129 やっぱり降臨
いままで生きた心地がしなかったワイルドテイルたちは、ホーリードール家の少女たちが現れてからは、さらなる混沌の渦に包まれた。
無理もない。
そしてこればかりは抗いようもない。
なにせ彼らの前に降臨したのは、勇者以外の『全人類の母』を自称してやまない人物なのだから……!
マザーは薄汚れた彼らを見て、花畑に訪れた少女のごとく目を輝かせ、満面の笑顔で彼らの間を行ったり来たり。
両手でしっかりと握手し、子供は抱き寄せ、さらに小さな子は抱っこする。
あまつさえ、
「うふふ、こんなに可愛くて、よい子たちがいるのだったら、この島にもっとずっと早く来ればよかったわぁ!」
自分よりもずっと歳上であろう年寄り連中を、『可愛くて』『よい子』呼ばわり……!
強制ほんわかムードに叩き込まれてしまったワイルドテイルたちは、身を固くするばかり。
なにせ彼らのなかにある聖女像といえば、自分たちをドブネズミ扱いする者たちばかり。
その手でシッシッと追い払われたことはあっても、そのおみ足で蹴り飛ばされたことはあっても、やさしく撫でられることなど、初めてだったからだ……!
もはや気分は、人間に虐待され続けてきた捨て猫状態。
今までは暴力装置でしかなかった聖女の手が、こんなにもあたたかく、やわらかいものだなんて……!
大人たちは相変わらず困惑していたが、子供たちの緊張は少しずつ氷解していく。
ワイルドテイルの幼い双子をふたりまとめて抱っこして頬ずりし、ともにキャッキャと笑い合っていたマザーの頬はもうススだらけ。
それどころか天女の羽衣のようだったドレスも、見る影もなく薄汚れている。
「あ、あの……せ、聖女様! お、恐れながら……! わ、我々なんかに触っちゃ、綺麗なお顔やお召し物が汚れてしまいますだ!」
もしかして気付いてないのかと思い、集落の長が勇気を振り絞って彼女に声をかけた。
大聖女に声をかけるなど、彼らにとってはヒモなしのバンジージャンプ同然の自殺行為である。
しかも自分の身体に汚れを移されたなどとわかったら、地獄の奪衣婆のように豹変されてもおかしくはない。
そしてやっぱり気付いてなかったのか、マザーは自分のドレスの状況を確かめるように視線を落とす。
しかしそこにあったのは、視界を塞ぐほどの大きな胸だけ。
彼女は長いこと、自分のヘソを鏡でしか見たことがなかった。
ドレスの胸から下がどうなっているかわからなかったので、両手を広げて袖を見る。
すると、炭でもこすりつけたかのように、確かに真っ黒。
しかし、彼女はまるで、どろんこ遊びの真っ最中の子供のような笑顔で笑った。
「うふふ、ほんとねぇ! みんながいっぱい生きてきた証を、ママにも分けてくれるなんて、ほんとうにみんないい子でちゅねぇ!」
「い、生きてきた証……?」
「汚れているということは、みんながいっぱい遊んで、いっぱい働いてきたということでしょう? ママはそれを感じられるのが、とっても幸せなの! だって、みんながいっぱい生きてきたことが、こうしてママの身体にも伝わるでしょう?」
彼女にとって他人の汚れは、幼い我が子が元気いっぱいに食べ散らかしたのも同じ。
彼女にとってそれが身体に付くのは、幼い我が子の身長を刻んだ、柱の傷も同じ。
我が子の生きてきた証を感じて、喜ばぬ母親などいない……!
ついにその思いが伝わったのか、大人たちはむせび泣いた。
「お、おお……! マザー・リインカーネーション様っ! あなた様のような大聖女様がおられるだなんて……!」
「女神様じゃ……! マザー・リインカーネーション様は、我らの女神様じゃあっ!」
「そ、そうじゃ! 野良犬マスク様の旗を掲げられていたんじゃ! マザー・リインカーネーション様は、ワシらワイルドテイルにとっての、女神様じゃあっ!」
長きに渡って勇者に苦しめられてきたワイルドテイルたちの前に、ついに救いの女神が降臨した。
彼らは卒業の別れの惜しむ生徒のように、マザーを取り囲んで咽を漏らす。
それを見ていたプリムラも、とうとう我慢できなくなってしまう。
「ああっ、みなさん、涙をお拭きになってください。いいえ、どうかわたしに、みなさまの涙を拭かせてください」
彼女は白いハンカチでワイルドテイルたちの頬を拭う。
そして涙だけではなく、顔の汚れまですべて綺麗に拭い去った。
「はい、とっても綺麗になりましたよ。ですからもう、泣かないでくださいね」
そして姉に負けない天使の微笑みで、ニッコリ……!
その笑顔には、すべてのワイルドテイルたちをフォーリン・ラブさせるだけの破壊力があった……!
年端のいかない子供たちは初恋を知り、若者たちは叶わぬ恋を知る。
そして年寄りは、冷や水を浴びる……!
トドメは三女の『犬耳さわさわ』。
実はパインパックは他人の耳を触るのが大好きだった。
普通は親しくもない相手から耳を触られるのは嫌なものだが、彼女にされるとなぜか顔がほころんでしまう……!
しかもこっちから触ろうとすると、ピャッ! と逃げてしまうのが、またたまらない……!
耳を触られたワイルドテイルたちは、初孫を前にした好々爺のように、されるがままになっていた。
嗚呼、なんということだろうか……!
ホーリードール家の少女たちは、出会ってわずか数分で……。
永久凍土のように頑なだったワイルドテイルたちの心にやすやすと入り込み、すでに集落のアイドルにまで昇り詰めていたのだ……!
「でもお姉ちゃん、急にいつもの元気を取り戻されましたね」
「ええ。だってこの島、ゴルちゃんスメルで溢れているんだもの」
「おじさまの香りっ!?」「ごりゅたんにおいっ!?」
おじさマニアの妹たちは、必死になって鼻をひくひく動かして嗅ぎ回ってみたものの、潮風しか感じなかった。
そんなことはさておき、その間、クーララカや船に同乗していた騎士たちが、なにをしていたかというと……。
スラムドッグマートの商品が詰まった木箱を船から降ろしていた。
『ゴルド君』のペイントがされた大きな木箱たちが、ひとつひとつ、砂浜に並べられていく。
その真っ最中……事件は起こった。
ひとつの木箱が、
……ドバァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
爆音とともに、勢いよく弾け飛んだのだ……!
「キャアッ!?」
驚きのあまり将棋倒しになる三姉妹とワイルドテイルたち。
それまで浜辺に蔓延していた、ほんわかムードは一気に吹き飛んでしまった。
中にあった爆発物が、暴発でもしてしまったのか……?
しかしスラムドッグマートの商品にかぎっては、そんなことはないはず……?
もうもうとあがる白煙の向こうには、みっつのちいさなシルエット。
不意にそのひとつが這いだしてきて、
「けほっ! けほっ! もうがまんできませぇん!」
しかしそのイエローハットな声の主は、途中で襟首を掴まれ、煙の中に引きずり戻されていた。
「ちょっと3号! 決め台詞を言うまでは、煙たくても我慢しなさいって言ったでしょ!」
「す、すみませぇん! でも、煙たくって……!」
「たしかにこの煙は多過ぎのん。のんは適量で止めたのん」
「チョロッとだけじゃ格好がつかないでしょうが! 登場なんだから、ドバーンと派手にやらないと!」
「でもこの煙に耐えられるのは、未来のゴキブリくらいのん。ということはシャルルンロットのそれは、髪じゃなくて触覚だったのん」
「誰が未来のゴキブリよっ! あっ、それよりもアンタ、頭巾で口を覆ってんじゃないわよ! それじゃ悪役みたいじゃないの!」
煙はとうに晴れ、土台だけ残った木箱の上には……。
小学生くらいの3人の少女たちが、きゃあきゃあとじゃれあっていた。