148 ザマーの力
先ほどまで岩の上に立ち、勇者側の女神となっていたストロードール家の聖女たち。
しかしその姿は今はない。
癒しを求めてやってきた血まみれ勇者たちと、癒しを与えられない聖女たちは、困惑しきりの様子であたりを見回した。
すると……ビーチと街との間にに横たわる森の奥のほうに、その姿はあった。
マトリョーシカのように身長差のある、3人の豪奢なローブの少女たちが……。
名門の聖女というよりもコソ泥のような動きで、そろりそろりと……。
戦場から、離脱しようとしていたのだ……!
「ま、待ってください、ザマーっ!」
「お、お待ちください、ザマー・ターミネーション様っ!」
追いすがってきた勇者と聖女に、ハッと振り返る凸凹三人娘。
「アラアラ。ちょっとザマたちは、お花を摘みに。この森にはいいお花がたくさん咲いているんでチュよ」
「なお、ザマのおっしゃってることは隠語ではございません。ワタシどもストロードール家の聖女は、排泄などという穢らわしい行為は致しませんので、本当にお花を摘みにまいるところだったのでございます」
「お花さん、大好きでしゅー!」
三人とも、何の呵責も感じていなさそうだった。
しかし彼女たちに今いなくなられては困ると、勇者と聖女はすがる。
「そ、そんな! ザマー! お花でしたら、戦いが終わったあとでもいくらでも摘めます!」
「ここでザマーに抜けられてしまっては、我々は本当にクズどもにやられてしまう! 今すぐ戻ってほしい!」
「そうです! ザマーはいつもおっしゃっているではありませんか! ストロードール家の癒しは、ホーリードール家の比ではないと! ストロードール家が月ならば、ホーリードール家はその月を映す肥溜めであると!」
「それは頼もしい! ホーリードール家を超える癒しがあれ、あんなクズどもに遅れを取ることはない! 花でしたら戦いが終わったあとにいくらでもプレゼントさせていただきますので、ささ、こちらへ……!」
大聖女たちに戦場に戻るよう促す勇者たち。
しかしここでザマーは、信じられないことを言い放ったのだ……!
「アラアラ。ザマの癒しは確かに女神クラスなのだけれど、それを捧げられる勇者様は限定されているの。ザマが癒しを捧げるのは、座天級以上の勇者様に限られているの」
「ざ……座天級といえば、リヴォルヴ様クラスではないかっ!? それほど高位な勇者様が、こんな前線におられるわけがない!」
なんと彼女たちの癒しは、階級限定……!
それもかなり高位の勇者でないと受けられないという、特別っぷり……!
しかもこの場かぎりではあるものの、符号してしまったのだ。
大聖女がふたりもいるというのに、その癒しは、勇者たちには与えられないという……。
聖女としては似ても似つかない、ふたつの名門の、思惑が……!
皮肉にもこんな所で、合致してしまったのだ……!
しかしホーリードール家の場合は家訓にもなるような強い思いだったのだが、こちらのストロードール家の場合は、趣がだいぶ違う。
彼女たちはそもそも、ホーリードール家を越える癒しの力など持ち合わせていない。
それ以前に、長いこと『癒し』を行使していないので、祈りの文言すらも忘れてしまっている。
癒しを求められた途端、コソ泥のように逃げ出したのもそのへんに理由があった。
しかしそんな内情を知らない勇者たちは、半泣きですがる。
「ザマー殿っ! 階級限定の癒しは、ストロードール家の家訓なのかもしれない! しかし今はゴーコンの真っ最中だ! そこを曲げて、協力していただきたい!」
「その通りだ! 認めたくはないが、ザマーの癒しがなければ、我々はクズどもにやられてしまうんだ!」
「勇者の名において、このとおりだ! 頼むっ!」
若き勇者たちは、滝のように血が流れる頭を、垂れんばかりの勢いでザマーにすがる。
彼らは失血しすぎてもうフラフラ、いつ意識を失ってもおかしくない状況であった。
もしここにプリムラがいたなら、リグラスとの約束を破って彼らを癒やしていたかもしれない。
しかし、彼女のダッシュカラーともいえる、ブリギラはどうしたかというと……。
「さっきそこでペンペン草を見つけたので、差し上げます。これを1日ほど陰干しした後、煎じたものを飲むのでございます。そうすれば、明後日には血は止まるのでございます」
まさかの、民間療法……!?
しかも、2日がかりの……!?
それは……。
無人島に漂着し、SOS信号を見つけて目の前まで来てくれた救助船が、浮き輪をひとつ投げて去っていくようなものであった。
あまりにも、無情っ……!
勇者と聖女たちは、漂流者のように呆然としてしまう。
しかしここでふと、ザマーはあることに気付いた。
「アラアラ、アナタ、弓を持っているんでチュねぇ」
なぜか彼女は、とある勇者が持っていたクロスボウに着目する。
「いいことを思いついたでチュ! このクロスボウでマザーを撃ち落としてしまえばいいんでチュ! 相手の癒しが無くなれば、条件としては対等になるでチュ!」
そこまでして我々を癒やしたくないのかと、勇者たちの間に不満が募る。
それにそんなことくらい、戦闘のプロである彼らが思いつかないわけもない。
しかし、できなかったのだ。
なぜならば、
「ホーリードール家は、ゴッドスマイル様が見初められた聖女たちだ。もし傷付けたことがわかってしまったら、堕天どころではすまない。だから我々は、彼女たちを一切傷付けずにこの戦闘を終わらせる必要があるんだ」
そう。
勇者たちにとって、空飛ぶマザーを狙うことは、鳳凰のヒヨコに向かって弓引くようなものである。
たとえ射抜けたとしても、その背後にいる鳳凰にバレてしまったら、タダではすまないだろう。
これは、いくらゴーコンが発動している最中であっても、絶対に許されることではない。
そのため、彼らはやられっぱなしであっても、甘受するほかなかったのだ。
しかしそれが、ザマーの黒いハートに火を付けてしまった。
「そ……そんなだから、いつまでたってもヒラ勇者なんでチュ! クロスボウをザマに貸すでチュ!」
ザマーはどこからともなく取り出した白手袋をはめると、勇者からひったくるようにしてクロスボウを奪う。
もはや逃げることをやめ、ずかずかと前線へと戻っていく。
ちょうど、空飛ぶマザーが上空をかすめていったところだった。
「いたいのいたいの、とんでけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~~~っ!」
その声は、園児と一緒になって遊ぶ保育士のように楽しげ。
しかしザマーにとっては、休日の目覚まし時計のベルよりもウザいものであった。
なにせ、ずっと悩まされていたのだから。
どんな悪評を流しても、どんな嫌がらせをしても……。
あの太陽のようにまぶしく、月のように穏やかな笑顔は、決して曇ることがなかった。
聖女の集まるパーティなどでは、配膳するメイドを突き飛ばして、マザーのドレスに料理をぶちまけたりもした。
並の聖女……いや、大聖女であっても激昂するほどの無礼であっても、
「あらあら、まあまあ。転んじゃって、大丈夫でちゅか? ほおら、泣かないで、ママといっしょにおっきしましょうねぇ~。え? ママのドレスを汚した? うふふ、そんなことはいいんでちゅよぉ。だってドレスは洗えばすむんですもの。ママ、お洗濯大好きなの。それよりも、あなたの膝が擦りむいているほうが、ママにとってはよっぽど大事件だわ。はぁい、いたいのいたいの、とんでけぇ~!」
ザマーはその時の出来事を、何度も頭の中でリフレインしていた。
慣れた手つきでクロスボウを構えると、青空に掲げる。
矢の先が陽光を受け、
……ギラリ……!
と輝いた。