141 聖女のなかの聖女
ストロードール家の三女、ベインバックは極度の人見知りで有名だった。
いつも姉たちの後ろに隠れてモジモジし、つぶらな瞳をこわごわと向ける。
それがあまりにも愛らしく、『守ってあげたい聖女ナンバーワン』と言わしめるほどであった。
しかし今のベインバックには、その片鱗すらもない。
低い姿勢で這いつくばったまま、ローアングル狙いのカメラ小僧のように、嫌らしく歪んだ顔つきで真写機のシャッターをバシバシ切っている。
その先には、転んでしまったせいで……。
大胆にめくれあがってしまった、カラフルなローブの裾が……!
ビッグバン・ラヴはどちらも、スラムドッグマートで買った魔導女用のローブを着ていた。
それはミニ丈だったのだが、ふたりはさらに丈を詰めて着こなしている。
そのため、下半身が丸出しにっ……!
「バーニング・ラヴはピンクで、ブリザード・ラヴは水色……! ヒヒヒヒ……!」
同性とは思えない、そしてまだ子供とは思えないような絡みつく実況とともに、なおも激写を続けるベインバック。
その豹変ぶりの落差がすさまじかったので、ビッグバン・ラヴは呆然としてしまったが、ふと我に返ると、
「ちょ、転んだところを真写に撮るだなんて、ありえなくなくなくないっ!?」
「ふーん、デバガメだし」
「って、そう言ってる間にも撮るなしっ! それ、消すしっ!」
バーニング・ラヴが飛びかかっていくも、普段のモジモジっぷりからは想像もつかない素早さで飛び退くベインバック。
そのまま壁をカサカサと這って、逃走経路として確保しておいたのであろう、蓋の外れたダクトの中に引っ込んでしまった。
不気味に光っていた大きな黒目といい、這うような姿勢といい、逃げていった先といい……。
幼女というよりも、完全に『蜘蛛』であった。
次女との遭遇以上にゾッとする、ぞっとしない出来事であったが、すくんでいる場合ではない。
ふたりは、廊下を曲がった拍子にぶつかってしまった人形にすがりつくようにして立ち上がる。
よく見ると人形には、神尖組の制服とマントが着せてあった。
頭は着いていないが、両手を広げて、「わぁ」と驚くような仕草をしている。
それを見たふたりは、嫌な予感しかしなかったが、考えている場合でもない。
パンを咥えて走っていたら、へんな男子生徒とぶつかってしまったと納得し、気を取り直して走り出す。
エレベーターで降りようとしたのだが、なぜかいくら呼び出しボタンを押してもウンともスンとも言わなかったので、しょうがなく長い非常階段を下って1階のロビーに降りた。
すると、そこには……。
ホテルじゅうの人間が集まったような、大きな人だかりができていた。
このホテルは、入り口をくぐったエントランスのところにホールピアノが設えられていて、来客を素敵な演奏で迎えてくれる。
その少し高くなったステージのまわりに、客や従業員たちがひしめきあっていた。
ステージにはピアノ奏者はおらず、かわりに大聖女のドレスをまとった女性が立っている。
ひときわ目立つ豊かな胸の傍らには、少し前までパパラッチをしていたベインバックが。
その時とはうってかわって今は、大聖女の腕の中でチワワのようにプルプル震えている。
おそらく、集まってきた民衆に怯えているフリをしているのであろう。
そしてその、チワワを抱いている大聖女こそ、本丸……!
本命中の、本命……!
四隣諸国、いいや八隣諸国……。
いやいや、ホーリードール家と肩を並べるほどに高名な聖女一家、ストロードール家の大ボス……!
ザマー・ターミネーションっ……!!
人々からは『ザマー』という愛称で親しまれる彼女は、まさしく時代の寵児。
勇者からも敬愛されて一目置かれるという、聖女をこえた聖女である。
そのザマーは、白くてふさふさした扇で上品に口を覆い隠しながら、眼下の者たちに何やら演説していた。
アラアラ、みんな大変なことになってしまったの。
どうもこの島にあるビーチのひとつに、ホーリードール家の子たちがお越しになっているようなの。
それがね、あの子たちはリヴォルヴ様をたぶらかして、無理やりプライベートビーチを作らせたそうなの。
いけない子たちよねぇ。
そして滅多に来ないというのに、リヴォルヴ様に高いお金を使わせて、贅を尽くした作りにさせているそうよ。
純粋な勇者様を、そうやって弄ぶのがあの子たちの趣味なの。
本当に……本当に、いけない子たちよねぇ。
あの子たちに比べたら、路地裏の娼婦さんですら天使様に見えてしまうわ。
それに、それだけじゃないの。
その悪い子たちはいま、ビーチで邪教徒を煽動して、神尖組の勇者様たちを襲っているそうなの。
ザマはずっとあの子たちのことをいけない子だと言い続けてきたけど、それがついに本当になっちゃったみたいね。
だからザマは決めたの。
これからそのビーチに行って、勇者様たちをお助けしようって。
ここにいるいい子たちも、もちろんザマといっしょに来てくれるわよね?
だって……。
ザマの言うことを聞けない子は、みんな悪い子なんでチュからねぇ……?
……そう! みんな、来てくれるでチュね!
自分からすすんで来てくれるだなんて、みんな本当にいい子いい子でチュ!
ザマはいい子に囲まれて、本当に幸せでチュ!
チュチュチュチュチュチュチュ……!
それは幼い子に言い聞かせるようなやさしい口調だったが、旦那の前では猫をかぶっている継母のようでもあった。
そしてそれ以上に、ネズミが鳴いてるようでもあった。
少なくともビッグバン・ラヴのふたりには、そうとしか聞こえなかった。
ブリザード・ラヴは裏口から出ることを提案したが、正義感の強いバーニング・ラヴはそうしなかった。
ずかずかとエントランスに向かうと、人混みをかき分けてステージにあがる。
そしていつも以上に強気な瞳でザマーを睨みつけると、開口一番、
「ザマー! なに言ってるし! マザーは悪い子なんかじゃないし! むしろチョーいい子だし!」
屋上の展望台からストロードール家の姉妹たちに絡まれ続け、バーニング・ラヴの我慢はとっくの昔に振り切れていた。
並の女性であれば、食らいつく女狼のような眼光に、たじろいでしまうのだが……。
巻き毛を逆立たせるほど怒りに満ちたギャルに詰め寄られても、大聖女はネズミ講のようにあふれ出る笑みを崩さなかった。