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153 咲く

 ブリギラから投げてよこされた、サバイバルナイフを拾いあげたマザー。

 鏡面のような刀身に映り込んだ顔は、今や憂いに満ちている。


 いつも穏やかな微笑みを絶やさなかった彼女にとって、初めてのことであった。


 さすがのマザーも、やはり躊躇ってしまうのだろうか。

 自分では一度も鼻に掛けたことはなかったが、女神の生まれ変わりともてはやされた美貌を傷つけるのが。


 いいや……悲しかったのだ。

 他人を平気で傷つけ、幼い子供を人質に取り……笑っていられる人間が、この世にいるということが。


 マザーはナイフから顔をあげ、悲しい瞳でザマーを見据える。


 こんな時でも、マザーはザマーを憐れんでいたのだが……。

 ザマーはマザー潤みがちな瞳の意味を勘違いし、狂気に満ちた白眼で笑い飛ばした。



「チュチュチュチュチュ! やっぱりこんな犬っころの命よりも、自分のお顔のほうが大切なんでチュねぇ! チュチュチュチュチュチュチュ! 良い仔の勇者様も、這いつくばってる悪い仔たちも、よぉく見るでチュ! そこのニセ聖女は、偽りの愛をふりかざし煽動するのが得意なんでチュ! きっとバジリスちゃんも、まんまと乗せられてしまったクチでチュねぇ! でも……そこにいるニセ聖女は、結局のところ、自分の顔がいちばん大切なんでチュ! なぜならば、ソレでゴッドスマイル様を惑わしている……ソレしか取り柄がない聖女なんでチュからねぇ!」



 ザマーにとっては、マザーがためらえばためらうほど、思うツボだった。


 それだけ「なんでもする」と言った言葉が薄っぺらくなっていくからだ。

 ためらうマザーを見れば見るほど、野良犬軍は絶望することだろう。


 自分たちはマザーのために、生命を賭けて勇者に反乱してきたというのに……。

 いざ自分に被害が及ぶとなったら、生命どころか傷ひとつつくのも嫌がるだなんて……。


 ザマー的にはこのままマザーを精神的に追い詰めて、逆ギレさせるつもりであった。

 そうすれば、マザーの偽りの仮面は完全に剥がれ……。



「なんでママがそんなきったない野良犬のために、この自慢の美貌を傷つけなくちゃいけないの!? 野良犬は死んでも誰も困らないでしょう!? でもママが傷付いちゃったら、多くの勇者様が悲しむのよ!? だからママには、しもやけひとつ付いてはならないの! だからママは、水仕事なんて一切やったことがないわ! ママはママがいちばんかわいいの!」



 いままでさんざん利用してきた者たちを、口汚く罵るであろう……!


 そう思うだけで、ザマーは笑いが止まらなかった。



「チュチュチュチュチュ! アラアラ、どうしたんでチュかぁ!? さっきは『なんでもする』って言っておきながら、イザとなったら、なぁんにもできないんでチュねぇ! さぁさぁ、みんなも笑ってやるでチュ! 偽りの愛が大好きな、ヘタレマザーを!」



 しかし周囲の反応は、真逆であった。



「お、おやめくださいっ! マザーっ! マザーは我々の希望……! そのお身体に傷をつけるなど、断じてあってはなりません!」



「そうじゃ! クーララカの申すとおりじゃ! そなたの笑顔に、わらわは何度も救われた……! その顔に傷を付けるなど、絶対に許さんぞっ!」



「マザーの顔に傷なんて、やだよっ!? 絶対にありえなくなくなくないっ!?」



「ふーん、絶対にダメじゃんっ!」



「ああっ、おやめください、マザー・リインカーネーション様っ! 我らワイルドテイルのために、あなた様が傷ついてはなりません!」



「マザーの御身が傷つくくらいなら、ワシらワイルドテイルは、みんな喜んで死にますじゃ! なあ、皆の者っ!?」



「おおーーーーーーーっ!!」



 これにはなんと、ワイルドテイルどころか……。

 敵である勇者や聖女軍団たちも、こぞって賛同しはじめる。



「そ、そうだ! マザー! やめるんだ!」



「おやめください、マザーっ! マザーは私たち、すべての聖女の憧れなんです!」



「それだけじゃない! マザーは我々、すべて勇者の憧れでもあるんだ!」



「その美しい身体に刃物を入れるだなんて、おやめくださいっ! 聖女全体の損失ですっ!」



「そうだ! だいいち、なぜマザーがそんなことをしなくてはならないのだ!」



「私たちは本当は、ホーリードール家の聖女様たちみたいになりたいんです! でもストロードール家の方々から脅されて、仕方なく……!」



「我々は本当は、ホーリードール家の聖女たちを求めているんだ! それが叶わぬから、ストロードール家とかの、その他大勢の聖女で我慢しているんだ!」



「そうです! ホーリードール家こそ、真の聖女なのです!」



「その家長であるあなたの顔に傷がついたら、価値がなくなってしまうぞ!」



 理由はアレであったが、勇者やライバル聖女たちも止めに入るとは……。

 これにはストロードール家の少女たちは、歯茎から出血せんばかりに歯ぎしった。



「ぐぎぎぎぎぎ……! マザーはためらってるのに、なんで味方するんでチュか……!? そこは蔑み笑うところでチュ……!」



「ぐぎぎぎぎぎ……! きっとまだ、マザーの偽りの仮面に騙されているのでございます!」



「ぐぎぎぎぎぎ……! もうこうなったら、ベインたんが、直接切り刻んでやるでしゅ!」



 そして、肝心のホーリードール家はというと……。

 プリムラが、マザーの横に並んでいた。


 マザーとプリムラは腕を組むようにして立っており、真ん中にパインパックを抱いている。

 そして不穏な空気を感じ取っ妹を落ち着かせるように、ふたりはやさしくパインパックを撫でていた。



「……パインちゃん、よく見ておいてくださいね。少し怖いかもしれませんけど、泣かないで……」



「……きっと、ママのママも、同じことをしたと思うの。だから、これから何が起こっても、泣かないで……ねっ」



「ママ……? プリたん……? いったい、なにを……?」



 そして……。

 幼き聖女は見た。


 姉たちの白磁のような白き肌に、シルクのような柔肌に……。

 銀色の絵筆が走るのを……!



 ……ズバァァァァァァァァァァァァッ……!!



 なんと、リインカーネーションとプリムラは……ふたりで握りしめたナイフで、抉ったのだ……!

 お互いの、美貌をっ……!


 渾身の一筆は、まず赤い筆跡を残し……。

 深紅の花が開くように、パックリと裂けた。


 そしてあたりに、ルビーと見紛うような、赤き雫を散らすっ……!


 ……誰かが言った。


 この世界でいちばん美しい光景は、この世界が滅びる瞬間であると。


 もしそうなのだとしたら、今がそうなのであろう。


 なぜならば、彼女たちは美しかった。

 傷付いても、なお……。


 いいや、傷付いたからこそ……。

 ひとつの生命を救うために、傷付いたからこそ、より一層……!


 その開いた口は、凶座相(グランド・クロス)のような、神秘で……。

 舞い散る紅玉は、女神の流した血の涙のように、夢幻っ……!


 その奇跡のような光景は、この世界からすべてのものを奪い去る。


 そこにはもう、悲鳴も、悲しみも……。

 それどころか、潮騒すらも消え去っていた。

次回…!

いよいよ、次回っ…!

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