傷付けられなくてはならないのか……!?
そしてなぜ、ストロードール家のような……。
自分の憎しみを他人になすりつけ、自分のためなら他人の悲しみをもいとわぬ彼女たちが……。
醜き心を持つ少女たちが、なぜ最後に笑うのか……!?
この世に、神はいないのかっ……!?
……。
…………。
………………。
たしかに、神はいなかった。
神が、ゴッドスマイルという光に、目くらましをされてしまったからこそ……。
この地において、勇者という名の餓鬼が跋扈したのだ。
そこにあるのは、見せかけだけの栄華。
もはや人心の荒野となってしまった世界に、再び降り立つ神など、いようはずもない。
だが……。
這いよる者は、いたっ……!
それは……。
悪魔っ……!
神は、サイコロを振らぬ……。
そして、悪魔は……。
ゲーム盤ごと、ひっくり返すっ……!!
……ドゴグワグシャッ!!
……メキグシャブシュッ!!
ズドガッシャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!!